赤井さんの犬


赤井秀一が任務にて殉職したとジョディから連絡が入った時、私はまるで映画の中のワンシーンのように零したのだ。呆然と、頭が真っ白になって、何も考えられなくて、たった一言「嘘でしょ……」と。
数秒の沈黙の後、嗚咽混じりの声がそれを否定した。
「残念ながら本当よ」そう、携帯のスピーカーから、やけにくっきりと聞こえてくる。
それきりジョディは喋らなくなった。私は続く無音が居た堪れなくなって通話を切った。
おそらく、彼女は泣き崩れている。そりゃあそうだろう。元カレが死んだのだ。彼女の気持ちがまだ赤井秀一に多少なりとも残っていることを私は知っていた。
ペラペラの白紙のようになってしまった私の脳裏に、真っ黒なインクが流れこみ、延々「死んだ」と同じワードを刻む。
赤井秀一が、死んだ。あの、赤井秀一が。
私の初々しいFBIデビュー、新人時代の折に、散々なスパルタ教育で私を扱き下ろして……いや実践教育という名目で素晴らしい教えを授けて下さったあの赤井秀一、……赤井さんが。死んだ、だなんて。




「ぜったい嘘」




あの人が死ぬなんてあり得ない。
私は信じない。
少なくとも、新人時代に受けた数々の屈辱……否ご恩を、利息込み込みで満額返済するまでは、私は彼が死ぬことを許さない。


スマホの画面素早くをタップし、直属の上司へ電話を繋いだ。
私は私でこっち(本国)に残って組織についての調査を進めていたけれど、もう我慢ならん。つうか、なんだ。チームで一人居残りって。殆どの主要メンバーは日本へ旅だったというのに。
赤井さんも赤井さんだ。
殉職だかなんだか知らないけど、相性もバッチリで、バディとして最高に気の利くパーフェクト・ウーマンなこの私を残して日本に行くから、こうなるんだ。




「もしもし、ジェイムズ? 私も日本に行っていい?」


上司に繋がってから前置きもおかずに切り出した。


「…………オーケー。明日には発ちます」


承諾をもらえなくても行くつもりだった。けれどそんな心配は杞憂だったみたいだ。
赤井さんという主力を失った今、ジェイムズとしても戦力を補填しておきたいのだろう。
私は大急ぎでクローゼットから一番大きいキャリーケースを引っ張りだした。急いで必要な荷物を積める。
財布とスマホとパスポートを手持ちのバッグに突っ込んだ。
こんな時のためにビザを事前に申請しておいて心底良かったと思う。ほんと私って準備がいい。
最後にライフルケースを背負って、狭いアパートを後にした。

タクシーで空港近くまで行って、今夜はいい感じのホテルに経費で泊まろっと……。





こうしてやって来た日本。上司のジェイムズや、久々に会った仲間達、ジョディやキャメルと挨拶をした。
他の捜査官とも改めて顔を合わせて、これから立ち向かうべき任務を再確認する。
また、この場所の土地勘を養うためにもと、散歩に出た。
気の向くままに町内を歩く。
元々は日本生まれの日本人だけれど育ちはニューヨークなので、イマイチ漢字は苦手だ。
町内案内の看板の目の前で立ち止まり、唸りながら解読に四苦八苦していると、「これは米花町って読むんですよ!」と通りすがりの利発そうな子供が教えてくれた。
「お姉さん引っ越してきたの?」「つーか大人なのにこんな字も読めねーのかよ」赤と黒のランドセルを背負った小さな少年少女達に囲まれて、私は苦笑いを浮かべた。

……そうか、「べいか」町か。「こめか」町かと思った……。



「君たちは近所の子?」

「うんそーだよ! みんなこの近くの帝丹小学校に通ってるの! 歩美たち、少年探偵団っていうチームも作ってるんだよ!」

「今から依頼人の開人くんの家に行くんです!」


小さい女の子と背の高い男の子が、聞いてもいないのにそう教えてくれる。
いわゆる探偵ゴッコというやつか。



「米花町23番地って言ってたよなー? なんだっけ、馬、……馬……馬刺し荘?」

「木馬荘ですよ元太くん」

「……つーかよォー……」


3人の子供達がワイワイと盛り上がる中、後方にいた眼鏡の少年が声を上げた。



「行くなら早く行こうぜ? 約束してんだろ?」



……第一印象として、妙に大人びた子だな、と思った。そしてその少年の隣にいる、赤みがかった茶髪の女の子。
見覚えが、あるような。
頭の中の古いアルバムを捲るように。何千枚という報告書をひたすら斜め読みしていくように、記憶を探る。
FBIの犬として嗅覚を最大限に、研ぎ澄ませて…………ああ、……ビンゴだ。





そんなこんなで出会った子供達の探偵ゴッコが、実は結構な事件に絡んでいたことを誰が想像できようか。
子供達と手を振って別れてから、こっそりと尾行して後をついてきていた私は、電柱の影からそっと様子を伺っていた。
どうやら放火事件らしい。木馬荘というアパートが、無残にも黒焦げの柱だけを残していた。
そこの住人の事情聴取が、その場の警官達をまじえて行わている。
いかにも絶対独身だろというような太めの男、ガテン系男、眼鏡を掛けた糸目の男。
もうぶっちゃけ私は放火事件なんて興味ないし、あの少女の住む家とか、名前とか、そういうデータが分かればいいんだけどなあ。
子供をそんな事件に関わらせてないで早く家に帰らせろよと警官を睨んでみる。もちろん、誰にも気づけれないような物陰から。

こういう、動き出すに出せない待機中の時、あの人なら大概煙草を吸い始める。
足元に大量の吸い殻が散らばって、私が持て余した暇に若干ウトウトとし始めた頃に手渡されるブラックの缶コーヒー。
……私は、苦いコーヒーは嫌いだ。苦い煙草の匂いも嫌い。
でも、その苦さを思い出した今、無性に欲しくなった。




「…………っていうか、あれ……赤井さんに激似てる」


ちょうど赤井さんのことを考えていたからだろうか、容疑者の中の一人の男性の姿が元鬼スパルタ教官にどうにも被ることに気づいた私は、事件が解決し解散のお流れになった後その男性の行先を尾行した。
どうやら先程の眼鏡の少年と一緒のようだ。とある敷地の立派な洋館に入っていた彼を遠目から確認する。
死んだっていう報告は、やはり間違いだったのか?
いや、ジェイムズ氏を筆頭に、皆が皆葬式に参列した後のような顔で落胆しているんだ。あれがもし演技だとしたら全員FBIを辞めて、今すぐブロードウェイの舞台にでも立つべきだ。
では私の勘違いなんだろうか。読み取り間違い、見当違いの可能性もある。…………ううんちょっと自信無くなってきたな。服も着てたしな。目もほとんど開けていなかったし。せめて真っ裸……いやいや匂いだけでも……。
なんて考えている内に日が暮れてきた。
私は意を決して電柱の影から飛び出した。
被疑者は目前の建物内にいる。それは確かだ。ならば暴いてやればいい。それが強引な手段になったとしてもな。
……って昔、赤井さんが言ってたような言ってなかったような。

ピンポンピンポンと玄関口のチャイムを押すと、「はい、どちら様でしょう」と昼間の眼鏡糸目男が扉を開けた。
わざわざ来客用のインターホンカメラとマイクがあるのに、扉を開けた。私は勝利を掴んだ気がした。理屈的な根拠もなにも説明できないけれど、それだけで私は「勝った」とこの瞬間に何故か思ったのだ。
改めて対面した男性はどこからどう見ても赤井秀一だった。
私の嗅覚が全面的に肯定する。
顔も声も全くの別人だけれど、それ以外の数値は、完全に一致。

言葉を返すのも忘れて正面からマジマジと見つめていると、男は糸目を更に細くさせて困ったように笑った。




「どなたかは存じませんが、僕に何か御用でも?」




……生きていることが知られてはいけない何かがあるのだろうか。
私がここにいる理由も何もかもお見通しなくせに、すっとぼけてみせるだなんて大した肝っ玉である。




「…………身長、胸囲、ウエスト、靴のサイズ、匂い、掌形、虹彩、声紋、スマホを操作する時のキーストローク、筆跡。それがあなたを知り尽くし、正確に認識する私のバイオメトリクスです」



私を立派な猟犬として育て上げたあなたが、今まさに格好の獲物として鼻先に立っているのだ。
“待て”ができるような状況じゃない。
唇を舐める。思わず涎が出そうな展開だ。




「 ……顔や声などは変えているみたいなので、頭部から足先までパッと見の数値から、あなたを赤井秀一と認証しました。それともまだシラを切りますか、マイ・ダーリン?」

「………………。」



ほらねジョディ。残念ながら嘘。死んだなんて、嘘。
私は騙されてなんかあげない。

その隠した喉元を、食い破ってあげるんだから。

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