憂鬱なレイニーデイズ2


叩きつけるような雨に、泥水が跳ねる。雷まで交じる酷い天気だ。常に閑古鳥が鳴き気味のうちの店ならいざしらず、いつもは賑わいを見せているメインストリートでさえ閑散としていた。
直したばかりのラジオからはお洒落なジャズ・ミュージックが流れている。今時の若者なら誰もが知っているような流行曲のアレンジだ。わたしはカウンター裏で、そんなポピュラーなメロディーに小さく鼻歌を乗せていた。
「随分ごきげんだな」そう同僚が、声を掛けてくるまでは。


「預言者新聞のガリオンくじグランプリでも当てたか? 一等? それとも二等?」

「チャールズ……。わたしの唯一無二の憩いの時間を、邪魔しないでくれる」


非情に遺憾である、という気持ちを込めて眉根を寄せると、隣に並んだチャールズは肩を竦めた。


「おっと、そりゃごめんよ。君があの客ばかり見つめてニヤニヤしてるもんだからさ」

「当たったかもしれないでしょ、700ガリオン」

「いや、それはないね。当たってたらまず、君はこの一目散にこの仕事を辞めてるよ」

「…………悔しいけど、ジャックポットね」


もしそんな大金があったら、こんな普通の生活からはさっさと抜け出している。「だろ?」としたり顔で口角を上げたチャールズに返事をする代わりに、彼の革靴を軽くつま先で蹴っておいた。


「そもそもあの男は何だよ?」

「知らない? 私達の3つ下で、同じホグワーツ出身だけど」

「知らないね。俺は俺以外のハンサムに興味がない」

「はいはい、そうでしたね」

「名前はああいう男がタイプだったのか」

「…………いい? チャールズ。あなたには理解出来ない分野かもしれないけれど。誰が見ても、心惹かれる。美術品って、そういうものなの」


そして美術を愛でる時間に、無粋なお喋りは不要だ。
最奥のテーブルで、今日もまた一人静かに書類を広げながら身を休めている彼に、わたしは再び視線を送る。
いつ見ても綺麗。いつ見ても格好いい。チャールズみたいなイケメンは3日で飽きると言うけれど、彼はもはや、次元が違う。彼は神が作り給うた、芸術だ。
相変わらず自己流で淹れているコーヒーを啜った。
まだ仕事中なわけで、従業員が本当はこんな優雅にお茶なんてしてはいけないのだけれど、彼の他にお客はいないし、特筆、急がなければいけない仕事もない。


「そんなに熱い視線を送るくらいなら、いっそ声を掛けてみればいい」


わたしを見て呆れたようにチャールズが溢したけれど、スルーした。
チャールズは本当に分かってない。
こうして彼を眺めながら、彼と同じ味のコーヒーを飲む。誰にも邪魔されない、ひと時。それだけでも結構、幸せに満たされる。



別に、これ以上を望んでいた訳ではなかった。彼がお店に来店したら、グッド。
オーダーで呼ばれた時やお会計の際に、目と目が合えばグレート。短い挨拶でもできたら、エクセレント。そんな風に、ささやかな出来事を楽しめれば、それで良かった。なのに、どうしてこうなった。

久しぶりに手伝いを頼まれ、店番をしていた伯父の店。
身内目に見ても怪しい商品ばかりを扱っているこの店を母は昔から嫌っていたけれど、退屈なカフェの店員をするよりも伯父の店の掃除をしている方がわたしは好きだった。
乱雑に並べられた仮面や剥製の間の埃を杖で吹き払っていたわたしは、クローズドの札を掛けていたというのに開いた入り口を見て、硬直した。
何故あなたがここに。そんな驚きが一瞬にして肥大し、弾けて、混乱に変わる。
相手も同じ思いを抱いたらしい。紅い瞳を見開いて、「君は……」と呟いた声には、少なからず動揺が含まれていた。




先述の通り、母はこの店『ボージン・アンド・バークス』を嫌っていた。兄である伯父さえも嫌煙していた。
儲かればいいという理由だけで、伯父は下手をすれば法に触れるような商品をいくつも抱えていたからだ。加えて、胡散臭いばかり連中が屯うこの通りの名はノクターン横丁。
当然、母はわたしをこの店に近づけるのを嫌がった。日に当たるダイアゴン横丁の外れからさらに横道に逸れた場所にある、光の届かないアンダーグラウンドなど、娘には悪影響だと判断した為である。
本当はホグワーツを卒業したら、この店で働きたかった。奇妙な骨董品や、危うさを伴った希少な物品は、幼い頃からわたしの目にはとても魅力的に映っていたのだ。
しかし、どんなに興味を抱いていても、母はこの店で働くことを許してくれなかった。なので仕方なく、現在はここからおおよそ近いダイアゴン横丁のしがない喫茶店に従事している……フリをして、休みの日には伯父の店をこっそりと手伝っている。
そんな折に出会ってしまった馴染みの顔。それも想定外の場所で、さらには一度でなく、二度も。
わたしは彼、ミスター・リドルに、特筆包み隠さず、これまでの経緯を打ち明けた。彼とこんなに長く言葉を交わしたのは、初めてだった。


「僕もこういった骨董品には興味があってね」


そして意外なことに、彼は伯父の営む『ボージン・アンド・バークス』の従業員だった。
黒スーツの袖から覗く手首を伸ばし、棚の一角に飾られていたドラゴンの頭蓋骨を白魚のような指が撫でていく。その指のひとつには、アンティークの指輪がそこにあるべく姿のように、さも自然な様子で納まっていた。

ちょうどその後すぐに伯父が出先から戻ってきて、「事後報告で悪いが」といった前置きと共に、彼の事を紹介をされた。3ヶ月前に雇った優秀な従業員らしい。
わたしに向き直った彼の双眼がつと緩んだ。表から裏へと回転するかの如く、無機質だったものから大きく変化したそれに。戸惑いを覚える。
また、だ。また、あの感じ。危険なものを危険だと知らせる警報のようなものが、鼓膜を震わせている。
例えば伯父から絶対に触ってはいけないと戒められたオパールのネックレスを、眺めている時のような。例えば、開けてはいけない禁断の箱を前にしている時のような。

……されど何故か、脳の中枢までは伝達されない。「どうぞ、改めてよろしく」と述べられた甘い声音が、正常であった思考を緩やかに溶かしていく。

ALICE+