歯車が重なる時
玉座に頬杖ついて座る彼は、無表情にあたしを見返す。
組まれた足はすらりと長く、元より非の打ち所がない顔立ちや肌の白さも相俟って、その姿は宛ら美術品。
人間はどこかしら欠点があるらしいが、そのことが信じられなくなるくらいに、完璧なフォルムだ。
あれ、この人いつまで美形でいるつもりなんだろう。
思い出してみれば原作とかでは、分霊箱やらをつくったせいだかなんだかで、…………まあいいや。
この麗しげなお顔が崩れてしまうなんて何か勿体無いしねー。
卿が勿体ぶったようにゆるゆると口を開いた。
久しく見ない間に、一層態度がふてぶてしくなったような気さえする。
「………“偉そう”なのではない。事実、偉いのだ。……ナマエ、」
毅然たる態度で、そう言いきった。
卿に連れられ、会議室を出た。そして彼の自室に通され、ソファに座るよう命じられる。
卿はソファから少し離れたデスクの方に腰を下ろした。
……そう言えば、つい先程まであたしはリドルといたわけで、リドルは将来卿で、目の前にいる卿は、……どうなのだろう。
どう、って聞くのは変かもしれないけれど、あたしが今まで一緒に過ごしてきた卿と、先程まで一緒にいたリドルが同一だとは、なんとも想像しがたい。
想像しがたいというか複雑。久方ぶりに卿に会えたのは嬉しいことなのに、心境が微妙で、スッキリしない。
「…………。浦島太郎ってご存知ですか?」
「知らん」
一刀両断。
そうだよね、再会した後に話すことじゃないよね。いつまで前回のネタ引き摺ってんの、ってカンジですよね。
もっと言わなきゃいけない事とかあるのは、分って、いるのですが。
……わかって、いるのですが。
「卿……」
思い切って彼に向き直る。
だけど彼の瞳を見た途端、急に気恥ずかしさが込み上げてきて、言葉を飲み込み俯いた。
この場合、あたしは彼にどう接したらいいのだろう。
以前と同じように?
それともリドルのように?
……卿だけしか知らなかった頃と違って、何だか今は距離が遠くなったような……いや、卿が卿じゃないような、そんな風に思えてしまう。
卿は変わっていない。あたしを見つめるその眼も、そのとき瞳に唯一残る、諦めのような翳りの色も。
変わってしまったのは、自分だ。
あれだけ変化を恐れていたはずなのに、あたしは自分勝手にこの屋敷を飛び出して、多くのものを知るうちに、変わってしまった。
「………。随分と慎ましやかになったではないか。外の世界を知り少しは身の程を知ったようだな」
鋭い指摘だ。
返す言葉がない。
だって当たってる。
ものの見事に、図星。
そうだよ、あたしは、知らなかったんだ。このお屋敷の中の出来事以外の全てを、知らなかった。
黙って足下を見つめていると、彼が立ち上がった気配がした。
僅かな衣擦れの音が、部屋に響く。
「…………私はヴォルデモート卿だ」
「……は、い? わかってますよ?」
唐突な名乗りに、あたしは思わず首を傾げた。
「いや、お前は分かっていない」
ゆっくりと近づく靴音は、あたしが座るソファの目の前で止まった。
艶のある革靴の爪先が視界に入ってきて、思わず顔を上げるとすぐに深紅の瞳とかち合った。
「時間のことは気にしなくていい。お前に5年ものズレが出てしまったのは、不本意だが私の責任でもある。私が逆転時計を落としたせいで、機能に支障をきたしたのだろう」
落としたというか……叩きつけていたけどね。
でも、これで画然とした。
やっぱり、「あの時」のリドルは「今の」卿なんだ……。
「知ってるの、ですか!? あたしが、過去に………でも、だって、あたしまだ何も話してないのにっ!? 何で、」
「落ち着け馬鹿者」
「ああ、うん、そうだよね、落ち着きます、落ち着きマス。冷静になるんだナマエ、あたしなら出来る! ……はい、どうぞ、続き」
「……。まあ、お前がこの5年、何処をほっつき歩いていたかは大方の予想がつく」
「……どうして?」
「お前がホグワーツへ行った事と……この名前はもう二度と口にしたくはなかったが……私がトム・リドルという名であった頃に、お前がどことなく示唆していた事柄から照合すれば、合点もいく」
「そんな少ない情報だけで……?」
「他にも、ルシウスからナマエが突如消えたと報告があった。それで十分だ」
彼の骨張った、けれども細長く綺麗な指が、あたしに触れる。
目じりから頬を撫でるように、すっと滑っていく。
「しかしナマエ。私はもうヴォルデモートだ。他の何者でもなく、お前がどう思おうと。……だからお前は私を見ろ。過去なんかではなく、私を。私は、トム・マールヴォロ・リドルの名を、疾うの昔に捨てた」
「………。リドルと混同はするな、ということですか」
「そうだ」
……そんなこと言われたって。
簡単に、割り切れるものじゃない。
卿とリドル。何が違うの?
区分線の境がわからないよ。
だってあなたはリドルとしてあたしと居た日々の記憶だって残っているのだし、あたしはあなたの“リドルである頃”を知っている。
それでどうやって割り切れと言うの。
床に片膝をついた卿が、あたしの顔を覗き込む。
「私の名を呼べ、ナマエ」
呼べ、と不遜な物言いの割りには、不安そうな彼の表情。まるで、呼んでくれ、と。そう訴えるような。
「…………、卿」
「……それは敬称だ」
唇が震える。彼の名前を呼ぶという、それだけの行為に。
「………………ヴォ、ルデモート、さん、」
………一度口にしてみれば、なんてことはなかった。
寧ろ呼んだことで、色んなことが吹っ切れた気がする。
魔法界に来たあたしを世話してくれたのは『ヴォルデモートさん』だ。
たくさんの我が儘も、その殆どを聞き入れてくれた。世間では闇の帝王として名高い彼でも、あたしにはどこかちょっとだけ甘くて、チェスとか教えてくれて、共にお茶をして。時にはケンカも、したけれど。
あなたは金貨では換算できないような、多くのものを与えてくれた。
だからこそあたしは、……ここにいるんじゃないか。
「ただいま、デス………。ヴォルデモートさん」
完璧に踏ん切りがついたわけではないけれど。
納得はできる。
ヴォルデモートさんはヴォルデモートさんなんだ。
あなたがリドルを忘れろというのなら、あたしはそうする。
長いお出掛けの末に漸くでてきた、「ただいま」。
ヴォルデモートさんはどんな反応をするかな。
不機嫌そうに、「お帰り」?
それとも満足げに、少しだけ微笑んでくれますか?
さあどうくるよ!?
少し期待に胸を弾ませ、卿の動きを観察する。
彼は一瞬あたしを見て逡巡したあと、僅かに口角を上げて囁いた。
「お帰り」
「……っ!?」
そしてなんと、軽くキスというオプション付きで。
後ほど確認してみたら、銀時計には僅かな亀裂が入っていた。
その時計を見たヴォルデモートさんは、「壊れた魔法道具などお前に渡していたら物騒だ」と言ってすぐさま自分の机の引き出しに放り込んでいた。
別に、壊れている物を無理に使う気はない。
けれどなにも、取り上げなくたっていいじゃないか。
…………何か、寂しいな。
リドルとの思い出を、永遠にしまい込んでしまうようで。
………。
でも。
あなたは、この気持ちをもっと強く、感じていたのだろうか。
あの、手を離したときに。
カタンと引き出しを閉めたヴォルデモートさんの後ろ姿を見て、ふとそう思った。