The Ladygirls of Dawn
13

喉元を上下させ、よく冷えたミネラルウォーターを身体の芯まで流し込む。
ちょうど飲みきってしまったペットボトルを捨てようとして気がついた。
そう言えば今日は、可燃ゴミの日ではなかったか。






……ああ、良かった、ここなら開いてる。
ほっと息を吐きながら、今朝方、天気が良いからと沖矢さんが少しだけ窓を開けていたのを思い出す。
観音扉タイプのガラス戸を更に押し開けて、中を覗くも誰もいない。ダイニングは、電気がつけっぱなしだった。
あれだけチャイムを押したのに、やはり聞こえていないだけなのだろうか。首を捻りつつも、脱げ落ちないようにと帽子を深くかぶり直した。
ここまできたら仕方ないと覚悟を決めて、腰ほどの高さがある窓枠に手を掛ける。そのまま鉄棒をする要領で一気に身体を持ち上げた。
そして片足をサッシの上に乗せようとした、その瞬間。
青色の制服を着た女子高生が、門戸を跨いでやって来た。「え?」「え……?」髪の長い女の子と、目が合う。
窓枠を乗り越えようとした体制のまま、固まっていると、「キャー、泥棒!」……後ろにいたもう一人の女子高生から、そんな甲高い悲鳴が聞こえてきた。


「え? や、……これは違っ……、」

「問答無用! 蘭、やっちゃいなさいっ!」


慌てて窓枠から手を離すも、時既に遅し。「やっちゃいなさいっ!」なんて物騒な掛け声が響いたと思った次の間には、眉を釣り上げたロングヘアの子の足蹴り技が、目の前に迫っていた。




危ない、と目を瞑るよりも先に身体は動いていた。
力むように強張った全身の筋肉をふっと抜いて、軸足を僅かに引く。
右半身が後方へ下がる。
胸元の中心を狙うように迫る相手の膝を左手で受け止めつつも、力の向きには反発せずに上体を捻る。
あまりにもスムーズに、迷いなく。
それが、最初から定められていたモーションのように。



「……………あれ?」



驚きを発したのは、ロングヘアの子でもなく、後方で鞄を胸元に抱きしめているカチューシャの子でもなく、私自身だった。



「気をつけて、蘭! この泥棒、できるよ!」

「う、うんっ……園子はもっと下がってて」

「あ、いやっ、だから違くて、あの、こう見えて私は泥棒じゃあ……」



思わず言い淀んでしまう。窓から家に侵入しようとしてた現場を目撃されたのだ。
ここで主観を捨てて、より客観的な意見を述べるとしたら、彼女たちの視点に立つならば私はどう見たって泥棒である。怪しさ満載の不審者である。
表情を隠していたキャスケット帽を慌てて脱ぎ去り、敵意がないことを示す。



「私、今この家に住んでる者、なんですけど。ちょっと外に出てたら、玄関に、鍵が掛かっちゃってて」

「え、でも……ここにはもう、昴さんが住んでるんだよね?」

「……お知り合いですか?」


カチューシャの子の子とロングヘアの子にそう問われて、私は内心「ぴえっ」と唾を飲み込んだ。
……この問いに、どう答えるべきなのか。
彼の名を自然と口にした辺り、明らかにこの二人組は沖矢さんの知り合いである。下手な事は言えない。
どう説明しようか、私が答えに迷っていると、まさに渦中の人が何故か両手にお鍋を持って現れた。

ちょっと、沖矢さん、どこに行ってたんですか、と。私は狼狽えながらも彼に駆け寄って耳打ちする。
「お陰でこっちは泥棒扱いですよ……!」「……ほー?」
「それは一体、どういう経緯で、」沖矢さんがどこか面白そうに聞くものだから、私はプンスカプンスカ、拳を握った。


「鍵、掛けましたよね? 私、ゴミ捨てに行ってたんですよ。何度もチャイム、鳴らしたのに」

「そうでしたか。すみません。お隣さんに、作り過ぎたシチューのお裾分けに行っていたもので」

「また作り過ぎたんですか!?」


この人、いっそわざと作り過ぎているんじゃないだろうか。
そんな懐疑的な視線を向けるも、沖矢さんは一切、気にする風もなく。



「こんにちは、蘭さん、園子さん」


そしてごく自然な動作で私の肩に左手を置き、引き寄せる。


「ちょうどいいので紹介します。妹です」

「えっ……!?」

「えっ」

「ええ!?」

「……どうやら、僕を追って勝手に実家を飛び出してきてしまったみたいで。仕方なく、家主である工藤氏に断りを入れた上で二週間ほど前からここに住まわせてます。ね、名前さん」


思わず女子高生と一緒に驚いてしまった私に対し、これまたごく自然に会話を繋げようとする沖矢さんに「その設定は無理があるんじゃ」と目で訴えつつ、せっかくのフォローだ、台無しにはするまいと、私は女子高生二人組に軽くお辞儀した。



「は、初めまして。お、…………す、昴…………さん、の妹の、名前です。……ええと、兄が、お世話になってます?」



引き攣った笑みになってしまった。

確かに、赤の他人同士というよりも、兄と妹という関係にしておけば、同じ屋敷に住んでいるという事実も比較的順当に筋が通る。悪くはないアイデア、なのだが。
強烈な違和感、である。




すらりとしたロングヘアの子は「毛利蘭」ちゃん。ボブヘアのカチューシャの子は「鈴木園子」ちゃん。
二人とも、工藤氏の息子さんのご学友なんだそうな。
そんな風に二人は元気いっぱいに自己紹介をしてくれた後、泥棒と誤解してしまったことを丁寧に謝ってくれた。
私は両手を広げ、「いえいえ、こちらこそ、お見苦しい真似を」と首を振る。
いくら鍵が掛かっていたとはいえ、窓から家の中に入ろうとしていたのだから、見間違われても致し方無い。そう笑いながら言えば、彼女たちは安心したように顔を綻ばせた。

話を聞けば、彼女たち、特に毛利蘭ちゃんの方は、工藤氏の息子さんの幼馴染で、今日はその幼馴染である「工藤新一」くんの部屋にある本を取りに来たのだという。
どうやら学校の課題で使うらしい。
現住人である沖矢さんに「お邪魔します」と頭を下げて、工藤邸に入っていく二人。
「工藤くんは、蘭の未来の旦那だもんねー? 旦那の部屋に好き勝手入れるのは、妻の特権……なんちゃって〜」「や、やめてよ園子っ、それにちゃんと電話で、許可は取ってあるんだから!」
階段を上がった先から、そんな微笑ましい会話が聞こえてくる。






「見事な体術でしたね」


ふいに、隣から声が降ってきた。
以前包丁捌きを褒めたのとなんら変わらない調子で落とされたそれに、肩を揺らす。


「…………反射的に、身体が動いちゃって」


どうしてでしょうね、なんて。首を動かさないまま、やっとの思いで私は答える。



「…………。鍵、うっかり閉め出してしまってすみません」

「いいんです。そもそも沖矢さんに黙って、勝手にゴミ出しに行ったのが悪いんですし」

「気がつかなかった僕にも非はあります。……それと、その手に持つキャスケット帽は?」

「有希子さんの物をお借りしました。外、出歩くのにちょうどいいかなって。裏目に出ちゃいましたけどね」

「そうでしたか。ところで名前さん」


急に名前で呼ばれて、ドキリと心臓が脈打つ。おそるおそる顔を上げると、隣に立っていた彼が一度こちらに視線を落としてから、クイっと顎先で二階を示した。


「…………なんなら昴兄、と呼んでくれても構いませんが」

「…………。」


察しよくその意図をよく汲み取り、私は苦笑いを浮かべる。
どうやらここからはもう、「沖矢さん」呼びは彼の意に沿わないようだ。 あの設定はこのまま続行されるらしい。




「更にブラコン設定まで付加するつもりですか? 遠慮しときます、ただでさえ兄を追って家を出てきたというヤバめな妹なんですよ、私」

「健気で可愛いじゃないですか」

「もうっ……人ごとだと思って!」



態とらしく溜め息を零してみたけれど。どうにも堪え切れなく、なってしまった。
私達は顔を見合わせ、どちらともなく互いにふっと空気を洩らした。

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