自分だけにしか見えない女の子が、小さい時からずっといる。心霊番組やそういう場所に行っても何も感じない所謂零感の俺にだけ見える不思議な女の子だ。見えるようになったのは母親が入院した時期からで、誰かにそれを話せば「可哀想に。お母さんがいなくて寂しいのね」なんて言われるけど、そうじゃない。彼女は寂しさを紛らわせてくれる存在ではない。確かに真っ白な髪の毛はお母さんを想像させるけれど、彼女は全然違う。「お父さんには内緒ね」って笑いながらおやつをくれる笑顔の優しさも、抱きしめられたときの安らぎも感じなかった。
「また怪我したんだ」
「……」
「あれ? 無視? 見えてないわけじゃないよね」
名前も知らない彼女はいつだって俺が苦しいとき、つらいとき嘲笑うようにやってくる。せめて普段なら、無視することもできただろう。幽霊なんているはずない。誰かの個性の影響だ、とけるまでの我慢だと気に留めないこともできただろう。でも彼女はいつも俺の心に余裕のないときにだけ、心を抉りにやってくる。苛立ちをすべてぶつけるように睨んでやる。
「やだーっ! しょーとくんこっわぁい」
けらけらと軽快に笑った。無神経な奴だ。この笑顔は、不機嫌な俺が発する空気を払拭するものではなくて、単に俺を嘲笑いたいための種類の笑みだ。不愉快だ。彼女は最初から不愉快な存在だ。
「お父さんに殴られたんだよね。訓練だって言われて、『痛い、お父さん、やめて、お父さん』って泣いて縋っても厳しくしごかれたんだよね。泣いても吐いてもやめてくれない、素敵なお父さんだね!!」
「……やめろ」
「やぁだよう。やめないよう。だって君はヒーローになれるじゃないか」
ヒーローになれるからってなんだ。俺はヒーローになるしかない。それ以外の道を許されていない。兄さんみたいに、姉さんみたいに、友達と遊んだりおいしいお菓子をおなかいっぱいになるまで食べたり子供向けのキャラクターが喋る番組を見たりできるほうがよっぽど幸せじゃないか。
「しょーとくんは、それが幸せって思うの?」
「……」
「生きてて、なろうと思えばヒーローになれる個性を持ってるだけで恵まれてるんじゃないの? それが幸せじゃないの?」
なんで、とはもう聞かない。なぜだか知らないが、彼女は俺の考えていることがすべてわかるみたいなのだ。だから音声を拾い思考をした時点で俺の負け、延々と彼女のお喋りに付き合わされることになる。消えるのはいつか分からない。一時間の時もあるし、寝るまでの時もあるし、数日間居座ることもある。俺にできるのは嵐が過ぎ去ることを待つだけ。大丈夫、そんなもん個性が発動した時から慣れている。肉体的な痛みを伴わない女の子なんて俺にとっては取るに足らない。だって疾うに精神的に一番ひどい痛みは味わったのだから。
「しょーとくんは、ずるい」
名前も知らない彼女が、消えるときに一番多く言う言葉がこれだった。何がずるいのか教えて欲しかったし、変われるものならいつだって変わってやる。だからお前は意味不明な個性で俺の前に現れるんじゃなくて、いっそ俺の立ち位置を奪ってくれよ。
「しょーとくんは、ヒーローになるの? 大っ嫌いなお父さんの言いなりになるの? 負けるの? 屈服したいの?」
彼女のナイフは的確に俺の心を抉ってくる。自分だってその矛盾点に気付いている。だけど目を背けて意固地に思い込んで、これが最高の復讐だと、父親を否定することで自己が確立されると、失ったものが戻ってくると信じていないとやってられない。お母さんは戻ってこない。知らなかった無邪気な自分には戻れない。
「うるさい」
「うるさくないもん、当然の疑問だもん、答えてほしいだけだもん」
「ヒーローにはなる。だが左側は使わねえ。これだと親父の言いなりにはなンねえだろ」
「ふぅん……」
「不満気だな」
「それはおかしいなって思っただけだよ。回答としてベストではないなと思っただけだよ」
こいつは俺の心の中を見透かしてくる。だから俺の心の奥底にしまい込んでいる感情を読まれてしまったのかと思った。自分ですら気付かない感情を無理やり理解させて、押し付けてくるから、大嫌いだって思った。
そいつと俺はずっと一緒のまま高校生にまでなった。真っ白な髪も、顔立ちも、薄れている記憶の中のお母さんとそっくりで俺はこいつと血が繋がっているのではないかと勘ぐっていた。上の兄姉にも、嫌々ながらもクソ親父にも声をかけてみたが、結果としては「いない」とのことだった。双子でもなく、流産でもなく、俺が生まれてから下に兄弟姉妹は存在していないのだった。
――では、こいつは誰だろう?
他人というにはあまりにも似すぎている。じっと見つめていると、そいつがまた口を開いた。
「高校生にもなって、まぁだお友達ができないね、しょーとくん」
「うるさい」
「でもいいもんね? しょーとくんには私がいるもん。私の世界にはしょーとくんだけ。だったらしょーとくんの世界にも私だけでいいじゃない?」
私たちは二人で一人、そうだそれがいい、と彼女は宙を舞いながら楽しげに言った。彼女が身にまとっているのは雄英の女子制服。そういえば俺が中学の時は中学の女子制服を着ていたので、彼女は俺と一緒に年をとっているんだろう。
「無理だろ」
「……なんでよ」
「お前、もうすぐ消えるだろう」
「っ!」
いつも俺がする表情を、今度は彼女がする番だった。してやったりと思うことはなくて、なんだかこっちが切なくなる表情だった。
「なんでそう思うの」
「体育祭以降、お前の出現回数が減ったから」
「今までだって気まぐれだったもん」
「薄くなってる」
「うっそ!?」
「嘘だ」
「騙すなんてひどい。最低」
「もっと酷いことお前だって言ってるだろ……」
大きくため息をつく。まったく、どこまでもわがままな妹だ。見た目はお母さんに似たのに、性格の悪いところすべてあのクソ親父から受け継いだんだろうな。本当にもったいない。
「もしかしてさぁ、しょーとくん私の正体に気付いてる?」
「証拠はないが俺の妹だろ」
「バレてるわ……」
「クソ親父ですら知らない俺の妹っていうのも変だけどな」
「あ、それはね〜私がしょーとくんに吸収されたからです」
「は?」
一体どういうことだ。予想外の返答に動揺すると、してやったりという顔で妹は笑った。
「普通の人は個性一つなのにしょーとくんだけ二つなのおかしいって思わなかった? まあ世の中には複合個性というものもあるんだけど、大抵は近い個性が混ざり合ってるよね。それか混ざって新しい個性になってるよね。しょーとくんと同じクラスの常闇くん? はたぶん例外で異形型の片方の外見と、片方の個性をそのまま引き継いだパターンだから個性としては混ざってないんだよ。なのにしょーとくんは正反対の個性が使えます。それはなんででしょう」
個性は、一人に一つ。俺は二つ。妹は俺に吸収されたといった。
「キメラって知ってる? まあ名前くらいしか知らないだろうから説明してあげるね。同一個体内に異なった遺伝情報を持つ細胞が混じっていること。またそのような状態の個体のこと。妊娠初期に双生児の一方が死亡し、生存している方に吸収されるということもあるんです。その場合はエコーとかでも認知できないくらい初期だからさあ、お父さんが知らないのも当たり前かな? 私としょーとくんは双子でした。見てわかるように私がお母さんの氷の個性、しょーとくんが大っ嫌いなお父さんの個性だね。でも私が死んじゃってしょーとくんに吸収されて、しょーとくんはヒトキメラになったので髪の毛も個性も半々なのでした!」
「う、そだろ……」
「嘘じゃないよお。だってしょーとくんは氷の個性遣えるでしょう? 私はしょーとくんのことなら何でも分かったでしょう? 苦しいとき、つらいとき、いつだって傍にいたあげたでしょう? それに、お父さんへの憎しみのみで生きてきたしょーとくんの中から憎しみが消えたら私が薄くなったでしょう? 私はしょーとくんと憎しみを共有してこの世に存在していたのです」
だから、お父さんをしょーとくんが憎まなくなったら私は消えちゃうんだ。
驚きが一番にきて、憐憫と、たった一人の妹の死を悼む気持ちと、今までの苦痛に対する憎悪と、申し訳なさと、他のいろいろな感情でいっぱいになって俺は言葉を発することができなかった。だってそうだろ、この事実、たった十五歳の少年には重すぎるだろ。
「しょーとくんはね、緑谷くんとか飯田くんとか、その他の素敵な学友と先生に恵まれて憎しみなんか忘れてしがらみから解放されてこれからとってもとっても素敵な人生を送ります。幸せな結婚するかは分かんない。だってしょーとくんの一番の女の子は私がいいからね。心の狭い私はそれが許せないし、私が生きてたってことしょーとくんしか知らないし、私のこと死ぬまで引きずってて欲しいし……でも同じくらいしょーとくんには幸せになって欲しい気持ちがあってね、どうしていいかわかんないので、今ここで消えます」
「ちょっと待てよ!」
「無理だよ、無理。だって私は生きたかったもん。生きて個性使ってヒーローになって、しょーとくんと双子ヒーローだって有名になりたかったもん。どうして死んじゃったのが私なのかなって思っちゃうもん」
だから消えます、と妹は言った。言い逃げなんてずるいだろって思った。俺だって傷つけるようなことばかり言ってきたお前なんて嫌いだし何度も消えてしまえって思ったけど、お前の幸せを願わないほど狭量な兄ではないはずだ。今からでも遅くない、クソ親父に相談して伝手を頼って、ぴったりな個性の人間を見つけて俺ら双子の人生をやり直そう。そうしよう。
「ごめんねえ、しょーとくん」
「おい、待てって」
「来世があったらその時は、二人でヒーローになりたいね」
伸ばしたその手は当然のように空を掴んで、虚脱感に苛まれた。何かがぽっかりと抜け落ちたという感覚だけが、俺の妹が確かに存在したという証明だった。