私と上司の秘密の関係


私はしがない祓魔師です。本当にしがない、何の特徴もない祓魔師なんです。階級も中二級と平々凡々、勤務先だって一般市民専用相談窓口なんていう、日陰部署。
そこに寄せられる依頼とくれば大半は、悪魔に怯える市民からの電話でもなく、相談事でもなく、人手の足らない現場からの応援要請だ。
同期の連中から、いつも忙しい私達と違って定時で帰れるだなんて羨ましいとかなんとか皮肉を言われることも多々ある。いやいやその忙しい現場を頻繁に手伝ってるんだから、結局仕事が終わるのなんて深夜だよ深夜。
今日も今日とて、時計の針が指し示している時刻は午前様。
事件の事後処理に追われた現場班から、届けてくれと頼まれた今回の報告書を抱えなおして。私は、闇に包まれた正十字学園町の中心地を目指した。


迷路のような学園都市の石畳の通路を歩き、辿り着くは、私立正十字高等部の最上階。
この部屋の主こそがこの学園、如いては正十字騎士團日本支部の現最高権力者だ。
本来であれば私のような下っ端がおいそれと赴くような場所ではない。……ないはず、なんだけどなあ。
理事長室への扉をノックする。すぐさま中から「ドウゾ☆」と返事があった。なかなかに機嫌の良さそうな声音である。
「失礼します」と扉を押し開けると、部屋の主は、実に悠然とした所作で司書机に座っていた。
紫のグラデーションというド派手な髪色に、白を基調とした外套。袖の下には紫の手袋。加えて白とピンクのドットスカーフと、一見は道化師のような格好をした男が顎の下で指を組みながら、ニンマリとやけに迫力掛かった笑みを零す。



「今日はいつも以上に遅かったですねえ。私、随分待ちくたびれちゃいました」

「……すみません。これでも真っ先に、提出しに来たのですけど」

「いえ、報告書の話ではありません☆ 私が待ち望んでいたのはそんな紙切れでなく……」



間を区切るようにポンと空気の弾けるような音がした。いや、実際に弾けているのかもしれない。
突然目の前でピンクの煙が弾けて、彼の姿ごと、まるで魔法のように(まあきっと似たようなものなのだろうが)、まるごと消えた。


「…………!」

「貴女を待っていました」


突如として背後を覆う、気配。ヒトではなく、もっと別の末恐ろしさを感じさせるそれが、私の両肩に触れる。
そのまま流れるように身体向きを反転させられて、先程通ってきた入り口の扉と挟まれる形となった。
後ろからにゅっと伸びてきた腕が、扉の鍵穴へと金の鍵を差し込んで、回した。
「今夜は寝かせませんよ」と。触れるか触れないかの距離で耳元に寄せられた唇が、低く囁く。




場所は正十字学園高等部からびゅーんと飛んで、ここは学園都市の最上部。ヨハン・ファウスト邸である。
壁一面に張られたアニメキャラクターのポスターや棚を埋め尽くす玩具やフィギュア。荘厳な理事長室から視界は一転、大きくインテリアを変えたその部屋は毎度ながらに凄まじいまでのキャラクターグッズで溢れていた。
そう。我らが上司、もっと言えば正十字騎士團日本支部のトップに立つ彼は、重度のオタクだったのだ。
そんな衝撃的な新事実を知った上に初めて目にした時にはクソキモいとドン引きしていたこの部屋も、今ではそれなりに見慣れてきてしまった自分が恐い。
……私自身は全っく、それこそこれっぽちも、アニメやゲームに興味はなかったのに。
いつの間にかあのキャラクターだとか、そのキャラクターだとか名前が分かるようになってしまっているのだから、むしろオタク(フェレス卿)の影響力は不浄王の侵食の如く驚異的だ。

大人3人はゆうに座れるくらいに巨大なでんと置かれた人をダメにするクッションに二人並んで座りながら、ひたすら無言でカチャカチャとコントローラーを弄る。
十字キーとカラフルな4つのボタンが並んだコントローラーの先には、今流行りの最新ゲーム機、プレスタ本体。そしてさらにその先は60インチはあろうかってぐらいの4K液晶テレビ。
そんな贅沢なテレビモニターの中では、格闘ゲームのキャラクター2体がステージ上で凄まじい戦いを繰り広げていた。
いつからこんなことになったのかだとか、どうしてこう祓魔の最高権力者と肩を並べてゲームに勤しむことになったのかとか苦労話は山ほどあれど、今は眠いから語らない。


「…………。」


自分の操作するキャラクターが『YOU LOSE 』の文字を三連続で背負った所で、私の集中力は完全に途切れた。
ゆっくりと低速にシャットダウンし始める脳みそが辛い。目蓋も重い。なんせこちとら仕事上がりなのだ。0時過ぎまで残業していた身なのだ。
そういう気持ちを込めて「……あのー、フェレス卿、もうそろそろ2時近いんですけど」とささやかに述べるも、テレビ画面では第二ラウンドが始まっていた。
慌ててカチャカチャと十字キーを動かす。もはや条件反射というやつだ。


「所謂草木も眠る丑三つ時というやつですなぁ」


萌え系のキャラクターがプリントされた浴衣(これは部屋着なのか?)を少々ラフに肌蹴させ、クッションに埋まり同じようにコントローラーを動かしながらフェレス卿はのんびりと宣う。



「草木以上に私も眠いです」

「情けないですねえ。今夜は寝かせないと言ったでしょう。もう少し踏ん張りなさい」

「…………。」


されど平均睡眠時間つねに一日一時間の男は非情だった。
「悪魔め……」ただでさえ血の気のない横顔を睨むと、フェレス卿は視線だけをチラリとこちらに寄越して無言で微笑む。最大の肯定である。私は「ああぁぁぁ」と尻すぼみになる悲鳴を上げながらコントローラーを投げ出してクッションに倒れ込むしかなかった。
何なんだこの悪魔。人への労りや慈しむってことを知らないのか。こちとらあと5時間もしないうちに再び出勤なんだぞ!



「………………名前さん?」


ツンツンと頬を突かれたが、目を瞑って無視した。

「え、ちょっと待って下さい、本当に、寝て? ……夜はまだまだこれからですよ? せっかく貴女と全身全霊で遊べるよう、昼間のうちに全キャラレベルマにして隠し含めた全てのステージを解放しておいたというのに!」

「いや仕事しろよ」


あまりにもふざけた発言に、無視するはずが思わず返事をしてしまった。……あー。なんか目も疲れた。長時間、ゲームしてたからかな。眉間を揉みほぐしてから、フェレス卿に背を向けて亀のように身を丸めた。また頬を突かれたらたぶんウザ過ぎてキレるかもしれない。
完全に防御を固めた私の様子を見かねてか、「全く仕方のない人ですね」だなんて呆れ口調で呟いたフェレス卿。
正直、貴方にだけは言われたくないです。


「……1時間ほど、仮眠を取ったら帰ります。明日も仕事なので」

「明日と言うかすでに今日ですけどね。仮眠なんて言わずにむしろこのまま泊まっていけば如何です。貴女の身からして、その方が幾分楽でしょう?」


「人間は脆いのですから、」そう怠惰を生む声音が柔らかなベールのように落ちてきては、私を包む。ひいては何のつもりやら、ポンポンと睡魔を誘うリズムで頭を撫でられた。
ああもう、やめてください。そんなことをされたらあっという間にグッスリいっちゃう。社員寮なんですっていつも言ってるでしょう。朝帰りだってバレたらそれこそ同僚達の話のネタにされてしまうし、制服も皺になってしまう。化粧だって落としてない。分かっている。分かっているのに。
……人をダメにするクッションの名は伊達ではないのだ。

結局、再び意識が浮上したのは朝日が昇ってから1時間は経った頃。「おや、起きましたか。おはようございます」なんて相変わらずコントローラーを片手に呑気にコーヒーを啜っているフェレス卿の隣で、目が覚めたのであった。

……………。またやってしまった……!

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