はじまりは腕の中


三ヶ月前に、終わらせるつもりで告げた。
「好き」
酷く驚いた顔をした亮は、え、と言ったっきり言葉を失っていた。だから、
「それだけ」
と言った。すると亮は、
『...ありがとう...』
と、戸惑ったような顔をして言った。

私を好きじゃないことくらいわかっていた。だから、何も変わらない。私は至って普通にしている。
正直まだ心の中に亮はいるけれど、終わりにするつもりで好きと言ったのだから、しっかりとけじめは付けたつもり。

それでも亮は違っていた。
みんなで居ても、私に話し掛けることは殆どなくなった。きっと、居心地が悪くなったんだろう。
たまに視線を感じる。けれど、亮に視線を動かすと、目は合わない。
それでも「気にしないで」なんて亮が余計気にしてしまうようなことも言わずに、本当に普通に過ごしてきた。
...少しだけ、亮がつくる距離を寂しく感じるけれど。

「行ってみたい。その水族館。連れてってよ。予定合わせるから」

だから、前と同じように亮を誘った。普通の友達みたいに、みんながいる前で、なんでもないみたいに誘う。

すると亮は私から視線を逸らし、俯いて困ったように笑った。

『...おん、...今度な』

やったーと言って笑って見せたけれど、心の中で泣いていた。私を見ない亮に、拒絶されたのだと思った。きっと、この約束が果たされることはないのだと、気付いてしまった。

『えー、俺と行こうやー。亮ちゃんもう何回も行ってんねんからええやん。俺が連れてったるよ』

その言葉が助け舟のように感じた。私の心を読めるんじゃないかと思うくらい、完璧なセリフで、完璧なタイミング。

「あ、じゃあ一緒に行こう!いつ行く?」

亮の顔は見られなかったけれど、多分また私の横顔を見ていた。
...気にしなくていいよ。好きだから誘ったわけじゃないよ。...もう好きじゃない。もう誘ったりしないから、大丈夫。


それなのに。

「...え、何...なにしてるの、」

翌朝、水族館へ行く支度を整えた私のマンションにやってきたのは、約束した友人ではなく、亮だった。
玄関のドアを開けて呆然とする私をちらりと見てから亮が俯く。

『今日付き合うてよ』

この状況がいまいち飲み込めない私が言葉に詰まっていると、顔を上げてキャップを後ろ向きに被り直す。急かすような流し目が私に寄越されたから、慌てて言葉を探した。

「...急だね」
『ん、時間空いたし』
「...ごめん、明日...とかだったらいいんだけど...無理かな...?」

亮から見ても、明らかに動揺しているように見えているはず。目は合わせられないし、声も上擦っている。
なんなの、これ。どうしよう。

『今日がええねん』

ちらりと視線を上げて亮を見遣れば、昨日とは比べ物にならない程真っ直ぐに私を見ていた。その目にたまらなくドキドキしてしまう。

『予定合わせてくれる言うたやろ?』
「今日ね、約束が」
『俺よりあいつ優先するん?』

私の言葉を遮るように放たれたその言葉に驚いた。昨日はあれから亮が席を外しているうちに今日の約束をしたし、まさか知っていると思わなかったから。
なんで。どうして。...っていうか、ちょっと待って。優先って何?あんな態度とっておいて、なんなの。

『俺のことはもうええの?』
「...いいって、何が、」

聞かなくたってわかる。意味はわかるけど、どういうつもりでそんな言葉を言うの?
拒絶したくせに。私を遠ざけたのは亮の方なのに。

『あいつが好きなん?』
「違うよ、」

苛立ったような声で私を追い詰めるから思わず視線を逸らした。鋭い真っ直ぐなその瞳で心の中を見透かされてしまうのが怖い。

本当になんなの。なんで今更...こんなの狡い。これじゃあまるで、私のことが好きみたいじゃない。

『あいつじゃなきゃあかんの?』
「ちょっと、亮、」

次第にヒートアップして声のボリュームが大きくなる亮の腕を掴んで玄関の中に引き入れた。
狭い玄関で向かい合わせのまま俯く。しんと静まり返った空間で、自分の心臓の音だけを聞きながら言葉を探していた。

「...あのね、」
『俺はお前がええねん』

俯いたまま聞いたその言葉が頭の中でリフレインする。その意味を理解する前に、視界に映る亮のスニーカーが一歩私に近付き、元々狭かった距離がますます縮まる。慌てて顔を上げると、眉間に皺を寄せ威圧感を滲ませた亮が私に鋭い視線を向けていた。

『その気にさすだけさして、逃げんなや...』

その態度のわりに言葉尻が掠れていて、心臓が激しく高鳴る。険しかった表情は次第に拗ねたような表情に変り、私から目を逸らすとその視線は泳ぎ出す。

「...だって、」
『だってもなんもないやろ』
「気まずそうにしたのはそっちじゃない...」

声が震えてしまったら亮が口を噤んだ。想いは同じだとわかったはずなのに、何を言っていいのかわからず言葉もないままただそこに突っ立っていると、インターホンが鳴った。
思わず視線を上げると、亮と目が合う。

『...今出られへん!』
『...えっ、...亮ちゃん?』

ドア越しに聞こえた友人の声に返事もしないまま、亮が私の腕を掴んだ。

『行かんとってよ』

呟くような小さな声は、私を引き止めるのに充分すぎた。頷く前に腕を引かれ閉じ込められた亮の腕の中で、縋るような愛の言葉で心ごと溶かされた。


End.