クロージング・ドア


当たるかと期待していたナンバーが最後の一桁で外れて、ただの紙クズになるように。どんなに期待を込めた宝くじでも、買った瞬間から運命は決まっている。
だから全ては、この杜王町にあの男が引っ越してきたことが災難の始まりだったんだ。
しいていえば仗助の幼なじみだった私が、仗助の友達づたいに、あの男と知り合ってしまったことも。
あの男が、今をときめく大衆少年漫画雑誌で連載中の漫画家であったことも。
私がその漫画家の処女作品「ピンクダークの少年」の大ファンであったことも、一見すごく幸運な事だけど、実は超絶アンラッキーの始まりでもあったってわけ。






「名前ー、電話よー、」



リビングのソファでゴロゴロしながらテレビを見ていると、夕食を作っていたお母さんが呼びに来た。
なんか、嫌な予感。



「切っていいよ」

「あらダメよー。デートのお誘いかもしれないのに」

「ない。それは絶対ありえない」

「そんなの、出てみないと分からないじゃない」



ふふっと笑いながらお母さんがキッチンの奥に引っ込む。
嫌な予感だ。すごく、嫌な予感。
学校が終わって、せっかく夕食までの時間を、冷え冷えのオレンジジュース片手にのびのびと寛いでいたというのに。あの男に、全てをぶち壊される気がする。
しかしここで電話に出なかったら出なかったで、明日はヒサンな目に合うに違いない。
以前一度だけ電話を無視したら、翌日校門の前で待ち伏せされて散々嫌味を交えた文句を言いたい放題に言われて、一緒に登校してた仗助がそれに怒って喧嘩にまで発展した。
その騒ぎのせいで後から先生に叱られるし放課後また校門に現れるし逃げ場なんて一切なかった。



「もしもし」


大層な不服を抱えながらも黒電話の受話器を取ると、真っ先に耳に飛び込んできたのはいつも通り大先生のお小言だった。



「いくらなんでも電話に出るの遅くないか? 通話代だってタダじゃあないんだ」

「…………。露伴先生ともなれば、印税ザックザクの大儲けでしょう」

「そりゃあね。たった数分の通話料金なんてぼくには痛くも痒くもない。けど、そういう話じゃなくてだな」

「切っていいですか」

「待て待て待て、君は何でそうせっかちなんだよ」

「露伴先生に用件があるとは思えないからです」

「ぼくにはある」



いや、そんなの、聞きたくないから。
私はこれから、氷が溶ける前にオレンジジュースを飲みきって、テレビを見て夕飯を食べて宿題をしなくちゃいけない。

“先生の我が儘には、付き合えない。”
……そうハッキリ言えたら、どんなに気は楽か……。



「インクが切れてしまったんだ。文房具屋メーワ堂で買ってきてくれないか。原稿が描けない」

「そういうのは漫画の編集担当者に頼むんじゃないですか、フツウ」

「早く使いたいんだよ」

「……私と露伴先生の家、駅を挟んだ正反対なんですけど」

「それでも同じ町内だろ。固いこと言うなよ。この岸辺露伴が頭下げて頼んでるんだから」

「ウソ。絶対頭なんか下げてないでしょう」

「いちいち細かいな、君は。ああそうだ。お使いを引き受けてくれたら何か奢るよ、それならいいだろ」

「カメユーの限定販売高級シュークリームでもいいんですか?」

「あの大型デパートの? いいよ。何個でも買っていい」

「…………それなら……じゃあ……」

「決まりだな。あ、それと。ぼくはピチャピチャミルク・ソフトクリームで」

「ええ……!? それって、オーソンでしか売ってな、」



ガチャン。

一方的に受話器を降ろされる音がする。
後は無慈悲なツーツーという電子音。


切りやがった。あの男、反論を待たずに切りやがった……。


もう溜息しか出てこない。
結局、シュークリームに釣られて引き受けちゃったし。文具屋とデパートとコンビニの、3軒も店をハシゴだし。……最悪。


もう一度大きな溜息を付く。
自身の悪運を呪いながら、お母さんに「ちょっと出かけてくる」と声を掛けた。



「あらやっぱりデート?」


娘がこんなにも項垂れているというのに。デートなわけがないじゃないか察しろよもう。
むしろデートなんてタダの一度も誘ってもらったことなんか、ないし。




「…………ただの、使いパシリ」


毎回そうだ。

靴を履きながら、私は三度目の溜息をついた。




露伴先生からのこういう電話は、頻繁に掛かってくる。
平日だろうと土日だろうと関係ない。
やれオスカーでCD買ってきて、やれメーワ堂で鉛筆と消しゴム買ってきて、……そんな小間使いみたいな用件ばかりを押し付けてくるのだ。

私は先生の奴隷じゃないし、そもそも先生は漫画家なんだから、原稿を描く休憩がてら自分の足で町を歩いて買いに行けばいいのに。
よく「取材」と称して町を散策してたりするから、締め切りに追われててチョーイソガシイ、ってこともないと思う。

康一くんを介して出会ってしまったのが、そもそも間違いだったんだ。
あんな個性的でセンスある話を描く人が、あんなスーパー俺様人だっただなんて。カカロットもびっくりだよ、全く。



全ての買い物を終えて露伴先生の家のチャイムを押した頃には、もう空は夕暮れ時で、交じり合ったオレンジと紫が絶妙なグラデーションを醸し出していた。
2度。3度。チャイムを押しても家主は出てこない。
これもいつものことだ。
悲しいかなパシリに慣れてしまっている私は勝手知ったるなんとやらで玄関扉を開けた。
鍵が掛かってないことも、もう知ってる。


そのまま誰に言うわけでもなく「お邪魔しまーす」と呟いて家に上がる。
一番先に買ってしまって温くなってしまったシュークリームを冷蔵庫に突っ込んで、先生に頼まれたアイスは冷凍庫へ。
あとは袋に残ったインクを持ってそのまま仕事部屋へ。
ノックをしてからドアを開けると、やっぱり露伴先生はそこにいた。



「早かったじゃないか。思ったよりも」

「…………これがないと仕事出来ないって、誰かさんが駄々をこねるもので」



……本当は、ほんのちょっぴり、嬉しい。
こうして大好きな漫画の作者である先生のアシスタント紛いなことが出来て、誇らしい。
それでも先生にとっては、都合のいいパシリなんだろうけれど。


インク瓶を手渡して立て替え分の代金を受け取る。
そしてグルリと改めて部屋を見渡してみた。

こういう仕事をしている人って、もっと部屋が雑然としていて、物に溢れているイメージがあったのに。
露伴先生はどちらかと言ったら、すごく几帳面で丁寧な方だ。


刊行順に本棚に並んだ今までの雑誌を手にとって、露伴先生の作品ページを開いてみる。
……はあ。やっぱりすごい。ここまで人間の心情をリアルに捉えていて、異形のグロテスクと芸術的な美しさを全部一緒くたにできる作品はそうそうないだろう。



「…………露伴先生って。他人のこと一切気にし無さそうなのに。まるで人の心を透かして見ているようなストーリーを描きますよね」

「失礼だな。逆だよ、ぼくは常日頃から、町中色んな奴の観察をしているのさ。それに透かして見てるってのもあながち間違いでもない。まあどちらかと言ったら、“読んでいる”って言ったほうが正しいけど」

「……へ?」

「本当は君の事も“読ませて”もらいたい所なんだぜ。でもそれをしちゃあ今回限りはフェアじゃあないよな」

「…………読むだとか読ませてもらうだとか……さっぱり意味が分かりませんが」

「分からないままの方が面白い展開もあるっていう事さ。推理ものだってそうだろ、謎を解いている間が一番楽しい」

「…………私はクライマックスの謎が全て明かされる瞬間の方が、スッキリしますけど」



胸のあたりが、すっごくモヤモヤする。
露伴先生は、……私の事をどう思っているんだろう。


こうして思わせぶりな台詞を吐いて、核心的なことは何も言わない。
私だって鈍感なわけじゃない。気付いていないわけじゃない。
露伴先生にいいように振り回されて、心を引っ掻き回されていることに。


「…………。」

「………………。」



先生がリビングに移動するのを黙って付いていく。



「夕飯、食べてけよ。さっきピザの注文を頼んだんだ」

「え……でも、お母さんが夕飯の支度を、」

「連絡しておけば問題ないだろ」



そう言って電話の子機を渡される。



「……こうまでしてもまだ察しがつかないのかよ。……なあ名前。仕方がないから、最大限のヒントをあげよう。ぼくは君に、もう少しここに居て欲しいって言ってるんだ」




………………。
そんなの、回りくどすぎる。

何が最大のヒント、だ。
もう少しここに居て欲しい、って。
……せめて君ともっと一緒にいたいんだ、くらいは言えないの?

毎回毎回人を呼び出しておいて、なんて勝手な人だろう。



ふいに、玄関のチャイムが鳴った。「ピザフットでーす」と響く元気ハツラツの挨拶が聞こえて、露伴先生はリビングを出て行った。



「………………。もしもし、お母さん? 私だけど。……ごめんね、今日、夕飯いらない…………あと、ちょっと帰るの……遅くなるかも」



自宅への電話番号を押して、電話口に出たお母さんにそう伝えると、耳に当てた受話器の向こう側から「ほら、やっぱりね」と軽やかな笑い声が聞こえてきた。

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