含みたい衝動


「我が君の眼球舐めたい」



猫を抱き上げてその瞳を覗き込みながら、ありのままに願望を呟いた。

ガチャン、と何か割れるような物音が響く。
柔らかなソファに埋もれる身体を捻って音のした方へと振り向いてみれば、あからさまに「ドン引き」といった顔をしたアブラクサスがいた。
どうやら手にしていた酒瓶を落としたらしい。
「すまない」と軽く頭を下げて、わたしから目を逸らした彼に、一言。



「もしかしてキモいとか思ってる?」

「…………いや。中々に無謀な……勇気ある発言だと思ってね……」

「それはどーも。……あと、言っとくけどそのお酒、高かったんだから。ちゃんと弁償してもらうからね、マルフォイさん?」



ワザとらしく溜息を吐いて、猫を床に下ろす。
代わりに杖を胸ポケットから取り出して「スコージファイ」と唱えれば、割れた酒瓶も零れた液体も綺麗さっぱり無くなった。



「それは構わない……好きな銘柄を言ってくれれば、ダース単位で君に贈ろう。だが、あまり先程のような事は……いくら君でも、軽々しく口にするべきではないな」

「ええ? ダースでくれんの? やった!」

「話を聞け」

「ふふ、ガツンと一発強いやつをお願いね、アブ。あの人を酔っ払わせて、イエスと言わせて見せるんだから」

「…………何に」

「だから眼球舐めたいって話!」



もう駄目だと言わんばかりに遠い目をし出したアブラクサスに、わたしは笑顔で返答した。








学生の頃から、あいつは綺麗な顔をしていた。
男の子なのに、そこらの女の子より滑々な肌をしていて、甘いマスクと涼し気な目元、セクシーな声とそれを紡ぐ唇。
そんな衆目美麗に加えて成績優秀、教師たちからの信頼も厚い。

なのに本当は、やつのお腹の中なんて真っ黒け。
冷酷無慈悲。心をバールでぐちゃぐちゃに抉ってくるような嫌味だって、ばんばん口にするし、そんなあいつの本性を知っているのは、あいつを「ヴォルデモート卿」崇める一部の人間だけ。

わたしやアブラクサスといった、一部の人間、一部の、……しもべ達だ。

まあしもべと言っても、何だか面白そうだからわたしはあいつにくっついているだけであって、あいつの思想だとかは正直、半分も理解していない。
ややこしいマグルの精密機械に付属している説明書や、細かい文字でびっしりと魔術理論が書かれてる教科書と同じで、何度説明されてもそれらの言葉はツラツラと、右の耳から左の耳へ通り抜ける。
とりあえず『闇の帝王』なる中二病全開の支配者っぽいものを目指してる……ってことだけは理解できたけど。
ただ小難しい顔で己の考えを何度もわたしに説き伏せようと努力しているあたり、あいつもまだまだ十分可愛いと思う。






「名前、これを」


リド……否、我が君に差し出された革張りの箱が2つ。


「そこらの魔法使いや魔女では、一生お目に掛かれない代物だ。それを見せてやるのだから、君は光栄に思え」

「はいはい我が君、いつだってあなた様にゃあ光栄に思っておりますとも」


かと言って、「これを見てみろ」と催促されても、正直、箱の中身よりもあきらかにウキウキ気分でわたしの部屋に入ってきた我が君の方に「どうした」と問いたいし、気になる。
長年の付き合い兼友人であるわたしの見立てでは、まるでスキップしだしても可笑しくはないレベルで、上機嫌だ。

現勤め先であるボージン・アンド・バークス店で、何かお気に入りの物品でも手に入れたのだろうか。



箱が開けられて、ばばんと登場したのは金製のカップとロケット。
カップは入念に包まれた絹の上で艶めかしく光っていたし、ロケットはロケットで真紅のビロードの上にずっしりと鎮座していた。

……まあ見るからにお高そうである。

アブラクサスに割られたお酒が何本買えるだろうかとわたしは内心計算しながら、何のリアクションも返さないのは我が君の気に障るだろうと思い声を張り上げた。




「わー、すごーい、超絶きれー」

「…………心にもない棒読みの賞賛をどうも」



ピリッと辛口の返答とともに寄る眉根、「このゆるふわ頭に物の価値を分かれという方が難しいか」だなんて辛酸含んだ呟きも、しっかり聞こえてきた。

その後、ここに穴熊の刻印があるんだとか、S字の装飾文字がなんたらだとか、色々とご説明下さる我が君だが、わたし、残念なことに骨董品とか、興味ないし。

けど、その説明してる時の、愛おしげにカップの持ち手に指を絡ませるリ、……我が君の眼は、すごく、綺麗で。

爛々と、光る紅。


舌舐めずりをする蛇のように、じっとりとした気配を纏わせて、絶好の獲物を眺める我が君の眼が恍惚に色づく。


元々、学生の頃から、その傾向は多少なりともあった。
感情が著しく高揚したり、激昂した時に、リドルの眼は、紅く燦めく。
元々テンションの高低差が然程ないやつだったけど、それでも、7年間一緒にいれば、普段見えない(あえて見せない、のだろうが)ものも、見えてくる。


水晶玉の奥底よりも深い色をした神秘的な紅。
綺麗で、綺麗で、欲しくなる。
触りたい。あわよくば口に、入れてみたい。
その宝石のような瞳を、この口に。



……アブラクサスに「眼球舐めたい」とかついつい溢しちゃったけど、あれ、結構、いや、かなり本気だったり、する。

度数の強いアルコールを口に含んで消毒すれば、現実、舐めることも可能なんじゃないだろうか。
一応、雑菌が入らないようにして、ほら、マグルのコンタクトレンズ、とかいうやつを入れるのと同じ要領で。
飴玉を口に入れた時のように、ゆっくりねっとり、舌を這わせて。
慣れない感覚に戸惑う我が君の身動ぎなんかを、この掌で感じたりなんかしちゃったりして。

…………おひょっ、官能的。






そこまで妄想した所で我に返ると、我が君は大変胡乱げな目つきでわたしを見つめていらっしゃった。

わたしと我が君の間に漂った微妙な空気を取っ払う為に、急いで口を開く。
とりあえずここは我が君が喜びそうなこと言って、テキトーに持ち上げておこう。
あいつもそんなにカップとロケットが気に入っているのか、珍しく嬉しそうにしているし。


「……あっ、うん、良かったね! いい物ゲットできたじゃん! あっ、なら祝杯でもあげなきゃね! アブにいいお酒持ってこさせるから! ガツンと一発、強いやつ!」

「…………先に言っておくよ。もし、そこに少しでも邪念を抱いていれば、アバダ・ケダブラでさようなら、だ。名前」

「ははははははは! そんなわけないってば! 我が君も疑り深いんだから!」




………………暫くは妄想で我慢しとこっと。

(それが極めて英断だったと知るのは、また別の日のお話。)

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