緑谷出久は決意した。必ずあの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した。緑谷出久には色事が分からぬ。それもそのはずである。なぜなら、かの爆豪なまえが自分から女子を遠ざけていたからだった。
「ひ、酷いよなまえちゃん……!」
事の起こりは数時間前である。明日授業があるにもかかわらず教科書を忘れてしまった緑谷が教室に戻ってきたときだった。1-Aの教室の中から楽しげな声が聞こえてきたのだ。耳なじみのある声は、自分の幼馴染を始めとしたクラスの女子のようだった。悪気なく聞いてしまったそれは、所謂ガールズトークというもので、教室内に男子がいないことをいいことに好き勝手発言していたらしい。
「わかる緑谷って童貞っぽい!」
「まあ、女の子に慣れてない感じはしますね」
「あ〜確かになれてないかも。いずくくんに近寄る女の子は制裁してたからなあ」
童貞って……いや確かにそうだけれども……と凹んでいた緑谷はなまえの爆弾発言を聞いて息をのんだ。
「えっなまえちゃん怖」
「え〜怖くないよ〜ちょっといずくくんに話しかけた女の子に『何の用だったの?』って優しく聞いてただけだよ〜」
「それ威嚇してんじゃん」
「だって私より可愛くないし勉強も運動もできないし個性も強くないしいずくくんのこと知らないのにいずくくんと付き合おうなんていい度胸じゃん?」
「なまえちゃんのそういう所デクくん苦手そう〜」
「わかる。なんか気の強い子より大人しい子が好きそうだよね」
「……私、大人しいよ?」
「見た目だけね」
「中身はお兄ちゃんそっくりやん!」
「あの人とは偶然住む家が同じになっただけですから!!」
あはははは、とクラスメイトの笑い声がどこか遠くから聞こえるようだった。今ここで教室に入るわけにもいかなくて、踵を返した緑谷はあとから轟に教科書を借してくれるよう連絡をした。それよりも今は、考えなくてはいけないことがあるのだ。
「よし」
心臓がバクバクする。だって今まで自分はなまえちゃんを拒絶したことも、反対意見を述べたこともなかったのだ。いや、正確には反対意見を主張したことがあってもすべて自分から折れていたのだった。そんな僕は、今日、初めてなまえちゃんに反旗を翻すのだ。
「あ、いずくくん! おはよ〜!!」
寮の共同スペースに行く前、決意を固めていると、背後からなまえちゃんが現れた。「うあわぁ!」と僕が情けない悲鳴を上げても、なまえちゃんは「朝から元気だね」と楽しそうに微笑んでいた。そういう顔をされると決意が揺らいでしまいそうになる。
「お、おはよう」
「今からごはん? ねえ、一緒に食べようよ」
する、と自然な流れでなまえちゃんは僕の腕に自分の腕を絡ませた。幼稚園のころから「いずくくん! いっしょにかえろ!」って自然に手を繋いだりしていたから、あまりに当たり前すぎて意識していなかったのだが、こんなことをされていればそりゃ他の女の子だって僕となまえちゃんが付き合っていると思うだろう。
「なまえちゃん、それ」
「うん、なぁに?」
「す、好きな子ができたから、そういうのやめて欲しいんだけど……」
かっちゃんみたいに、大声で怒鳴って爆破して、怒られると思っていた。私がいるのになんで他の女の子のこと好きになるの、浮気者って、怒鳴られて終わりになるかと思っていた。だってなまえちゃんはとても強い女の子だから。かっちゃんと同じで、僕の憧れの女の子だったから。だから、まさか泣かれるなんて思ってなかったんだ。
「えと、なまえちゃ、」
「何してんだデク」
「あ、かっちゃん」
「何してんだって聞いてンだよ」
見たこともないほど底冷えした瞳だった。けれども、激しい怒りに燃えていた。普段はあんな感じだけれど、なんだかんだ二人は仲の良い兄妹なのだった。今回のことは自分が圧倒的に悪い。だから怒られて当然なのだけれど、いくら身内とはいえ色恋沙汰まで知られたくないだろうし、でもぼかした説明だと許してくれないだろうし、どう説明しようか悩ましいところだ。
「やめて、いずくくんは何も悪くないの」
「なまえ」
「私が、悪かったの……」
僕の前ではいつも笑顔だったなまえちゃんが別の表情をしたのはこれが初めてだった。
その日から。クラス内鈍感王者選手権のトップを争う飯田くんと轟くんの二人に「最近爆豪の妹の方見ねぇな」「ム、そうだな。喧嘩でもしたのかい?」と声をかけられるくらいなまえちゃんは僕の方へやってこなくなった。
「そうかな?」
「そうだ。前は何もなくても寄ってきてただろ」
そう、寄ってきていた。思い返せば僕からなまえちゃんに何か積極的にしたことはなかった。いつだってなまえちゃんが僕に笑いかけて、あれしようこれしよう、好きだよって伝えてくれていたのだ。それが当たり前になって僕は彼女の好意を「当然のもの」として認識してしまったんだと思う。何があったってなまえちゃんは僕のことを嫌いになるはずがない。その思い上がりがあって、大切なものをなくしてしまったのだ。