ミモザの心臓


今日も元気に任務を終えて、上司に報告も済まし、さあ帰ろうと本部の通路を歩いている途中。
太陽の光をキラッキラと反射させた男が歩いてくるのが遠目に見ても目に入ってしまった私は、「げっ」と眉を顰めながら慌てて柱の陰へと身を隠した。
奇抜かつ個性的な形状をした、純白の騎士団服。疎ましいほどにサラサラと靡く金髪。
眩しい。眩しすぎる。いや。憧れだとかそういう前向きな比喩表現は一切なくて。主に物理的な、意味で。


「ていうか何あの白バラ。ただでさえ目立って仕方がない恰好なのに、なんであんなの口許に添えて持ってるの。意味分かんないんですけど」


私は目を眇めつつ、柱の陰で男が通り過ぎていくのを待った。
羽みたいなマントがひらひら揺れる後ろ姿が見えなくなるまで、辛抱強く潜む。
私の存在には一ミリたりとも気づいていないようだった。セーフ。

……誰だとて、苦手な人種の一人や二人は、いるだろう。
私にとってアーサー・オーギュスト・エンジェルが、まさにそれだった。
嫌い、というわけじゃ、ない。過去に何か屈辱的な行為を受けたとかでも、ない。では何がそんなに苦手要素とたり得るのか、「やあシェリー。俺に会いに来たんだな? ハハハ隠さなくていい、時には素直で居ることも大切だ」……こういう所である。
廊下の角を曲がっていったシーンまでしっかり見届けたはずなのに、何故私の後ろでニッコリ笑っているんだ、アーサー・オーギュスト・エンジェル。
舌打ちを隠せない。たまらず、「トリプルA野郎め」と吐き零すと、当の本人はしっかりとそれを聞き取った上で「ん?」と首を傾げてみせた。


「そのトリプルAってもしかして俺のことかな?」

「そうですよ」

「その心は?」

「AHO、HAGE、Angel。ちなみにシュラは、BAKA・HAGE・Angelがいいと言い張ってたんですけど、それではクアドラプルAになってしまう為に却下しました」

「ハハハ面白いジョークだ。しかしちょっと辛辣すぎてさすがに泣くぞ」


……泣くぞと言う割に少しも笑顔を崩さないエンジェルがどうにも理解できない。
どうしてこやつめは私なんかに無駄に絡んでくるのか。
特別親しいというわけでもない。直属の上司というわけでもない。こうして顔を合わせた時に、和やかとは表現し難い会話を交わす程度の仲である。
彼の思惑が、企みが、どうにも見えてこない以上、私はどうしたって「どうぞ泣いて下さい」だとか「はっきり言ってウザイです」だとか、そういう突き放すような言葉ばかり返してしまうのだ。
理解できないものは遠ざけてしまうが、ヒトの性。
いちいち気障ったらしい台詞を壊れたスプリンクラーみたいに止めどなく撒き散らしてるのも癪に障る。この間、事務の女の子に似たようなこと言ってるの見たし。私だけじゃないみたいだし。
縁あってヴァチカン本部に移動になってからは異文化コミュニケーションにも慣れてきたつもりだったけど、生来生粋の日本人としてはこのノリはどうにも面映ゆいというか受け付けない。
そもそも、彼は私の名前を間違って覚えている。私は名字名前であって断じてシェリーなんて名前じゃない。つか誰だよシェリーって。どこの女だふざけんな。

そんなことをあれやこれやと考えていたら、何を閃いたか突如オーギュースト卿が整った細眉を自信たっぷりにキリリと上げた。


「Ace・Attractive・Angel」

「はい?」

「もしくは、Arthur・あなたを・愛してる、でもいいぞ。……ふむ。若干苦し紛れの語呂合わせだったが、それも割りと本気でアリだな。是非君の口から聞いてみたいものだ」

「えええええナニソレきもいきもい……」


何なの何なの、まじ理解できないこのハゲ。いくらキザだからってここまで言うか。
精一杯表情を歪めてみせるもオーギュスト卿はそんな私を見越した上で得意げに鼻で笑った。そういう所も理解不能。
やっとこさ、「それこそ面白い冗談ですねー」なんて口にしてみたものの、まともにオーギュスト卿を見られずキョロキョロと視線のやり場を探してしまう。収まれ私の心臓。


「そういえば、ちょうど君を探していた所だったが、こんなにも都合良く巡り会えたとなると最早運命さえ感じるな」


あれのどこが都合よく、なのか。甚だ疑問である。そもそも物陰に隠れていたはずなのに、どんな方法を使ったのかひっそり背後に回るとか、恐いんですけど!
そんな思いを知ってか知らずか、聖騎士様は追い討ちとばかりに輝かんばかりのオーラでニコリと白い歯を見せた。


「ん? 何故、顔を青ざめさせる必要がある? ここは大いに照れる所だろうに。解せないな」

「……ええ、全く。解せませんね。何もかも」


いっそ苦虫さえ噛み締めて。私はオーギュスト卿とは真逆の方向に顔を背けた。
とにかく非常に、そう、何ていうか首筋辺りがソワソワして仕方なかった。


「これをシェリー、君に渡したい」


そう、意味深に差し出されたのは例のバラ。
純白の、まるでティッシュペーパーのように儚いその花を、渡すために探してたらしい。私を。わざわざ。
ここは苦笑いでもして軽く受け取っておくべきなのか、それとも謹んでお断りするべきなのか。たった一輪の花を前に、何故かこんなにも思考はぐちゃぐちゃに絡み合う。
ああもうこの程度で混沌としてしまう低スペックな脳みそを、いっそそのバラと一緒にゴミ箱にでも叩きつけてやりたい。
悶々とそんなことを考えながら動きかねていると、オーギュスト卿が小さな溜息を吐いた。
「これでも駄目か……」なんて小さな呟きをした後に視線を斜め下に逸らして、荒々しい造作で自身の髪を梳きながら。
けれどそんな珍しい光景も一瞬で、再び顔を上げた時には既にいつもの悠々たるオーギュスト卿の表情が生成されていて、まるで当然のごとく私の髪へと触れてくる。
すぐに彼の手は離れていったけれど、ちょうど緩く結っていたサイドテールの縛り目にはバラの花が挿し込まれていた。
「え、」そんなたった一文字を紡ぐ私を穏やかな目で見つめながら、「君に似合うと思って」と言って微かに笑った。
顔のすぐ横からふわりと香る甘くて優しい匂いに、気を取られる。


「それでは、また」


そう言って、いと呆気なく身を翻し去っていく後ろ姿。そしてその背を覆うマントに容赦なく照りつける太陽光。くそ眩しい。この反射の眩しさは、はっきり言って公害レベルだと思う。
通路のど真ん中に立ち戻りつつ、勝手に髪に差し込まれた一輪の花をどうしたものかと触ってみたものの、まあ、健気に咲き誇る花自体に罪はないのだ。
取って捨てるにも罪悪感が湧いて、私は天を仰いで細々とため息を吐き出した。
結局、今日もまともに名前は呼ばれなかったな。シェリーって誰だ。

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