私と上司の旅先逢瀬


中二級祓魔師名字名前。ただ今、京都へ出張に来ています。

色とりどりの地野菜。程よく出汁につかった湯豆腐。穴子の煮付けに鱧の天ぷら。それらが風流ある器に盛り付けられた御膳料理を前に私は深く深く息をついた。
はあ……。遠征なんて何やらされるか分かったものじゃないし面倒くさいなヤダなあと思っていたけれど。
蓋を開けてみれば、目的は祓魔の仕事なんかじゃなく、今後騎士團に所属することになるという京都の明王陀羅尼宗との交流会のようなものだった。
正十字日本支部からその代表として、老若男女20人前後の祓魔師が選ばれたわけだが、そこにどうして日陰部署である窓口係り要員の私なんぞが選ばれたか理由は定かではない。
……が、京都来てよかったぁと。
日中は現地の研修と称して京の様々な有名所を観光し、美味しい茶屋を渡り歩いて抹茶や菓子を食べ、夜こうして立派な旅館の会席の場に与れた身として、ひしひし思うのであった。
座敷では色んな部署の祓魔師や明陀宗の方々が、酒を酌み交わしては雑談に興じている。
宴もたけなわ、口当たりのいい熱燗で私もほろ酔い気分になりながら隣の人と談笑していると、ポケットに入れていた携帯が突如ブブブと振動し始めた。
誰だ、こんな時に。せっかくイケメンな坊主さんと接点ができたというのに。内心舌打ちをしながら「すみません、ちょっと失礼します」そう断りを入れて席を立つ。
廊下に出て、携帯の画面を開く。メッセージアプリの通知欄には、眠そうな目をした犬のアイコンと、見覚えのありすぎる名前が浮かんでいた。嫌な予感しかしない。


そのまま会席の席を中座して、私はとある襖の前で膝をついていた。
「……あのー。名字ですけどもー」と中にいるであろう人物に声を掛ける。
金箔の散らされた見事な襖絵を見るに、宴をしていた座敷よりも、更に一段上質な個室のようである。まあ、こんなお高そうなお座敷に上がっている人物なんて最早想像に難くない。
思った通りの声音で「ハイハーイ☆」と返事があったので遠慮なく扉を開ける。
まず目に入ったのが、三味線を持った舞妓さんと、華やかな着物を纏った綺麗な舞妓さんが3人。次いでその中心でお猪口を持ちニタニタと笑っているフェレス卿と目が合った。
「楽しそうですね」と言うと、元気いっぱい「ハイ☆」と返される。


「お座敷遊びってやつですか」

「ええ、まあ。貴女も一杯いかがです?」

「……遠慮します。っていうか、その為に私を呼びつけたんですか?」


貴重なイケメンとの出会いに水を差したのだ。いくら支部長であろうともそれがマジなら絶許である。


「おや、怒ってらっしゃいます?」

「当然です。貴重なイケメンとの出会いだったんです」

「それは申し訳ないことをしました。まさか、野に咲く菫草のような名前さんにでさえ春が来ていたとは、露知らず」

「それって確実に私の事貶しにきてますよね……ってそこで何故笑う!?」


いつの間にか、舞妓さんたちは居なくなっていた。
フェレス卿と二人きり、というのはある意味慣れている。慣れてはいるのだが、今回、やけに緊張するのは。部屋の様子がいつもと違うからだろうか、とか。
変なキャラ物柄の浴衣ではなく、彼が普通の騎士團服を着ているからだろうか、とか。そんな思いが胸中グルグルと、渦まいて。何だか落ち着かない。
これって今は仕事モードなの? プライベートモードなの? ……思わず敬語がぶっ飛んじゃったけど、まだ仕事中なら普通に駄目だよね。
変にソワソワしているのがバレたのか、フェレス卿が合点がいったとばかりに手を打った。「ナルホド。もしかして緊張されてます? ならばこうしましょう、アインス・ツヴァイ・ドライ!」その掛け声とともに桃色の煙が立ち込める。
モクモクトした煙が晴れると、そこにはショッキングピンクの痛Tを着てインディゴのジーンズを履き、極めつけ派手な色のフレーム眼鏡を掛けた悪人面がドヤ顔でポーズを取っていた。お巡りさんこの人です。
見るからに怪しさ満点のファッション・スタイルに思わず「うわー」と声を上げると、その反応を前向きに受け取ったのか「このTシャツはイベントの物販に3時間並んで買いました☆」とどうでもいい情報を自慢された。


「さあ準備も出来ましたし。行きましょうか名前さん」

「はあ? 行くって……どこにですか?」


そんな話は一言も聞いてない。



「勿論、京都観光……いざ聖地巡礼デス☆」


そんな話は一言も聞いてない。




新月を迎えた夜の街。京都の中心街を地図を片手に、私は何故こんなことになったのかと頭を抱えながら歩く。
隣では変装した(つもりなのだろうが痛いTシャツのせいで逆に目立っている)フェレス卿がワクワク顔で街の景色を見渡していた。
「実は京都はコト☆マギの舞台なんです」「はあ……そうなんですか」「他にも……といった作品や……が有名でしてファンの間ではそれはもう、――、――。」……途中から面倒くさくなって聞くのを止めてしまったが、まあつまり〈そういうこと〉らしい。
薄々だけど、自分が特別出張部隊に選出された理由が見えてきた気がする……。
「次は6話の背景で登場したあの橋ですね」とか、「ここが初戦闘シーンの舞台ともなった住宅街です」だとか、目的地につく度、楽しそうにパシャパシャとデジカメで写真を撮り始めるフェレス卿を眺めながら思った。これ、いつものただのオタ活だわ。

最後に、作中でコトハやその仲間たちが誓いを立てあった京都タワーに登って、聖地巡礼とやらは幕を閉じた。
タワーの最終入場時間はとうに過ぎていたので、正確には登ったという表現は適切ではない。まあ安直に言うと、舞い降りたのだ。フェレス卿の、人外的な力で。タワーの、テッペンに。

風が吹きすさぶその場所で、「ここって絶対一般人立ち入り禁止だよなあというか普通は来れないよなあ」なんて考えながらも、「最高の眺めですね!」――……やらかした当の本人、フェレス卿がご満悦そうなので口にするのはやめておいた。
下手打ってこの場に置いていかれたら堪らない。


「名前さん名前さん、ここは一つ、コトハっぽい台詞を喋ってみてはくれませんか」

「…………。“アンマリだヨー、こんなのってナイヨー”」

「清々しいまでに棒読み……!」

「いやだって恥ずかしいですし。たぶん、というかフェレス卿が言うより声だってあんま似てないですし」

「そうですか? 確かに演技の上手い下手はあるかもしれませんが……それを差し引いてもいい声だと思いますがねえ。私は好きですよ、貴女の、その声」

「……アリガトウゴザイマスー」


いくら煽てたってそうは乗らないぞ。いい声だと褒められて悪い気はしなかったが、油断はしない。
逆に顔を顰める私に、「では、」とフェレス卿が屈んで視線を合わせてくる。ちょ。近くない。距離、物理的に近くない。


「……では、代わりと言っては何ですが私の名を呼んでみて下さい」

「割りといつも呼んでますよね、フェレス卿」

「いえ、そうでなく」

「……ヨハン・ファウストさん?」

「落第点ですなあ」



ここで呼んでおかないとタワーに置いてけぼりにされるかもしれない、と。思いつく限りの名前を従順に上げてみれど、どれもこれも首を振られ、彼のお気には召さぬらしい。


「…………メフィスト氏、」

「惜しい」


いや、これ以上貴方の名前知りませんて。物質界でどんな名前や偽名を語ってきたか知らないけれど、そろそろ合格点を下さいませんか。いい加減夜風が冷たくなってきました。
そんな私の様子にやれやれと肩を竦めながら彼は名乗った。


「是非、サマエル、と」


……一瞬、全ての時が止まったような気がした。
眼下に広がる街の喧騒も、遥か上空に居る私達の時間も。



「……え、……いや、それっ、て」


ちょっと待って。それって、一介の祓魔師が気軽に呼べるようなものじゃあなくないか。そんな私の動揺を余所に、「上手に呼べたら帰りにスタバで温かいラテを奢りましょう」とフェレス卿が宣う。
……いやいやいや、いくら彼の正体が、実は悪魔の中でも高位の権力者『時の王サマエル』だと、祓魔師の中でも周知の事実であるとはいえ。それは暗黙の了解であって、おいそれと口にできるようなものではない。仮にも八侯王としての名前ですけど、そんな軽いノリでいいんですか?
あとで首とか飛ばない?



「…………。」


私は悩んだ。これは由々しき問題だ。なんせ一般的な企業で当てはめるなら、社長を、もしくはその裏にいる会長を、呼び捨てで呼ぶようなものである。ニッポンの縦社会ではあり得ない事態だ。この悪魔は何を企んでいるんだ。
そこまで考えてふと気づく。そうだ、悪魔なんだ。人間としての常識を当てはめようとすることこそ、可笑しいのかもしれない。それに早く下に降りたい。



「………………さ、……サマエル、さん」

「…………。ハイ☆ 何でしょう?☆」


……一大決心して呼んだのにサラッと流されるような返事をされたのが、何だか少しムカついた。いや。別にいいんだけど。別にもっと違う反応が欲しかったとか、特にそういうんじゃ、ないけど……!
意味不明な悔しさと羞恥に、相変わらずヘラヘラとした上司の顔をキッと睨み上げて「……っ! メープル&キャラメルクリームラテに、生クリーム追加でお願いします。トールサイズで。あと、アップルパイも」そう一気にまくし立てたら、それが一体、どんなツボにハマったか。フェレス卿は「ブフウっ」と大きく吹き出した後、その場で2分は腹を抱えて笑っていた。
…………。寒いし、あちこち引っ張りまわされて足も疲れたし。ついでにいらぬ恥すら掻かされた、気分だし。
コト☆マギの聖地だか何だか知らないけれど、京都なんて、もう二度と来ない。

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