Hello, and goodbye.


もしかしたら明日、死ぬのかもしれない。いや、日が変わる頃にはもうすでに、心臓が動いていないかも。
だったら今すぐにでも遺書を書いておいた方がいいだろうか。私の残した最後の願いを聞いてくれる人なんて、この場所にいるとは思えないが一応、一応……。



テーブルの上で頭を抱えながらグルグルグルグル、思考が回転しながらどんどんどんどん、悪い方へと落ちていく。
そんな私を他所に、口紅を優雅に塗り直しながらベルモットは鼻で笑った。


「どうしたのキティ。また失態?」


……頭が痛い。
私は唸るように答えた。




「…………その呼び方はしないで。私の名前は名前よ、名前。今までみたいに、名前って呼んで」

「あら。だってそれが貴方に与えられたコードネームだもの。文句があるならジンに言いなさい」

「……………。ジン、」


ううっ、また頭が。



さらに額を押さえながらテーブルに丸くなる。



「正直、文句の一つや二つは、あるわ。1ヶ月前に、ようやく昇格して、コードネームを貰えたと思ったら『キティ』よ『キティ』。カクテルの名前にしても、もっと格好いい名前が良かった。『ベルモット』なんて最高にイカしてるじゃない。仮にも組織の構成員に『子猫ちゃん』、だなんて完全に舐めてるわ。サンとリオのどこかの企業と履き違えてる」

「言い分は分かるわ」

「……でも、目下、今の悩みはそういうことじゃないの。ああ、どうしようベルモット。私、明日辺りきっとジンニキに殺される……」

「貴方が任務で、何かしらのおっちょこちょいを冒すのはいつものことじゃない」

「うん、まあ、そうなんだけど。フルフェイスのヘルメットを被るの忘れて、バイクで出動したりとかね? ニキに渡された爆弾一箇、紛失しちゃったりとかね? 過去に色々やらかしてる自覚はあるけどね?」

「それでも始末されなかった子猫ちゃんなんだから、大丈夫なんじゃない。並大抵のことは許されるはず」

「子猫って呼ばないで。っていうか真剣に話を聞いて」

「聞いてるわ」



嘘だ絶対嘘だ。口紅を塗り直した後、本格的にマニキュアを塗り直し始めたベルモットお姉様。
指先にフー、と息を唇を尖らせて息を吐きかける様は妖艶以外の何物でもない。
もう、いいや。何でも。どうせ明日には私、死ぬんだし。

私は、ルーベンスの絵を前にして最後の台詞を述べる少年のような気分で、訥々と告白し始めた。



「実はね、午前中……ジンから、命令っていうか……連絡があったの。“こっちに今から向かうから、俺の車を入り口前まで回しとけ”って……。私、まさかあの黒塗りの車を任されるだなんて思ってなかったから、ちょっと、嬉しかった。だってほら……ジンはあの車、すごく気に入ってるじゃない?」



しかも私なんかじゃあ普段乗れないような高級車だ。
私はルンルン気分で、言われた通りの場所にキーを取りに行き、車庫にピタリと収まったポルシェ356Aの運転席へと座った。
本革のシートが優しく私を包む。ああ、なんて素晴らしい座り心地、さすがドイツ車……なんて感動すらしたものだ。
私もいつか報酬を貯めて高級スポーツカーを買いたいなあなんて夢見ながら発進させた。



「……気づかなかったの。……いや気づいてたけど。左ハンドルって………………かなり感覚違うよね」



そこまで零すと、一足早くベルモットは事情を察したらしい。
マニキュアを塗る手を留めて、苦笑いの入り混じった「まさか」というような表情で私を見ている。



「……擦っちゃったわけ?」

「…………………ガードレールに。そりゃもうガッツリ」



ベルモットの左眉がピクリと上がる。
私はそれを、「この女、人が困ってるのに笑い出しそうなのを我慢してやがるな」と解釈しながらも話を続けた。



「外車の運転って、初めてだったの。車庫を出て、小さく左折して車道に出たら……なんか不穏な音がして。降りてみたら、猫の引っかき傷よりも悲惨なことになってたから、とりあえず黒の油性マジックで塗りつぶしたんだけど」



私は手のひらで顔を覆いながら、目を閉じ、数時間前のこと(事故)を思い起こした。
こうして言葉にすることで、こうして関係ない第三者に話すことで、私の記憶から少しでも剥がれ落ちてはくれないだろか。

ベルモットはとくに秘密主義で、こうした女子トークや愚痴で話したことも他人にベラベラと触れ回ったりしない。
少なくともキャンティあたりに相談するよりはずっと堅実的で安全で保守的である。



「……まあいい感じに傷は隠れたから、なんとか誤魔化せたかなって。けど、ジンにバレた時を想像すると恐くて恐くて夜も眠れない……あの冷血漢のことだから、出来た傷の数だけ私の脳天に銃弾をぶち込むんじゃないか、とか」


そこまで話してからベルモットを見ると、彼女は大層気の毒そうな顔をし、私を見ていた。



「私、貴方のそういうお馬鹿ちゃんな所、好きよ。だからって言う訳でもないけれど……遺言だけは聞いておくわ」

「ハハハそんなベルモットまで。ここはさっきみたいに大丈夫よ、バレりゃしないわよ、ってフォローしてよ」

「残念だけど、名前」

「……いっそここは子猫ちゃんって呼んで。シリアスな雰囲気連れ込まないで……」

「残念だけど、名前。後ろを見なさい」

「え?」




物静かに語るベルモットに促されて、振り返る。
振り返るために首を回した途端、何か冷たくて硬いものがゴリッと左こめかみを押した。



「懺悔は終わりか、キティ。……弾は何発必要だ?」



視線だけで人を殺せるような冷たい目をした銀髪の大男が、あろうことか仲間の私に拳銃を突きつけ、見下ろしている。
その後ろではウォッカがサングラスを片手で押さえ、まさにアニメや漫画の表現のような「あちゃー」というポーズをしていた。

私は死を覚悟した。
このまま撃ち殺されて湾岸行きか。

ならばそうだな。せめてもの遺言は。



「……その、子猫って呼ぶのやめてくれない? いくら私が、悪戯なカワイ子ちゃんだからって」




彼が直々に決めたコードネームについて直訴する。
無慈悲な銃口がさらにこめかみに食い込んだ。

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