嗚呼愛しのジュリエッタ


出会った時の素性なんてものは、関係なかった。
彼が例え何の職種だろうと私は興味がなかったし、たぶん彼の方もそうだったのだろう。
ただ、夜のノクターン横町の辺境にあるとあるパブで初めて彼を見たときの印象は、どこかの純血金持ちボンボンかと思った。
それほど彼は上質な漆黒のスーツを着こなし、仄かに香る甘いコロンを纏わせ優雅に私の前に現れたのだ。
その日は満月が美しい夜だったけど、気分的に晴れなくてやけ酒を浴びるように飲んでいた。そんな私に声を掛けてきたのが彼だったのだが、今となっては、私は大層凄い人に話し掛けられたもんだと我ながら感心する。




「何であの時貴方は私を見初めてくれたの?」



私の着るドレスを大きなクローゼットから丹念に選んでいた彼は「ああ、」とか生返事を返し、結局は緋色ランジェリーのようなドレスを手にし私の前に戻ってきた。
しかし最後まで悩んでいたのであろう、銀無垢色の絹のドレスも抱えながら。



「……またなの? 貴方以外と優柔不断よね。ヴォルデモート卿のくせして」



ベッドに座り足をブラブラさせながら、彼を見上げる。
キングサイズに天蓋つきのベッド。彼と出会うまで、自分がそんな寝具で寝られる日がこようとは夢にも思わなかった。
育ての親には、満足な暮らしをさせてもらったためしがない。三度の食事さえままならなかった私が、まさかの天蓋付きベッドに朝昼晩と毎度の高級食品フルコース。
彼と巡り会った瞬間は、まさに私の人生の最大好機といえよう。




「どのような服でも似合うというのは、ある意味考え物だな」

「何それ」


今まで纏っていた藍色のドレスを脱がせ、彼は私の肩に二種の布を掛ける。ふむと呟いて見比べたあと、真紅のドレスを私に着せた。
されるがままに身を任せていたが、何だかふと、私は着せ替え人形のようだと思った。



「お前は俺様の伴侶だ。美しく着飾ってやりたいと思って何が悪い。それとも、何か不満があるとでも?」



そう言って彼は優しく優しく、私の髪を梳く。撫でる様に何度も通り抜ける微弱な温もりに、そっと手を添えた。




「いいえ。不満なんて、あるはずない」


首を横に振った。

これだけの極上の暮らしと扱いを受けているのに。不満なんていったら天罰が下るだろう。



彼はあたしの頬に滑らせるように手を這わせ、思う存分身体の上から下まで眺め尽くした後に、満悦至極というかの如く唇を歪ませ微笑んだ。




「名前……お前は美しい。その顔も、陶器のような肌も背筋や足首の形まで何もかも……、全ての要素が俺様を惑わす」



美しい人に「美しい」と褒めそやされて、なんだかこそばゆくなった。
まあ確かに私の見て呉れだけはそれなりだろうが、何分育ちが育ちだし、彼のような高貴な匂いを纏うそれとは釣り合っていない。
未だに自分の過去や生まれについては語ってくれないけれど、それでも質の高い教育を受けていたのだろうなという印象はある。
それこそ、幾人を惑わすような優美さだ。

暗い色を宿す血の色の瞳。指長さや真っ黒で癖のない髪。深みのある、声。
私を包むその手のひらも、焦らすように軽く啄ばんでくるその唇も。
彼を成り立たせる全ての要素が、私を惑わす。



ゆっくり押し倒してくる力の流れに委ね、さらさらと上質な絹のシーツに身を沈めた。
肩紐を下ろし、胸元をまさぐってくる手の動きに、どうせまた脱がすのなら着せなきゃいいのに、とも思う。



彼の愛撫を受け入れる傍ら、視界の隅に、ダイヤの嵌ったプラチナリングが映る。私の左手の薬指にぴったりと収まるそれは、薄暗い中でも際立って見えた。



指輪は彼が贈ってくれたものだが、よくよく考えるとこの結婚紛いの真似事に、笑いが洩れそうになった。




神に誓えるほど、愛なんてないくせに。





「変なの。ええと、こういう時って何て言うんだっけ」

「一般的に述べれば、愛してる」

「違う違う。思ってもないこと言わないで」



私だって、よく知らないけれど。
相手の幸せを願えることを愛と呼ぶのなら、たぶんこの感情は、もっと別物。



「そんなの理解できない。だって私、もし貴方が他の女に目を移したら、貴方を殺しちゃうかもしれない。貴方の事情なんてどうでもよくて、私は貴方が誰かに盗られるのは嫌なの」



だからこれって、愛じゃないよね、確実に。

……愛じゃないけど、独占もしたいし貴方に独占されたい。彼が考えることは、私だけであって欲しい。私だけでなくちゃ駄目。むしろ私だけでなければ許されない、許さない。




「………。可愛いことを言ってくれるな」

「……可愛いかな」

「ああ。とてつもなく」

「なら貴方の思考って、やっぱり歪んでるわ」



ぎゅっと強く抱きしめてくる彼の背に、私も腕を回す。
彼が纏う香りに、酔いそうになった。

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