月だけが見ていた
ベッドの軋む音に紛れて、リビングから僅かに私の携帯の着信音が聞こえる。隆平がぴたりと律動を止め、私の足を抱えたまま私を見つめた。隆平に首を横に振って見せ、誘うように軽く腰を揺らすと、口の端を吊り上げて隆平が再び律動を始めた。
ふたりで居る時は、全部忘れさせて。何も考えずに、ただ体を重ねて隆平だけで満たして欲しい。
腰を掴み急に奥深くを抉るように突き上げるから、咄嗟に隆平の腕を掴み爪を立てる。隆平は、息を詰め歪んだ私の顔を、表情も変えずに見下ろしていた。
今日の隆平は少し苛立ったような固い表情をしていて、私に触れる手もキスもセックスも、普段より荒々しい。
今の着信を境により荒々しく腰をぶつけるから、きっとこの不機嫌さは私のせいなのだ。
絶頂が近付き、薄く赤に色付いた私の肌を指で撫で、そこに隆平の視線が落ちる。その指を掴んで握ると、隆平の目が私に向けられた。
ぎこちなく笑った隆平は逆に私の手を掴み直し、引き寄せながら腰を打ち付けた。次第に荒くなる熱い息が私の肌を掠め、それすらも刺激になって私を追い込む。
隆平の快楽に歪む顔を見ながら大きな快感に攫われた。強く抱き寄せられ、私の奥まで押し付け果てた隆平は、まだ整わない呼吸で私を見つめ、キスを落とした。
『寒ない?』
小さく頷いたのに、隆平がシャワーの向きを変えて私に温かいシャワーが降り注ぐ。髪から滴る水に目を閉じると、唇が触れ抱き寄せられた。
隆平の声色も表情もさっきよりも柔らかくなり、濡れた温かい肌は吸い付くようで心地良い。
あの人よりもしっかりとした隆平の腕に抱かれるたびに胸が熱くなる。腰を撫でる隆平の指は、これからセックスが始まるみたいに私に厭らしく触れる。ゆっくりと肌を滑り内腿へ指が這わされると腰がひくりと揺れ、さっき体を重ねたばかりなのにまた隆平を欲してしまう。
『嫌いやったんちゃうん?セックス』
まだ余韻の残る潤った中心部に触れられ小さく声が漏れると、隆平の口角が上がった。キスを落とし唇を柔らかく食みながら、ゆるゆるとそこを撫でられ、小さな快感の声と共に熱い吐息を漏らした唇に隆平が軽く歯を立てまた笑う。
『俺とのセックスは好きなんや?』
優しい顔をして意地悪なことを聞く彼から目を逸らすと、気を引くように唇を押し付け子供のようなキスを繰り返す。
隆平と関係を持って、心も体も愛される幸せを思い出した。特別セックスが嫌いというわけでもなかったけれど、隆平とのセックスは今までの誰とも全く違うのだ。...夫とも。
隆平の指が、唇が触れるだけで、体が重なるだけで、泣き出してしまいそうな程に満たされる。
下を撫でていた手がするりと離れて濡れた体に腕が回り、急に大事そうに抱き締めるから胸が苦しい。
「...どうしたの」
『...んーん』
声のトーンはいつもと変わらないけれど、隆平には時々こんな瞬間があるのだ。何でもないと言いながら、何でもなくなさげに私を抱き締めるから、その度に苦しくて切なくてどうしようもなくなる。
隆平がその心を私に伝えることは、これから先もきっとないのだ。私達の関係が変わる時まで、その想いを隆平の言葉で聞くことはない。
知りたいけれど、知ってはいけない気はがする。
濡れた髪にドライヤーの温風を当てていると鏡の横から覗き込むように隆平が顔を出した。鏡越しに笑顔を向けると、隆平も笑窪を見せて笑い私のお腹に腕を回し後ろからぴたりとくっつく。
「邪魔ー」
『ええやん。もうすぐ帰るんやろ?』
曖昧に笑って鏡の中の隆平から目を逸らすと、ドライヤーを取り上げられて首筋にキスが落ちる。そこを唇で食まれ、首筋に掛かる吐息も擽ったい。一瞬皮膚を吸い上げるようにリップ音を立てるから思わず身を捩った。
『見えないとこなら付けていい?』
「...どうかな、」
『セックスする時しかわからんようなとこ』
耳元に唇を寄せながら内腿の付け根あたりを中指がなぞり、隆平が鏡越しに不敵な笑みを浮かべた。その横にある私の顔は、不器用な笑みを浮かべていて、思わずその情けない顔をした自分から目を逸らした。
...やっぱり、今日の隆平は少し違う気がする。
すると離れた隆平が私の手を引いてリビングのソファーへ導いた。 仰向けにソファーに倒れ込んだ隆平に引き寄せられて隆平の上に乗れば、背中に腕が回って緩く抱かれた。
『...なぁ』
うん、と返事をするけれど、隆平は口を噤んだまま私を見つめていた。
もう一度、何、と聞き返せば、目を逸らして私の左手を掴んで顔の前に引き寄せる。その手を隆平が見つめる。
視界に入った自分の指に違和感を感じて鼓動が次第に早くなる。ここに来る時に付けてきたはずの、左手の薬指の結婚指輪がなかったのだ。
『...かえしたくない、...言うたらどうする』
“返したくない”のか、“帰したくない”のか、どちらの意味かわからない。
私を見上げた隆平は、寂しげな色の瞳で私を映すから言葉が出て来ない。
私の髪を撫でくるくると指に巻き付け、今度は頬に触れ、唇を親指で撫でる。
『...どうしたら俺のもんになんねやろ』
溜息と共に呟くように吐き出してから私を見て笑った隆平は、私の手を離し、デニムのポケットに手を入れた。そしてまた私の左手を取り、薬指に見慣れた指輪を嵌めた。それに少し安堵してしまった私の心を見透かすみたいに私を見つめ、ふっと息を零して笑った。
『ごめんなぁ、困らして』
明るい声色で言った隆平の言葉に、思わず慌てて首を横に振った。すると頬を大きな掌で包まれて引き寄せられ、唇が重なる。
『...でもな、困らしたいねん。そしたらさ、俺のこと考えてくれるやろ?』
悪戯っぽく笑ってまた唇を触れさせると、背中に腕を回して抱き寄せ、隆平の首筋に顔を押し付けられた。
少し早い隆平の鼓動を感じで胸がザワつく。笑っていた隆平が、こくりと喉を鳴らした後、く、と息を詰めたような音が聞こえてますます苦しくなった。
『俺な、こんなやり方しか、知らんねん』
少し上擦った隆平の声は切なくて、泣いてしまいそうな程胸が熱くなる。
けれど私が泣くわけにはいかない。狡いのは私なのだから。あの人と上手くいっていないと理由をつけて、優しい隆平に逃げた私が悪いのだから。リスクを伴う関係であるにも関わらず、隆平は私を受け入れてくれた。隆平を振り回しているのは、私なのだ。
「...好きなの」
本当に、好きなの。隆平が一番なの。
それがどうしたら本気だと伝わるんだろうか。今の自分にケジメを付けなければ、きっと伝わらない。
『あは、わかってるよぉ』
「...わかってない」
私の言葉に、隆平がふふ、と笑ったから少し安堵する。泣いてるんじゃないかと思ったから。
はぁ、という声と共に大きな溜息を吐いて、隆平が力を込めてぎゅっと私を抱き締めてから解放した。肩を押され起き上がると隆平も体を起こし、腕時計をちらりと見た私の腕を掴んでソファーから立ち上がる。すぐに手が離れて玄関に向かって歩き出した隆平の後ろを着いていくと、隆平が前を向いたまま、ふふ、と笑った。
『なーんかさぁ...独占欲強いから、こういうの向いてないねんなぁ。俺』
くつくつと笑う隆平はいつもの隆平だけれど、少し本音を聞けた気がして嬉しくなる。けれど、歯止めが効かなくなってしまいそうな自分に少し不安も感じていた。
振り返って端に避けた隆平の前を通りパンプスに足を通す。ちらりと隆平を見遣れば、口角を上げて柔らかい表情で私を見ていた。
『不倫相手に俺選んだこと、後悔してるやろ』
“歯止めが効かなくなる”なんて、今更。もう遅いの。もう戻れないところまで来てしまった。
「してないよ」
即答した私を見つめて髪に指を差し込み頭を撫でる。そのまま首の後ろに辿り着いた手に引き寄せられて、噛み付くように私の唇に歯を立てた。舌で唇をなぞられ、誘い込むように薄く唇を開くと、厭らしく滑り込ませた隆平の舌に舌を絡め取られる。わざと水音を立てて甘く深く舌を絡ませ、僅かに声が漏れると舌がするりと解け、隆平がぽんと頭を撫でた。
またね、と笑顔を向けて玄関のドアを開け外へ出ると、夕方の紺色の空に妙に明るい白い月が浮かんでいたから目を奪われた。
するとぐっと腕を掴んで引かれたから振り返って隆平を見遣る。玄関から出て私を見つめもう一度腕を引く。
『...じゃあさ、めちゃくちゃにしてまおか』
その言葉にドキリとした。隆平の後ろでドアが閉まり、笑みを浮かべた隆平を見つめる。腕を引き寄せられてまた隆平の腕の中へ抱かれ、顎に手を添えられ見上げた隆平の唇が押し付けられるように重なった。
「...見られるよ、」
その言葉に返事はないまま、額が合わせられた。
『...全っ部めちゃくちゃにしてさ、俺がお前もらうねん』
唇を触れさせたまま囁かれた酷く甘い告白を、月だけが見守っていた。
「......いいよ」
隆平を見つめれば、少しの戸惑いを映したような目で私を見ていた。
腕を引かれ玄関のドアを開けると、中に引き入れられて私を掻き抱く。閉まったドアに押し付けられ、性急に唇が重なった。不安や葛藤を振り払うような荒々しいキスは、私の心の迷いすらも忘れさせようとしていた。
『...ふたりで、堕ちてまお』
きっと、ずっと望んでいた。
自分から踏み出せない私の手を取って、奪って欲しかった。
息苦しい程に長く甘いキスを交わしながら触れた指先を絡めて引き寄せ、固く結んだ。
End.
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