5minutes buttle


家におる?

たった一行のメッセージにドキリとして思い出したのはあの日のこと。
突然『泊めて』と酔って家に来た亮に、あまりに自然な流れのキスで誘われてたった一度だけセックスをした、あの日。

トークルームを開く前でよかった。
その5文字を見つめたまま暫く立ち尽くす。
来て欲しくない...わけではない。寧ろ会えるのは嬉しい。けれど、二人になる勇気がない、というのが正直なところかもしれない。

あの日から何となく怯えていた。飲み会で会ったって亮は至って普通で、よそよそしさもなければ、勿論照れたりすることもない。
期待している訳ではないけれど、また誘われるのが何だか怖かった。

インターフォンが鳴ってびくりと肩が揺れた。まだ返信はしていないけれど、こんな時間に家に来る人なんて、亮しかいない。

頭から被ったバスタオル、湿ったままの髪、おろしたてのモコモコの部屋着。亮ではなくても、来客者を迎える準備が出来ていないことに焦る。けれど、それを急かすようにもう一度インターフォンが鳴った。

画面に映る俯いた亮を見ながら外と繋ぐボタンを押すと、亮が一瞬で顔を上げた。

『俺』
「...知ってるよ」
『開けて』
「なんで」
『なんでも』
「...今お風呂出たとこで、」
『別にええやん』

ぷつりとモニターを切って玄関に向かう。
何を言ったって、結局断れない。あの時もそうだった。迷いはあったのに、やっぱり断れなかった。だからまたそうなるのが怖い。曖昧に続いてしまうのが怖い。

玄関の鍵を開けると、すぐにドアが引かれて亮が入ってくる。バスタオルを被る私を見て、ふっと笑って私に手を伸ばし、上がったままの前髪を整えるように直して部屋へと入っていった。
こんな些細な行動にも動揺させられて、ふたりきりでどうしたらいいのかわからない。なんでここに来たんだろう。思い当たるのは、やっぱりそれでしかない。

『飯食うた?』

我が物顔でソファーに座りながら亮がテーブルの上にあった女性誌を手に取りパラパラと捲る。

「...食べた」
『ふーん』

自分で聞いたくせに大して興味のなさそうな返事をして、それっきり会話が途切れた。
手持ち無沙汰でキッチンへと逃げてお湯を沸かす。ドリップコーヒーや紅茶のティーバッグを無駄に弄りながらごくりと唾を飲むと、明らかに動揺が表れたように喉が大きな音を立てた。

『腹減った。なんかないの?』

その声はすぐに後ろから聞こえてきたから思わず肩が揺れた。振り返れば、キッチンの端の買い物袋の中にひとつだけ取り残されたカップラーメンを取り出し、亮が私を見る。

『焼きそばあれへん?』
「...ない、」
『これ食うていい?』
「...ん、待って、今お湯、」

亮が私の隣に立ったから思わず言葉を途中で飲み込んでしまった。
これ5分も掛かるやん、と今更カップ麺の蓋を見ながら言った亮を横目に、適当に取った紅茶のティーバッグをカップの中へと落とし俯く。
先程スイッチを入れた電気ケトルはまだ小さな音をさせているだけで、やたらと長く感じるその時間が拷問のように感じる。

「......なんかあった...?」

沈黙に耐え切れずに吐き出した言葉に、亮がちらりと私を見てから笑う。

『なんかあった時しか来たらあかんの?』

その恋人のような返しに思わず口を噤む。何にもなくても家に来るというその心の中は、一体どうなっているんだろう。何を考えているんだろう。なんで私なんだろう。

『行ってみよかな、...って思たから』

ちらりと亮に目を向けると、ケトルが吐き出した蒸気の向こうで、亮が口角を上げてみせてから目を逸らした。

『だから会いに来た』

どういうつもりでそんな事を言うんだろう。 曖昧なままここまで来て、今になってそんな期待させるような言葉を吐くなんて狡い。

『沸いた』

ケトルを手にした亮が、カップを握っていた私の手を掴むからドキリとしてぱっとカップから手を離す。すると亮の手もすぐに離れていって、ティーバッグの入ったカップにお湯を注いだ。
隣のカップラーメンにもお湯を注いでテーブルへと先に向かった亮を見送って、来客用の箸と5分に合わせたキッチンタイマーを持って自分もテーブルへと向かった。

カップ麺の上に箸を置きタイマーをテーブルに置けば亮がそれを見てふっと笑い、几帳面やな、と私を見る。
二人掛けのソファーの亮の横に座るのは気が引けて、ソファーとテーブルの間のラグにペタリと座り込む。すると、肩にかけたバスタオルを後ろから取り上げられて亮を振り返る。

『乾かさへんの?風邪引くで』

そんなことを言いながらソファーの背にバスタオルを掛け、私の髪に手を伸ばすから思わず逃げるように前を向いた。後髪を引くように私に触れた手に鼓動が早くなる。すると、亮の腕が首元に回り、ソファーと私の間に亮が滑り降りて後から抱き寄せられ体が強ばる。

「...ちょっと、」
『うん?』
「なんなの、」
『なんか無防備やから』
「...無理矢理上がったのはそっちでしょ、」
『玄関開けたのは汐里やろ』

そんな事を言われたら、何も言えなくなってしまった。
ただ背中に感じる亮の早い鼓動が、更に私を緊張させる。背中側から抜け出して肩を抱いたまま私の横に来た亮が私を覗き込む。そこに視線を合わせることも出来ずに少し顔を背けると、優しく髪を撫で亮の唇が近付いてきた。

私達はどうなってしまうんだろう。私が拒否したらこのまま終わるのだろうか。友達という関係さえ、なかったことになってしまうんだろうか。
けれど、このまま曖昧に続くのはもっと怖い。
一瞬で色んなことが頭を駆け巡った。
その結果、答えが出る前に亮の肩を押していた。

私の心を探るように見つめる亮から少し顔を背けると、手が緩んだからそのまま肩を押した。すると亮の手が私の肩から滑り落ちゆっくりと体を離した。

「...なんなの」

私の言葉に黙って俯いた亮は、少し間を置いて小さな声で言った。

『...今日、泊まったらあかん...?』

どうして私なんだろう。
私の気持ちに気付いてるから?それとも、一度受けいれてしまったから?

「...なんで」
『...一緒に居りたいから』
「...なんで、」
『..............。』
「.....そういうつもりなら、帰って、」

消えそうに言い放った私の言葉で、亮の視線が私に戻ってきた。上目遣いのような角度のその目は、苛立ちなのか悲しみなのか、よくわからない色をしていた。

『...多分、汐里が言う“そういうつもり”やないし』
「...だったらなんなの」
『だから言うてるやん!一緒に、』

ピピピピ、と5分を知らせるタイマーが部屋に鳴り響き、亮の訴えを掻き消した。亮をちらりと見ると、僅かに顔を赤く染めて私から目を逸らす。

一緒に居たいから。
亮の言葉は、確かにそう聞こえた。

「...鳴ってる」
『...わかってる!』
「...のびるよ、」
『わかってるて!』

乱暴に、叩くようにタイマーを止めて亮が苛立ったように私を見る。

「...いいよ」
『...は?』
「泊まって、いいよ」

口を噤んだ亮が私の本心を伺うように真っ直ぐに目の中を見ていた。その真っ直ぐな目から視線を逸らすと、亮が距離を詰めたから体が強ばる。俯いた視界の中で私に伸ばされた手が躊躇うように止まり、それを見て視線を上げれば目が会った途端抱き寄せられた。
最後に見た亮は、安堵したように眉を下げた、少し情けない顔をしていた。
首筋に掛かる安堵の溜息が心地好く感じていた。余裕たっぷりに見せていた亮の本音を見たようで、胸が熱くなる。

「...伸びるってば」
『後で食うし。黙って』

髪を軽く引かれ目を合わせれば、二人誘われるように唇が触れた。離れて閉じていた瞼を開くと、目を細めた亮に引き寄せられまた唇が触れる。触れ合ったまま、ふっと息を零して笑った亮があまりに優しく私を抱き寄せるから、甘い胸の痛みを隠すように自分から唇を押し付けた。


End.