瞼に降らせる愛


『え、熱?マジ?』
「...ん」
『インフル?』
「...ちがう」

女って、どうしてこうも面倒臭い生き物なんだろう。

『大丈夫?』
「...大丈夫なわけないでしょ、」

...違う。面倒臭いのは私だ。素直じゃなくて捻くれ者で、本当に面倒臭い。
最近まで友達だった隆平に、友達の延長で未だについこんな態度を取ってしまうんだから。

食事中だという隆平の向こうで聞こえるザワザワとした話し声、それに女性の笑い声。何だか妙に苛立っていた。
別に期待なんかしていない。こんな体調の時に家に来てもらっても困るし、移すわけにはいかないから。

『そらそやな...』
「...切るよ」
『あ、お大事...』

なのにどうして涙が出そうなんだろう。
隆平の言葉を遮って終話ボタンを押した携帯を枕元に置いて布団を被る。
感じの悪い対応をしておいて、どうして勝手に心細くなったりするんだろう。

涙を閉じ込めるように目を閉じて深く息をついた。



重たい瞼を少しだけ上げると、次第に意識が戻ってくる。まるでまだ体は眠りの中にいるようで、思い通りに動いてはくれない。暗い室内に控えめな音で鈍い光を放ちながら鳴る携帯はすぐにプツリと途切れ、同時に瞼を閉じた。

すると玄関でカチャカチャと鍵が解錠される音が聞こえて、寝ていたはずの体が一瞬にして目覚め思わず飛び起きた。
音を立てないように気を遣っているのかゆっくりと静かに玄関の扉が閉められる。そして隣の部屋に明かりが点いたのが、寝室のドアの下から漏れる光でわかった。

何だかバツが悪くて静かに布団に入り直す。少し早くなった鼓動を鎮めるように大きく息を吐くと、すぐに寝室のドアが薄く開き様子を伺う隆平と視線が絡んだ。思わず視線を逸らした私の目に最後に映ったのは、マスクをしていても目の表情だけでわかる程安堵したように笑みを浮かべた隆平だった。

「...なんで来たの」

言ったそばから目の奥が熱くなって布団を被る。
嬉しいのに、どうして素直になれないんだろう。安堵したのは私の方なのに、何でこんなことを言ってしまうんだろう。

ドアを開いて部屋に入ってきた隆平が、ベッドの脇の電気スタンドに薄い明かりを灯してベッドの前にしゃがみ込む。そして布団からはみ出した私の頭にぽん、と手を置いてふっと息を零して笑った。

『...なんでって、心配やったから』

...そんなのわかってる。今の時間からすると、きっとさっきの電話の後すぐにここに来てくれたはずだから。

隆平の手が布団の脇から中に入って来て、布団を掴む私の手に触れた。私の熱くなった手を優しく包み込む大きな少しひんやりした手。
逆の手が呼ぶように頭をぽんと撫でるから顔を上げると、私の顔を見て隆平が困ったように眉尻を下げて笑った。

「...伝染るからあっち行って、」
『マスクしてるし大丈夫やって』

私の手を柔らかく弄びながら優しい眼差しで見つめるその目から目を逸らした。

『迷惑やった?』

笑いながら、冗談を言うようにそんなことを言うんだから狡い。
優しく髪を撫でて、私の心なんてもう既にわかってるみたいに笑うんだから狡い。

「......そんなわけないでしょ、」

また眉を下げて、安堵したように見せながら『よかった』なんて言うから狡い。

『ごめんな、起こしてもうて。寝てええよ。ここ居るから』

額に貼ったひんやりしたシートに張り付く前髪を払うように撫でながら見つめる隆平からまた視線を逸らす。
まだこうして見つめられることには慣れていない。照れ臭くてその目を見ていられない。

「...見られてたら寝られない」
『あは、そらそやな。ごめん』

ごめん、と言いながらも隆平の目がふにゃりと優しく笑っていて、握っている私の手を眺める。

「…なーんか嬉しそ」
『あは、汐里からはそう見えてるんや?』

隆平が顎をベッドに乗せたことで距離が近くなり、少しだけ、緊張してしまう。
大好きな笑窪も眺めていられないほどの距離で、ちらりとだけ視線を向けまた逸らした。

『可哀想やなって思うけど、ちょっと嬉しいねん』

予想外の言葉に思わず目を向ければ、隆平の手が私の髪を梳いた。マスク越しでもわかる優しい笑顔。何年もずっとずっと見つめてきた、大好きな顔。

「...何が」
『こんな時、やっと側に居ってやれる関係になったんやなぁって』

...そんなの知らない。やっと、ってどういうこと。ずっと隆平を追い掛けてたのは、私の方だったはずなのに。

『だからさ、ここ居るのだけ許して』

伺うように、でも私の返事なんてやっぱり最初からわかってるみたいに、隆平が言った。髪を撫でながら、私の指に指を絡めながら、まるで、大事にされているみたい。

「......こっち、来て、」

絡めた指を引けば、目が細められて隆平が腰を上げた。私が捲った布団に入るなり私を抱き寄せ、優しく背中を叩く。

『おやすみ』

落ち着いた声と言葉の割に早い隆平の鼓動に胸が高鳴る。目を閉じてその鼓動と共に幸せを噛み締め、隆平の腰に腕を回した。また少し鼓動が早くなる隆平が愛しくて幸せで堪らなかった。一定のリズムで叩かれる背中、隆平の香り、体温。唇の代わりに瞼に落とされた口づけで幸せな眠りに誘われた。


End.