弱き者よ汝の名は女なり


目的は達成できぬまま、ついに日が暮れた。日本とは全然違う、どこかファンタジックな町並みが色を失い始め、夜に包まれていく。
トボトボと、寝床であるパン屋に向かって歩いた。丸一日歩き続けて足は棒のよう。

自分の育った環境がいかに恵まれていたか、思い知らされた。本来守ってくれるはずの親となる対象がいない子供は、こんなに大変な思いをしているのかな。

もう、帰りたい。元のわたしの世界に、戻りたい。……でも、わたしは一体どうやってこの世界に飛んだのかさえ、分からなかった。戻る方法など、見当もつかない。
このまま、この世界、この知らない町の中、強かに生きていかなければいけないのだろうか。自分の力、だけで。


……そんなの、できっこない。
仕事一つ見つけられないわたしが、この先どうやっていくの。幾度も考えてきたことを再び頭の中で整頓してみる。それでも、道を指し示してくれるような答えは欠けらも出てこなかった。





「そこの方、うちの店に寄ってかない?」


大人が主体となり始めた時間帯。通りでは、甘い声で女の人が男の人に声を掛けていた。
露出の高いドレスのスパンコールが反射して、煌びやかなネオンと一緒にチカチカと光る。



「……はは。さすがにこれはない、かな」



ようするに、この女の人たちは、男と酒を飲み一夜を相手にすることで収入を得ているわけで。
そういったこととは無関係な暮らしをしてきたわたしでも、一夜を相手に、が、まさかトランプゲームなわけがないことぐらいも察しがつく。……ようするに体を売る。ようするに、ようするに。

お酌するくらいなら、キャバ嬢になったつもりにでもなれば、できなくはない。ただそれ以上のことが、たとえソレが生き抜くためであっても、わたしにできるのかと問われれば、……。生か死か。いや違う、性か死か?んん。くぉお。頭を抱えてしまう。



港から近いこの土地では男の入りも多いらしく、この町自体にもそういった店は多く点在している。
働き手を募集している所など、探せばいくらでもあるだろう。

可愛いとか美人だとか、そういった褒め言葉とは不釣合いな、どこをどう見ても平凡なわたし。
夜の世界とは、一生縁が無いものだと思っていた。


お腹がぐうっと音を鳴らし主張した。もう手持ちのビニール袋の中身は、空っぽ。
明日も、パン屋の主人は余り物をわけてくれるだろうか。いい加減追い出されなくて、済むだろうか。それさえも確信は、ないのである。






媚びた声で客を呼べだとか。胸を押し付けて相手の気を引けだとか。
生まれてこの方、恋人だってまともにいなかったのに、何という難題を。


次の日、町の外れにある風俗店に赴いた。ギクシャクとオーナーの面接を受ければ案内すんなりと採用され。
服は今着ているいるものしかないと言えば「ドレス代は店側で貸してあげるからこれ着なね」と、やけに煌びやかでエロチックなドレスを渡された。
……店に早速、20万ベリーの借金ができてしまった。つまり、この分を返済するまでは、店を辞めるに辞められなくなってしまった。

なんだか罠に嵌ったようなと薄々思ったが、泣き言など言っている暇は無かった。
もう仕事を見つけたので、とパン屋の主人の差し入れを断ってしまったし、小麦粉倉庫ともおさらばしてきた。
いつまでも居座るのは、さすがに申し訳なかったからだ。

もう後が無い。これから、わたしは、死に物狂いで頑張るしかないんだ。



店の前に立って客引きをするのは新人の役目だった。
かといってわたしが積極的に客にアタックできるわけもなく、いつも他の子たちの背中に隠れるようにモジモジしていた。
死に物狂いで頑張る、とは言ったものの無理だ。普通に、無理。わたしには、無理無理無理無理。


「あー、ちょっとちょっと。また君だけ客捕まえてないのー? しっかりしてよホント」


ついにオーナーに怒られた。


「住む場所まで用意してやってるんだからさー、その分働いてよホント」


口癖のようにホント、と語尾に付け加える、中年の男が憎い。イラっとくる。けど経営者に逆らったら終わりだ。クビになるのが目に見える。ただでさえこのオーナーは神経質そうだ。触らぬ神に祟りなし。
それに、わたしが働きに値していないという指摘は外れていないので、黙って下を向いた。

もういいから中でヘルプに入ってと指示され、店内に戻る。
くるくる回るミラーボールは妖しげな雰囲気を醸し出して、ドンドンとうるさい位に音楽が流れている。各テーブルで絡み合う男と女。きつい、アルコール臭。

……しゃがみ込みたくなった。
わたし、何でここに居るんだろう。
絶対、場違いだ。






寝泊り用として用意された部屋は、店と連携し経営してる宿の二階の端にある一室だった。つまりは、売春宿である。
いかにも低費用で作られたようなその宿。部屋を仕切る壁の厚さは薄くて、隣で行われている行為の音までもが筒抜け。
とても、不快だった。ニスが所々剥げ落ち、黒ずんだ安っぽい板を、睨みつけた。


部屋に入ったのは朝日が昇るより少し前。
結局わたしは誰からも指名されることなく、初の職務を終えた。指名なんて、なくてむしろ万々歳。
無事に操を守ったことに喜びはするものの、オーナーから明日は客を取れときつく言われ、内心は複雑だった。

また、お腹が、きゅうぅうと鳴る。
店では緊張して、お酒も食べ物も碌に喉を通らなかったせいだ。


どこからか聞こえてくる、誰とも知れない女の人の声。
ああいう風に喘げば、きっと男の人は喜ぶのだろう。それでもわたしが真似できるとは到底思えなかった。

久しぶりのベッドに潜り込んで、全ての音を遮断するようにシーツを頭まで引っ張りあげる。
マットレスは、身を休めるには不十分なほど、固かった。



眠りにつこうとしても鳴り続けるお腹の悲鳴。
もう何日もまともに食事をしていないのだ。栄養素を求める体に謝罪する。不甲斐なくてごめんよ。
次こそは、必ず料理も食べてやるんだ。


思えば、ハートの海賊団の船を降りてから、わたしはお腹を空かせっ放しだ。
彼らは、どうしてるだろう。島を出向するためのログは、明後日には溜まる、のだっけ。だとしたら、それ以降はきっともう二度と、会うことも無い。


……。それがどうした。
お別れしたというのに、未練がましい自分が嫌になる。



ぎゅっと目を閉じて、そんな未練を断ち切るように全ての思考を遮断した。



目が覚めてから、出勤する仕度をする。
ドレスを着て下に降りれば、オーナーに「今日こそは成績挽回してね、ホント」と肩を押された。

暗がり始めた通りは、ピンクや青のネオンで埋まる。
わたしは昨日と同じように後方で動けずにいた。はやくお客さんを誘わないと、また、怒られてしまう。のに、表情も強張って、足は根が生えたように動かない。
同僚の他の女の子たちが次々男の人に腕を絡ませ店に消えていくのを、ぽつんと眺めていた。



「……情けねえ」



人の騒めきの中で、馬鹿にするような男の声がはっきりと耳に届いた。



「生業の向き不向きを考えろ。いくら切羽詰っていようが、色気のひとつもねえ女にこの職は向かないだろ」



静かで低く、それでいて人をジワジワと圧迫するような声音にも。突然背後から言葉を投げかけられる状況にも、思い当たる節はある。
忘れようが無い。それは、つい最近出会ったもの、だ。


振り返れば、長い刀を肩に担いだ船長さんが、いた。



「おれがお前を買ってやろうか?」


ニヒルに口角を上げたその男は、思いもかけないことを言い出した。



「……女性とのお戯れを望むのでしたら、綺麗なお姉さんがあっちに……、」

「売れ残りをわざわざ買ってやるという客がいるんだ。そこは逃げる場面じゃないだろう」

「う、売れ残り……」

「そもそも商品に拒否権があると思うなよ」

「……」



言って良いことと悪いことの判断くらい、して欲しい。
どれだけ歪んだ性格なんだ、トラファルガー・ロー。

けれど彼がわたしの腕を掴み店に入れば、お姉さん達が色目を使ってチラチラこちらを(主にトラファルガーさんを、)見てきた。
悔しいが、気持ちは分かる。わたしだって、ワンピースを読んでいたときはこの人にトキめいていたさ。

掴まれた腕が痛い。
逃げ出せそうにないほどに、ガッシリと掴まれたそこがジンジン疼く。
それでも無駄な抵抗としりながら足を突っ張ってみたが、その状態のままズリズリ引きずられる。
トラファルガーさんの細い腕のいったいどこに、体重の重いわたしを引っ張る筋力があるのか、ほとほと疑問だった。




弱き者よ汝の名は女なり
(不向きなんて、自分が一番よく知ってる。でもこれしかないんだから仕方ないじゃない)

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