ロマンチスタ


『そこ座っとき』
「あ、うん...」
『ビールか焼酎かカクテル』
「...あ、カクテル」
『ん』

信ちゃんが指さしたソファーの左端にちょこんと座り、緊張のあまり目だけを動かして部屋を見回した。

...広い。綺麗な部屋。信ちゃんの部屋にしては、綺麗。予想してたより、ずっと綺麗。ていうか信ちゃんって、カクテルとか常備してるんだ...意外だな...。女の子とか来るのかな。...本、いっぱいある。難しそう...。あんな英語のやつ、読めるのかな。

頭の中で一人でベラベラと喋りまくっても落ち着かない。心臓はバクバクしたままで、きっと顔も強ばってる。


昨日の夜にディナーの約束をした。
誘ったのは、私の方だった。
『二人で?』
確認されて、動揺して思わず言った。
「誰か誘ってもいいよ」
思ってもないことを言ってすぐに後悔。
けれど返ってきたのは
『や、二人でええよ』
だった。

『どこ行きたい?ないなら、俺の知ってる店行こか』

正直、びっくりした。
いつもより妙に優しいし、なんかすごい紳士な感じだし、 私に対する扱いがいつもと全然違うって言うか。

信ちゃんはいつも少し私に厳しい。素っ気ないとこも好き。たまにすっごく優しいのも知ってるし、すごく気遣いのできる人だというのも知ってたから。

けど、今日の信ちゃんは優しすぎる。
紳士過ぎる。こんな雰囲気、初めて。
料理も私の希望を聞きつつスマートに注文してくれて、私がトイレに行ってる間にお会計も済ませちゃって、私が払おうとすれば私の手を握って押し戻し、格好つけさせろや、とか言っちゃって。
本当に戸惑う。いつもみたいに普通でいられない。どうしてくれるの。

『家、来るか?』

いつもみんなで飲んでる時みたいにふざけた様子でもなく、からかってる風でもなく、振り返って視線を絡ませてそんなこと言われたら、断れるわけない。期待したくなっちゃうじゃない。



『コートくらい脱げや。5分やそこらで帰るわけちゃうねんから』

我に返って信ちゃんを見上げた。
コートを脱ぐと、目の前にある雑誌を避けてカクテルの入ったグラスをテーブルに置いた信ちゃんが、私の手からするりとコートを取ってハンガーに掛けてくれた。

置かれていた雑誌の位置や周りに置かれた新聞なんかを見て、きっと今私が座っている位置が信ちゃんの定位置なのだろうと想像がつき、腰を浮かせ右に少しずれる。すると丁度、ソファーの私の右側に腰を下ろした信ちゃんとの距離が詰まってドキリとして慌てて元の位置に戻った。

『落ち着かん奴やなぁ』

ふっと笑った信ちゃんのその一言で、緊張が見透かされてしまったような気がして一気に顔に熱が集まる。
そんな私を余所に、カクテルのグラスを握らせて軽くグラスをぶつけた信ちゃんが、自分のグラスに口をつけた。

緊張してる。もうずっと。
店を出てから、頭が上手く働いていない。頭の中は信ちゃんのことばかり。
だから今、時計を見て驚いた。
ここから帰るとすれば、終電まで、あと30分。

飲み直そか、と誘われた。
家、来るか?と言われた。
頷いては見たものの、この後どういう展開になるのか。
タクシーで帰るにはここからじゃちょっと遠い。それは信ちゃんも知っている。
家に上げてもらって、たった30分で帰る...?
信ちゃんは、どういうつもりで私を家に誘ったんだろう。

『それあかんかった?』

信ちゃんに目を向ければ、私が手にしたグラスを指差しながら、また一口アルコールを流し込む。

「え?」
『進んでへんから』
「あ、ううん」
『それ、汐里の好きなやつちゃうの?』
「...あ、そう。好きなやつ。ありがとう...」

言いながらまた顔に熱が集まり始める。
だって今の信ちゃんの言い方、私のためにこのカクテルを用意しておいてくれたみたいな言い方だった。

それじゃあ...最初から、私を家に誘うつもりだった...?

自惚れてしまったら、ますます鼓動が早くなる。控えめに掛けられた洋楽が何だか妙に緊張を煽って、こんなに小さな音楽だけじゃ、信ちゃんに心臓の音が聞こえてしまいそう。
右腕に時折触れる熱が、胸をぎゅっと締め付ける。

『なぁ』

信ちゃんの声に心臓がドクリと跳ねる。顔を見ることも出来ないまま、うん、と返事をして、口元を隠すようにグラスに口をつけた。

『帰るんか?今日』

いきなり核心に迫る質問に思わず動きを止めた。ますます激しく暴れる心臓。
どうしよう。帰らない、なんて、言ってもいいんだろうか。

『...帰らんでもええの?』

私が困惑しているように見えたのか、言い方を変えた信ちゃんが私の腕を肘で軽く突いたように感じた。ちらりと伺うように目をやると、先に目を逸らした信ちゃんがアルコールを飲み干してテーブルにグラスを置いた。

『泊まったらええやん』

ちらりと視線を合わせた信ちゃんから、今度は私が目を逸らした。
...本当は、もう答えなんて決まってる。信ちゃんの言葉を、待っていた。

小さく頷いて信ちゃんを見れば、一度私から外れた視線がすぐにまた私に戻ってくる。その目の色を見て、緊張で震えてしまいそうな手でグラスを机の上に置いた。
それを合図に距離を詰めた信ちゃんの顔が近付きソファーに背を預ける。

傾けられた顔が吐息の熱を感じる程の距離で止まり、同意を求めるような信ちゃんの目が私を見つめた。
震えそうな息を飲み込むように目を閉じると、すぐに柔らかく触れた唇。離れると同時に信ちゃんの手が髪を撫で、またゆっくりと唇が重なった。

角度を変えた唇が離れると同時に目を開けた。熱を帯びた真っ直ぐな瞳が、私を見つめると、緩く腰に回された腕に引き寄せられ、今までより幾分か荒々しく重なった唇と熱い吐息に思考を止められた。


End.