朝早く、と言っても部活のある子供たちは起きて行動している時間に海神瑞姫は寮の調理台に立っていた。なぜならそう、今日は水曜日。委員会のある日だからである。卵を使ってだし巻き卵を作って、そぼろを作って、ほうれん草の胡麻和えも作って……と定番メニューが次々と完成していく。海神は料理が下手ではなかったけれど、なにぶん家がお金持ちなのでお弁当を作ることはなかった。なので愚直に図書室から借りてきた本に忠実に作っている。
「……」
「おはようございます、爆豪さん。早いですね」
「テメェのが早いだろ」
おはようも素直に言えない面倒くさい男だった。黒のタンクトップに黒のジャージの下を合わせて、タオルをかけている爆豪は日課の朝のロードワークから帰ってきたばかりだった。そこからシャワーを浴びて汗を流し、朝食に取り掛かるのが彼の日課なのだが、好きな女の子がエプロン姿で調理台に立っている姿にグッときて思わず近寄ったのである。
「ふふふ、だって今日は爆豪さんにお弁当を作って差し上げないとですからね」
もしこの世界が乙女ゲームだったら背景にキラキラのエフェクトが飛んでいる。そのくらい爆豪の心にはグッと来た。
「あ、でも、来週からは一緒に作るんですよ? 最初だけ特別ですから」
「お〜分かってるって。俺だってマズい飯毎週食いたくねぇ」
「失礼な! ちゃんと美味しいですよ、ほら、味見してみてください」
スプーンに一匙そぼろを掬って爆豪に差し出す海神。所謂あ〜んの体勢だと気付きドキドキが止まらない爆豪。落ち着け、落ち着くんだ。下心があったわけじゃねえ。向こうも何かを意識しているわけでもねえ。掛け合いをしていただけだしこれは純粋な味見だ。何も問題ない――意を決して爆豪が口に含んだ瞬間に
「おはよう海神くん、爆豪くん……何をやっているんだ?」
飯田が入ってきた。ここは雄英高校。将来ヒーローを目指し早朝ロードワークをする真面目な生徒は何も爆豪一人だけではないのである。朝方と夕方に分かれていたりするけれど、飯田、轟、八百万を筆頭にクラスの中で成績優秀な面子を筆頭に、ヒーロー科に何人もいるのである。目先の欲望に囚われて周囲の警戒を怠った爆豪が悪かったのだ。
「あら飯田さん、おはようございます。爆豪さんにお弁当の味見をしてもらっていたんです」
「ム、そうなのか! 自炊をするなど海神くんはしっかりしているな」
「ありがとうございます。ヒーローは体が資本ですからね! 将来独り立ちした時に栄養管理もできないようではいけませんから」
「なるほど。ならせっかくの機会だ、俺も挑戦するべきだろうか」
色恋ではなく健康面の方に話題を発展させる二人を見て、「こいつらが超が付くほど世間離れしていてよかった」と思う爆豪だった。ただしそんな爆豪を、物間は見ていた。
放課後の教室で、明日当たる範囲を海神に教えて貰いながら、物間は数学とは別の問題で頭を悩ませていた。
「どうしたのですか物間さん。手が止まってますよ?」
「海神……」
「どこが分らないのですか?」
「いや、そうじゃなくて。確かに三角関数も分からないけど問題はそうじゃなくて」
「じゃあ、なんでしょう?」
「……爆豪のこと、どう思ってる?」
「どうして爆豪さんが?」
冷静を装っているけれど、ほんのり頬を赤く染めた海神を見て、これは恋愛感情だなと物間は察してしまった。伊達に一年、ずっと一緒にいたわけではないのである。A組だから気に入らない、そんな理由を付けてわざわざ図書室まで覗きに行ったのは理由があった。恋というにはあまりにも淡く、果敢ないものだったけれど、同じ夢を見て一緒に勉強して、個性を使って切磋琢磨してきた海神のことを、物間はほんのちょっぴり好きだったのだ。それは緑谷が初めて自分に優しくしてくれた頬を染めてしまうような、友情と恋情をはき違えているようなその程度のものだったけれど、確かに恋をしていた。だから爆豪と海神の心情の変化に敏感だったのである。
「いや、急に対応を変えたのと、今朝の奴見ちゃってさ」
「今朝?」
「あ〜んしてるやつ」
「あ……? あっ、あれは、そんなつもりじゃなくて」
「わかってるよ、海神のことだから何の考えもなかったってことくらい。でもああいう行動は相手に勘違いさせるから今後は控えたほうがいい」
「そう……ですね。いつもありがとうございます、物間さん」
強くて可憐でなのにどこか危なっかしいところがある女王様の変な虫が付かないように去年一年守っていたのは自分だった。今の発言は相手に好意があるように思われるよ、そう何度も拳藤と一緒に忠告をしてきた。放課後の教室に二人きり、これも勘違いさせるから止めたほうがいいよ――この言葉は、言えなかったけれど。