雛鳥は憂鬱


「若様若様、名前、若様といっしょにお空飛びたい」

「昨日飛んだばかりだろう。隣の島まで連れて行ってやったじゃねェか」

「今日も飛びたい。だって若様がお空を飛ぶと、すごいんだよ。風がびゅんびゅんうなって、雲なんてあっというまに青い空の向こうに行っちゃうんだよ。鳥も、船も、誰も若様のお空のかけっこには追いつけないの。それってとっても、気持ちいい」


連れて行ってもらったことのある遊園地のどのジェットコースターよりも、速くて、高くて。
けど、ぜんぜんこわくない。若様がわたしを、しっかり抱えてくれるから。

フワフワのコートも重要だ。
若様の上着にしっかりしがみついていれば、冷たい風もなんのその。



「仕方ねェなあ。……来い、名前。今日はどこに行きたいんだ?」



そう言って窓辺に立った若様が、抱き上げてくれる度に。
わたしはしっかりと若様の首すじに、腕をまわすのだ。









ああ。また嫌な夢を見てしまった。

天井まで伸びた馬鹿でかい大窓から差し込む陽の光が、カーテンの隙間をぬらりと掻い潜って朝を告げる。
さすがは愛と情熱とオモチャの国なだけあって少し気温も暑いけど、それでもこの気候は充分寝覚めに優しい。

……そんな清々しい一日の始まりも、目覚める直前まで悪夢を見ていたのでは台無しだ。

何故だ。何故なんだ。
何故、忘れてしまいたい事だけ、延々夢に出る。
いっそグラディウスに頼んで頭に1、2発軽く砲弾を打ち込んでもらえば、その衝撃で記憶喪失になれるのかもしれない。



3年前に乗っ取ったドレスローザという国の、王宮。
ドフィ率いるドンキホーテ・ファミリーは今現在そこに住んでいる。
ノースブルーのゴミ処理場倉庫に拠点をおいていた頃よりも、ずっと環境は良くなった。
王宮と名のつくだけあって広いし、綺麗だし、豪華だし。中庭にはプライベート・プールだってある。
ふと窓の外からキラキラ水面の輝くプールを覗いてみると、そこは大層賑やかだった。
派手なパラソルの下で足を投げ出しビーチチェアで寛ぐドフィを筆頭に、シュガーやジョーラ、ラオGといった一部のファミリーがプールサイドで遊んでいた。
白くて大きいプールには、どこから呼ばれたのか見たこともない美女達がキャッキャとはしゃいでいる。
勿論ドフィの傍らにも、黒髪の女と金髪の女。胸はデカイし腰は括れてるし、いかにもこの国らしい女性たちだ。





「あら、やっと起きたの?」


じっとプールを眺めていると、廊下の奥からベビー5とバッファローがやって来た。
二人とも、子供の頃から一緒にいる仲間でありファミリーの一員だ。
ドフィ流に家族の定義にノセるなら、バッファローは7歳上の「兄」、同性のベビー5は1つ年上の「姉」、ということになる。
老若男女様々な人柄が揃うこのファミリーでは比較的同世代ということもあって、わたし達は本当のきょうだいの様に育ってきた。

そんな二人を一瞥してからまたすぐにプールへ、……というよりは大股開いてお酒を飲んでるドフィへと視線を移した。
ちょうど黒髪の女がドフィの胸元に擦り寄ってキスを強請っている所だった。

うわ。身内のサイアクなシーン、見ちゃった。まじ、ゲロゲロー。



「……朝から大層ご盛んなことで」

「どちらかといったらもう昼だすやん。名前は起きるのが、いつも遅ェんだすやん」

「私達も若様に誘われてるの。名前はどう?」

「は。……まさかベビー5とバッファローもあの乱交場へ行くの。ベビー5、……あんた先日、好きな人が出来たって言ってたじゃない。とうとう初恋の人が現れたって」



口元を押さえてワザとらしく驚いてみれば、ベビー5が呆れたように口元を歪めて、「あんたねェ、」と肩を竦めた。



「ただの水浴びよ。あとそれ、秘密だって言ったでしょ」

「ええええええ! ベビー5、お前好きな人出来たって……それマジかだすやん!?」



バッファローの大声に、ベビー5がポッと頬を染める。
可愛らしい女の子のような仕草で両頬を押さえ、「初めて男の人に必要とされたの」なんて惚気けだした。



「とにかくわたしはいいわ。行かない。お腹すいたしご飯食べたい」

「若はバーベキューやるとも言ってたぞ、名前も来ればいいだすやん」

「ヤダ。絶対ヤダ行かない」

「なんでよ? 若様だって名前が来れば喜ぶわ」

「わたしは喜ばない」

「どうしてそこまで若様を嫌うの? ……昔はあんなに、」



そんな風にベビー5やバッファローと立ち話を続けていたら、今度は廊下の反対側からモネが歩いてきた。
モネは5年位前にやってきてファミリーに加入した新参者だけど、わたしはモネが好き。知的で大人っぽくて、いい匂いがするから。
……ちなみにモネと姉妹であるシュガーは苦手。あの子は初対面の時に、わたしにすっごく酸っぱいグレープの実をくれた。


モネは押し問答するわたし達を見て、フフフと笑った。



「親に対する反抗期みたいなものなのよ」

「……モネ、わたし別にドフィを親と思ってなんか、」

「あー! あれだすやん! 父親と一緒に歩きたくない年頃の娘と同じだすやん!」

「ち、ちが、……だからわたし、は、別に、」

「反抗期? じゃあそんなのさっさと終わらせればいいじゃない。意地張ってないで、また若様の頬にチュッチュすれば? 昔はよくしてたくせに今更何恥じらってるのよ」

「…………っうううううるさいうるさい、うるさい! ベビー5のバカ! これ以上悪夢を掘り出さないでよ! 今すぐその口閉じないと、“ベビー5に恋人できた”ってファミリー全員にふれ回ってやるからね……!」

「はあ!? 止めてよ! フザけんな、バカなのはあんたよ名前!」


怒って掴みかかろうとするベビー5をヒラリとかわして、ベーと舌を突き出す。


「モネも余計なこと言わないで!」


ブキブキの実の力の能力で腕を銃に変形させたベビー5からすかざず走って距離を取る。
ここが室内だというのにチュインチュイン、一切気遣わず発砲してくる彼女にもう一度舌を突き出して廊下の角へと引っ込んだ。






「………………はあ………疲れる」


起床してすぐに、こんなに走り回ることになろうとは。
汗を振り払うように自身の金髪を掻きむしると、頭皮がじっとりと濡れていた。


…………こんな時、プールに飛び込んだらさっぱりするんだろうな……。


いやいやいや、ドフィがいる卑猥プールなんて行かない。絶対行かない。
ドフィの胸に撓垂れかかる黒髪女を思い出した。







………………はあ…………。


ジェットコースター、乗りたい。



この辛気臭い溜息ですらふっ飛ばしちゃうような、世界でいちばん、速いヤツ。

ALICE+