私と上司の雑な邂逅


ここで少しだけ時を遡ろう。具体的に言うと、3ヶ月ほど前の出来事だ。あの日も私は、基本担当である祓魔相談窓口を離れ、現場の応援要請に借り出されていた。
雪の降る寒い夜だった。学園町の主要交通機関でもある駅構内で上級クラスの悪魔が暴れているとの連絡が入り、総勢60名の騎士團員が招集されていた。
本来、学園には中級以上の悪魔の進入を防ぐ魔除けや結界が張られているから、普通であればあり得ない事件なのだが、まあごく稀にこういうこともあるらしい。
現場の班長から指示を仰ぎ、駅や周辺の路地を全て封鎖した。通常の民間人には悪魔が見えないから、表向きには駅内部に爆弾が仕掛けられた為だと報道された。
私は主に建物の外で、部外者が近づかぬよう警備を任されていた。
時たま鳴り響く爆発音や何かが瓦解していく音を耳にするたび、中で戦ってる人達は大変だなあ、警備で良かったなあと他人事のように思っていたものだ。
中二級階級の私からすれば、上級悪魔との戦闘だなんて絶対ムリムリムリムリ。1分とだって持ち堪えられそうにない。特に最近ではもっぱらゴブリンやコールタールの駆除するのが仕事だった。そんな感じで毎日を暮らしていたので、上級悪魔と戦えなんて言われたらまず卒倒する。

そんなこんなを考えながら、人っ子一人通らない路上で交通整備用のピカピカ光る誘導灯を意味もなく振っていたら、突然ドゴンと近くで何かが破裂するような音が響いた。
どうやら地下の配管工が破裂したらしい。破裂し剥き出しになった管からワアアアァと夥しい数のコールタールが吹き出してきて、その様子を間近で見てしまった私は「……ト◯ロのまっくろ黒助だ」と一瞬現実から逃避した。
そんな間にもあれやこれやとコールタールは吹き出し始め、その中に混じって身のあちこちがドロドロに壊死した上級悪魔が姿を現した。
あ。死んだ。とその時の私は思った。
だって、配置はただの警備だったから、戦えそうな武器なんて腰にさてある拳銃が一本のみ。聖銀は一応装填してあるけれども、ぶっちゃけ弾数は装填してあるもののみで予備はない。……だって配置はただの警備だったから。
ともかく、何も抵抗せずに嬲り殺しにされるのだけは避けたい。拳銃を手に、何発かの弾を敵の足元に撃ち込んだ。撒き散らされる瘴気。破壊される周囲の建造物。飛び散ったガラス片が、多少なりとも腕に刺さる。
とうとう銀弾も底を付きてしまった。そんな絶望と危機に、直面した時。まさに天の助けが、救いの手が、差し伸べられた。


「その心には悪がある。主よ。その行いによって、その悪行によって報い、その手の行為によって支払い彼らに報復したまえ」


短髪で眼鏡を掛けた男が聖書の一節を詠唱している。おそらくこのタイプの悪魔に有効な致死節なのだろう。詠唱騎士は専門分野外だった当時の私にはそのくらいしか分からなかった。が、突如として現れたその男がものすごく強い人なのだということは、何となくその場の雰囲気というか、肌で感じていた。
「大丈夫かい、お嬢さん」完璧な詠唱で悪魔を霧散させた後、男は腰が抜けていた私に手を差し出しながら苦笑した。「すまねえな。建物内部で片をつけるつもりだったんだがここまで取り逃がしちまって」怪我はねえか、とか、そんな単純な一言でさえ。
ほぼほぼ放心状態だった私の心に、優しく染みていく。
その後騒ぎを聞きつけ集まってきた他の騎士團員や、彼の部下らしき人達の会話で、私を助けてくれた男は聖騎士だったのだということを知った。聖騎士とくれば、正十字騎士團の上一級祓魔師の中でも最強の者だけが就くことのできる階級である。
簡潔に言うと、めちゃくちゃすごい人なのである。
そんな聖騎士様の隣に、白いスーツ姿の男が歩み寄ってきて、何やら言葉を交わし合っていた。
ああ、もしかしてあの白スーツ、我らが騎士團日本支部の支部長様なのでは。祓魔塾に通っていた頃や仕事の合間に遠目から見たことがったけれど、こんなに間近で見るのは初めてだなぁ……。なんて思いながら、他の騎士團と一緒に瓦解した道路や飛び散った瓦礫の後片付けをしていた。


「十字学園騎士團、中二級祓魔師。名字名前さんですね?」そうふいに声を掛けられて、顔を上げると、そこには物凄く胡散臭そうな表情をした男が立っていた。
それがメフィスト・フェレス卿であることを理解するのに数秒は掛かった。だって常識的に考えれば、こんなお偉いさんが一介の祓魔師に直接語り掛けてくることなどまずあり得ない。あり得ないはずなのだが……まあごく稀にこういうこともあるらしい。
やばい。今日はトンデモナイ出来事ばかり遭遇する。
固まる思考を他所に、「討伐対象の足止めに一役買っていたそうですね。事の次第は藤本から聞きました。お手柄です。お怪我は大丈夫ですか?」そう、あまりにも予想外な、紳士的な言葉を掛けられて、私は思わず抱えていた瓦礫の破片を捨て、慌てて姿勢を正した。


「は、はい、そうです。確かに私は名字名前です。あ、でも一役買っただとか、そんな大層なものではなかったというか……聖騎士様の活躍と比べたら全然貧相なものなんで、……ええと、」

「………………。」



……言葉に詰まってしまった。いや、なんでそこで目を丸くするんですか?
…………私何か、おかしなこと言いました?
妙に空いてしまった間が、むず痒い。


「フェレス、卿……?」

「……………………は! 私としたことが……! すみません、少々意識が飛んでしまいました☆ 貴女があまりにも……、」


あまりにも。何だ。意識飛ばすレベルで不細工な面だとでも?
不信感から咄嗟に眉を顰めるも、その言葉に重ねるように「オーイ、メフィスト!」と彼を呼ぶ声が響く。
……おそらく聖騎士様だろう。煙草の火を地面で揉み消し、チョイチョイと遠方から手招きしている。
フェレス卿が呼ばれた方角に視線を向けて溜息を吐いた。「あの男ワザと邪魔してるのではないでしょうね」なんて呟きを漏らしながら。優雅にもシルクハットを軽く持ち上げ、「では続きは、またの機会に。 Auf wiedersehen☆」……ドイツ語と思わしき挨拶に、パチリとウィンクを添えて。
降り積もる雪と同じくらい白いマントを翻し、フェレス卿は去っていった。
………………。立場が聖騎士ともなれば、支部長をぞんざいに呼びつけることも可能である、と。この先、まったく使えそうにない知識を得てしまった。
私はぼんやりとそんなことを考えながら、任務の事後処理へと回った。






「名字さんって俗に言う萌え声ですよね」

「…………は?」


駅での祓魔事件から数日後、フェレス卿直々に理事長室に呼び出された時の互いの第一声がそれだった。相手の肩書きも忘れて、絶句する。もえ声って何だ。……燃え声? 松岡○造的な声とか?
反応に困っている間もフェレス卿はペラペラと語る。語り始める。


「ひと目、否、一声聞いて私は確信しました。貴女の声帯が奏でるその声! 昨年放送直後から瞬く間に視聴率を上げ今では神アニメとまで称されるようになった、魔法少女コトハ☆マギカのコトハにそっくりです! なんという奇跡! ……ああ、誤解しないで頂きたい。これは褒め言葉ですから」

「……え? は? コト……え、なんて? 」

「魔法少女戦隊コトハ☆マギカですよ、ククク、知らないのなら特別に円盤をボックスでお貸ししましょう……皆には内緒デスヨ☆」

「誰だよ皆って」



……その頃の私はアニメなんてものに全くもって興味はなかった。
魔法少女コトハ☆マギカが深夜番組のアニメーションであるということも知らなかったし、「円盤? なにそれUFOのこと?」そう首を傾げてしまったのも致し方のないことだと思う。
素直に知らないですと答えれば、本編アニメ24話構成のブルーレイディスクを押し付けられ、興味ないですと言っても「まあまあ是非見てみて下さい、上司命令です☆」と権力を振りかざされてしまっては私も無理やり首を縦に振るほか無い。
手渡された美少女系のアニメキャラクターが描かれたパッケージに、「え、何、支部長ってオタク? 最近で言うオタクってやつなの?」と困惑するも、それをこの場で直接口にすることはさすがに躊躇われた。
てっきりあの時の事件の模様を報告、だとか、そんな感じの呼び出しだと思っていたためについぞ脱力してしまう。
家に帰った後、あまり気乗りしないままにそのアニメを鑑賞した。ストーリー的には、一人の女の子が魔法少女になって、運命に翻弄されつつも敵と戦い、仲間や家族を守る。そんな話だった。
幼児向けアニメにありがちなありきたりな粗筋ではあるが、実際の中身は定番のご都合主義など一切なく、むしろ要所要所で差し込まれた哲学的な比喩表現や奥深さに驚かされたものである。メインヒロインであるコトハに声が似てるかまでは、自分ではいまいち判断できなかったけど。作品自体は素直に面白いとは思いましたよ、ええ。


再び後日、フェレス卿に呼び出され感想を求められたのでブルーレイを返却しながら正直にそう述べたら、やけにキラキラとした目を向けられた。「さすが名字さん、話が分かりますね! 私が見込んだだけはある!」「いや私は未だに貴方が何を言いたいのかサッパリなんですけど」「では次は、二期の視聴にいってみましょうか……そうですね……いっそ私の館にて鑑賞会でもやります?」「人の話聞けよ」……そうした礼儀の欠片も無いやり取りすら経て、ただの上司とも部下とも違う、(とても一言では説明できない)フェレス卿と私の謎の関係性は成立したのである。意味がわからないよ。

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