Imp's Whisper


いつもは明るい高めの声も、二人だけの空間では少し低く、落ち着いた声色に感じる。この家に来てから章大と目を合わせることが出来ないのは、そのせいかもしれない。

見渡した部屋の中は案外片付いていて、共通の男友達に聞いてイメージしていた雰囲気よりも大分大人な印象だった。
ここに来て軽く一時間は過ぎたけれど、まだこの部屋に慣れない。一度座った位置から動くことが出来ずに、フローリングに敷かれたラグの上で膝を抱えていた。

ラグの上の足のすぐ横で携帯が震え、慌てて持ち上げる。そこに表示された名前を見て、ほんの少しの罪悪感。けれど電話に出ることはせずに、着信が途切れてからラグの上へ携帯を戻した。

レースのカーテンの隙間から見えるベランダの章大の背中を盗み見る。
大丈夫だと言ったのに、私に遠慮してわざわざベランダに煙草を吸いに行ったりして、その行動にさえ心が惹かれてしまう。
その背中から目を逸らして膝に顎を乗せた。

自分自身で否定し続けて来た想いは、誤魔化し切れないところまで来ていた。恋人が居ながら別れを切り出せず、それなのにこうして章大の家にいるのだから、どうしようもない女だと自分で思う。
けれど章大も恋人の存在は知っているし、私がこんな気持ちでここにいるとは思ってもいないんだろう。

窓が開く音がしてドキリとした。
ふわりと煙草の匂いを引き連れて戻って来た章大が、何飲む?と私を通り過ぎて冷蔵庫へと向かった。
まかせる、と言ってみれば、やっぱり私が好きそうなカクテルを持ってくるんだから狡い。

『どうぞ』

私の前に差し出されたカクテルの瓶を掴むと、心臓がどくりと脈打った。
さっきまで向かい側に座っていた章大が、私の隣に腰を下ろしたから。

「...ありがとう、」

んー、と適当に返事をした章大が二人の間に手を付いたから息を呑む。
けれど実際は何事もなく、ただ単に傾けた体を支えるためだけのそれにさえ反応してしまった自意識過剰さに呆れてしまう。

すると再び足元の携帯が震え出した。章大に振動が伝わらないように、すぐにすっと持ち上げ確認すると、やっぱり相手は同じで、思わず唇を噛んだ。
さっきよりもすぐに鳴り止んだことに安堵して携帯を置く。その状態でマナーモードからサイレントに設定を変えて携帯を閉じた。

今受け取った赤に近い色のカクテルを一口含むと、章大が私の横顔を見ていた。ちらりとだけ目を向け、手持ち無沙汰で無駄に瓶を眺めるようにくるくると回してみる。

『なぁ』

何故こんなに緊張してしまうんだろう。

「...なに」
『携帯、鳴ってんで』

首を傾けながら私を覗き込む章大に目を向けると、私の目を見ながら、私の足元の携帯を指差していた。
チカチカと点滅を繰り返すランプは、何度目かわからない着信の合図。

「...うん」
『出たら?』
「...ん、いい。大丈夫」

見つめていた携帯の着信が途切れたから、画面を黒に戻してまたカクテルを一口含む。

『別に疚しい事してへんやん』
「...あは、そうだけどさ...」

...そうなんだけど、それは私の心の問題。何かあることが疚しいのではなくて、この心自体が疚しい理由なのだ。

焼酎が入ったタンブラーに口を付けてテーブルに置いた章大が、俯いてふっと息を零し笑う。
けれど、私の胸の高鳴りが伝わってしまいそうで、章大に目を向けることが出来なかった。

『俺の部屋やから?』

引き攣りそうな口元を隠すようにカクテルに口を付けた。
章大は、どういう意味でそんな事を聞くんだろう。もう既に私の心を見透かしたようなその言葉は、私を動揺させる。

『下心、あるんやろ』

思わず章大に目を向けると視線が絡み、体が固まったように動けなくなった。

『だから出ぇへんのやろ?』

薄く笑みを浮かべて私を見るその瞳は、艶のある媚を含んだような色をしていたから。
章大の心を探ろうとするけれど、不安も期待も戸惑いも入り混じる複雑な感情に邪魔される。

「......違う、」

精一杯の誤魔化しの言葉は、消えてしまいそうな弱々しい声で何の説得力もない。
怖い。章大の気持ちがわからないまま、自分の心だけを知られてしまうのが怖い。自分の狡さを、章大に見透かされてしまうのが怖い。

二人の間に再び手を付くと、今度こそ距離を詰め私に顔を寄せる。そして低く呟くように言った。

『俺はあんで』

二人きりの部屋での耳打ちに心が攫われる。視線の先の誘うような章大の瞳に追い打ちを掛けられ、ぼんやりとした頭で最後の理性と戦う。

『大丈夫。二人だけの秘密にしたらええねん』

寄せられた唇は拒む隙を与えながらも、私の頭を引き寄せる手は拒むことを許さない。至近距離で私を映す熱を帯びた瞳が唇へ視線を落とすと、私の心へ入り込むようにゆっくりと熱い唇が重ねられた。


End.