アタラクシア


背中に掛かる彼の熱く荒い吐息にゾクリと肌が粟立った。私の胸を包む掌に、早くなった鼓動が伝わっていたら恥ずかしい。すばるの口から僅かに漏れた快楽の声を、自ら私の背中に唇を押し当てるようにして押し殺すから、愛しさが込み上げる。

すると、ぐっと奥に押し付けられベッドについた膝が震えた。荒い呼吸と共に声が漏れシーツに顔を埋めると、髪を掴んで後ろに引かれ顎が上がる。少し乱暴なその行為さえ、今は私の気持ちを昂らせる。
喉の奥から鼻に抜ける甘ったるい自分の声に羞恥心が込み上げ、唇を噛んだ。

深く奥を抉る刺激に腰が崩れそうになると、髪から離れたすばるの手が、私の肩を思いの外優しく包んで引いた。私を仰向けにベッドに転がすと、端に追いやっていた掛け布団をすばるがベッドから払いのける。私の体をすばるの片腕が抱き寄せるようにして浮かせ、ベッドの中央へと移動させた。背中が彼の腕ごとベッドに触れると、熱と色気の篭った目が私を見つめる。
私の背中の温度よりも少し体温の高いすばるの腕に、何だか守られているような不思議な感覚がしていた。

ゆっくりと近付いたすばるの唇は、思いの外荒々しく私の唇に合わせられ、唇を甘く噛む。溢れる私の中心にすばるが腰を押し付け、キスの途中で思わず息を詰めるけれど、すんなりとすばるを受け入れた。

一度逃された快感が、浸食するみたいにまたじわじわと体に広がる。腰を緩く揺らし、髪を撫で、私を抱くすばるの腕の中ですばるを見上げれば、キスで濡れた唇を舐めて体を起こした。すばるの腕が離れていった背中に触れたシーツが、やけにひんやりと冷たく感じる。腰を掴み私を揺さぶりながら私の体を見下ろすすばるを見上げた。

こんなに近くに居るのに。体は確かに繋がっているのに。
離れてしまったような気がして、胸が疼くような感覚。それは、彼がいなくなる未来を想像した時と似ていた。
勝手な妄想でさえ泣きたくなってしまう。彼を信用していないとかそういうことではなくて、ただ、この時間が大切過ぎて、幸せ過ぎて、無くなることを恐れてしまう。全ては私の勝手な妄想なのに。

熱い吐息を吐き、少しだけ顎を上げて顔を歪めながら目を閉じたすばるの腕を、思わず掴んだ。
すぐに瞼を上げたすばるの瞳が、私へと戻ってくる。その真っ直ぐな瞳に、私の心を見透かされてしまいそうで逃げるように瞼を閉じた。
すると、私の腰を掴むすばるの手が肌を滑り、脇腹を緩やかに撫でた。

『おい』

目を開けてすばるを映せば、もう視線は絡んでいるのに、それでもまだ気を引こうとするかのように髪を撫でた。

『こっち見とけよ』

するりと髪から離れて行った手はまた私の腰を掴み、律動を早めて私を追い詰めていく。快感に歪む私の顔を見つめながら、すばるの息も上がっていった。

体の奥が痺れるような快感の中で体を震わせ、目を閉じると、私を見つめていたすばるがそのまま瞼の裏に映った。
すばるのその目の色が、私と同じだったらいい。同じように私を愛して、不安になっていたらいいのに。



体の熱が冷め始める頃、布団から出た肩が少し寒くて布団を上に引いた。
隣のすばるにちらりと目を遣れば、ぼんやりと天井を見つめている。
少し触れている腕は、さっきよりも大分熱が冷めて、何だか妙に寂しくなってしまう。

長く一緒にいても、踏み込めないところがある気がして、言い掛けた言葉を飲んだことが何度もある。
今、何を考えているんだろう。
私はこんなに近くにいてもすばるの事ばかり考えているというのに。
私の事だったらいい。すばるの頭も心も、私でいっぱいだったら。

すばるの手を求めてシーツの上に手を滑らせると、辿り着く前にすばるがこちらを見た。そして温かい掌が手の甲に触れ、私の手を包んだ。

この目が、ずっと私だけを映していればいいのに。

「...どうしたの」

自分で願ったのに、思いの外長く私を見つめる瞳に戸惑い、視線を逸らしながら言えば、すばるの顔がまた天井に向いた。

『...や、別に』

その口調が妙に素っ気なく感じて、ますます胸がきゅっと痛む。
想っているのは私ばかりの様な気がして、包まれた手を繋ぎ直しながら皮肉を込めて冗談混じりに言った。

「...私の事好きだなーとか思ったんでしょ」

ちらりとすばるに目を向けると、すばるがくるりとこちらを見た。

余計に素っ気ない態度。
もしくは、照れて顔を逸らす。
そう予想したのに。
すばるはふにゃりと笑みを作って目を細め、含み笑いしながら私から目を逸らした。さっきまでとは比べ物にならない少し幼く見えるその横顔に、胸が高鳴る。

「...なに、」
『めっちゃ好きなんやろなー思てた。お前が、俺を』

思わずすばるから目を逸らしてしまった。やっぱり見透かされていたのだと恥ずかしくなって顔に熱が集まる。それを誤魔化すように、わざと冷ややかな視線をすばるに送った。こんな顔をしたって心の中はもう見られているというのに、口に出して認めてしまうのは、やっぱり悔しい。

「...何言ってんの」

ボソリと呟いて手を離し、布団を被りながらすばるに背中を向けると、顔を隠したのにますます顔が火照っていく気がした。

すると、冷たくなった肩に急に熱が触れ、それが唇だとわかる頃には背中から包み込むように抱き寄せられていた。私の髪に顔を埋め、お腹に回った腕と、胸を包んだ掌。冷たくなった体が、また熱を取り戻していく。

言葉なんて何も無かった。
今も、今までにも、一度も好きだとか愛してるとか、そんな言葉はなかったのに。それなのに、今は苦しい程にすばるの心が伝わる気がして、お腹に回された手に自分の掌を重ねた。

首筋に落とされた長いキスの後にそこに掛かった熱い溜息が、何故か愛の言葉の様に感じて、幸せを噛み締めながら静かに目を閉じた。


End.