忙殺キルタイム


少しの残業後、帰りの電車の中、バッグの中の携帯が震えた。バッグを漁っているうちに振動が止み、取り出した携帯に、不在着信の文字と章大の名前が表示されているのを確認した。
留守電は残っていないし、メッセージも届いていない。何か用事、というわけではなさそうだ。

最近、たまに章大が電話を掛けてくる。仕事の合間に掛けてきているらしい電話に出ると、いつも決まって『忙しい』と洩らす。仲間でたまに会ってはいるけれど、章大が売れて忙しくなってからはその回数も徐々に減っていた。
それでも、少しずつ開きつつある距離を、こうして繋ぎ止めてくれているようでいつも安堵してしまう。

電車を降りて家までの帰り道、章大に電話を掛けた。けれど聞こえてくるのは長い呼出音だけで、それが章大の声に変わることはなかった。

帰宅して食事もシャワーも済ませ、部屋に戻って携帯を開くと、再び不在着信の文字が表示された。
つい3分前の着信にリダイヤルで章大に電話を掛けると、また呼出音だけが鳴り続けた。仕方なく電話を切って章大とのトークルーム画面を表示させると、すぐに携帯が鳴って着信を告げる。

『タイミング悪...』

通話ボタンを押して早々に聞こえた章大の声に笑みが浮かぶ。

「ね。逆にすごくない?」

その問い掛けに返事はなく、章大が電話の向こうで『ちょっと待っとってー』と大きな声で言うのが、送話口を掌で遮られたくらいに遠くに聞こえた。

『あ、ごめん』
「忙しいんじゃないの?」
『ん、めっちゃ忙しい』

ほら、やっぱり今日もそう。どうせなら、ゆっくり出来る時間を選んで掛けてくれればいいのに。...大した話をするわけではないけれど。

「じゃあなんで電話してきたの」
『暇潰しやん』

忙しいのに、暇潰し。章大の言うそれの意味がよくわからない。少しだけ空いた時間も惜しむというのは、章大らしい気もするけれど。

「…言ってる事おかしいよ」
『別にええやんけ』
「この前もでしょ」
『何』
「忙しいって言いつつ掛けてきたの。もっと時間ある時に...」

章大がボソリと何か呟いた気がして言葉を止めた。けれど電話の向こうの章大は静かなままで、通話が切れていないか携帯を見て確認する。

「章、」
『…忙しいからこそ掛けとんねん』
「え?」

苛立ったような声に驚いた。
なんなの。急に何怒ってるの。

「ちょっと待って、どういう...」
『...あーもう!わからんならええわ!』

私の言葉を途中で遮り章大が不機嫌な声で言うと、通話がプツリと途切れた。
呆然と携帯を見つめ通話の表示を消しながら、その意味を考える。

...忙しいのに、その少しの合間の時間に私を選んで電話を掛けてくるその意味を考えてみたら、次第に頭に血が上ったように熱くなる。
“忙しいからこそ掛けとんねん”
その言葉をプラスしてみたら、自惚れる他なかった。

...本当に?章大が、私を?
とうの昔にしまい込んだはずの想いが溢れてくるのを感じて動揺する。心臓がバクバクと激しく脈打って、汗ばんだ手を握り締める。
ずっと、友達だと言い聞かせてきた。もう忘れた、諦めた、と自分に言い聞かせてきたのに。

するとまた着信音がなり始め、ビクリと体が揺れた。思った通り相手は章大で、ゴクリと唾を飲み込んで震える手で電話を繋いだ。

「...もしもし、」
『...バイバイ言うてなかった』

バツが悪そうな低い声を聞いて、不貞腐れたような顔を思い浮かべる。

「......そっちが切ったんでしょ」

照れ隠しに思わずトゲのある言い方をしてしまったから焦る。電話の向こうの章大が黙って、小さく溜息を吐いた音だけが聞こえてきたから思わず携帯を持つ手に力が篭った。

『...言うとくけど』

少しの沈黙の後の言葉に息を詰める。体中に響く自分の心臓の音で章大の声を聴き逃してしまわないように、受話音量を上げた。

『...さっき“もうええ”言うたのは、“今はええ”っちゅう事やからな!』

章大は今どんな顔をしているんだろう。どんな気持ちでいるんだろう。
確信が欲しいのに、電話越しではそんなもの分かるはずがなくて、妙な焦りに襲われていた。

「...今言ってよ、」

緊張で僅かに声が震えてしまった。息を呑んで章大の言葉を待つけれど、その僅かな時間を酷く長く感じていた。

『...電話で話すことちゃうし』

そんな言葉じゃ、わからない。
けれど、また期待してしまう。

『...もうわかってるやろ?』

今私の中にある仮説が、勘違いでなければいい。ただの自惚れで終わらなければいいのに。

『...終わったら行くから、それなりに覚悟決めて待っとけよ』

わざと不機嫌さを押し出したような素っ気ない言い方をした章大の声に胸が高鳴り、緊張で薄らと滲んだ涙を拭いながら、待ってる、と小さく呟いた。


End.