星屑カクテル


...嘘。そんなはずない。
だって、さっき電話を切る時には『おやすみ』と言った。それなのに、23時のインターホンに胸が高鳴る。

“最近会ってないね。たまには飲もうよ”
“ええよ。いつ?”
“今から”
“あは、それは無理やろぉ”

ドアを開けると顔が上がって前髪の隙間から私を覗く瞳。やっぱりそこに立っていたのは章ちゃんだった。

「...ごめん」
『なんやそれ』
「...本当に来ると思わなくて」

ふっと息を吐き出して笑う章ちゃんを部屋の中へ招き入れると、ふわりと香る匂い。
きっとシャワーを浴びたばかりであろうその香りと、乾かさないで来たようなふわりとして無造作な髪、薄らと生えた髭。
いつも外で会う章ちゃんとは違うその色気に思わず目を逸らした。



“声が聞きたくて電話した”なんて、当たり前に言えなかった。
電話を掛けてきた理由を聞かれて“なんか寂しくて”と言ったのは、恋心を隠すため。
誘ったのは、言葉に詰まってしまったから。冗談の“今から”が現実になって、戸惑う気持ちは大きくてもやっぱり嬉しくて、いつもとは違う見慣れないその姿も特別に感じて胸が熱くなる。

『なぁ』

はっとして顔を上げると、章ちゃんが冷蔵庫の前でカクテルとビールの缶を私の方に突き出していた。

『次どっち?』
「あ、カシオレ」
『んー』

パタリと冷蔵庫を閉めて戻って来た章ちゃんに差し出されたカクテルの缶を受け取る。するとまたその缶を奪い取られ、プルタブを起こして渡された。
ありがと、と呟くけれど、なんて事無い顔をして自分のビールを開けた章ちゃんを盗み見る。

さっきからポツリポツリと話はするけれど、基本章ちゃんの視線はテレビにあって、その横顔を盗み見ていた。

なんとなく緊張している。
正直、これからどうなるのだろうと、ずっと思ってる。もう日付は変わったけれど、これから家を出て帰るんだろうか。

『つまらんな、テレビ』

そう言って突然テレビの音がプツリと途切れたからドキリとする。急に訪れた静寂に耳が痛くなる。
今消したテレビのリモコンをテーブルに置いて、章ちゃんが床に敷かれたラグに伸びをしながら仰向けに転がった。それをちらりと横目で見ていると、閉じられた瞼。

「...眠い?」
『んー、それなりに』
「...............、」

泊まる?という言葉を発するのを躊躇ってしまった。もう一度、と思った時にはもう瞼は開いていて、章ちゃんが起き上がってソファーに凭れる。
さっきよりも僅かに近付いた距離にすらドキドキしてしまうから、缶をテーブルに置いて少し俯いた。

『寂しいの、治った?』

子供相手のような問い掛けに章ちゃんを見れば、首を傾け口の端を上げてこっちを見ていた。思わず目を逸らして笑い、頷いて見せたけれど、上手く笑えているだろうか。

「ごめんね」
『あは、寂しい言われたらそら来るやろ』

その言葉の後に続く言葉はなんなんだろう。
“友達なんだから”?
知りたいけれど、知るのは怖い。
友達だけれど、実際そういうポジションなんだけれど、それを言葉にされてしまうと私を見てくれる可能性が限りなくゼロに近い気がして、怖い。

水滴の付き始めた缶を傾けてアルコールを口に含む。甘ったるいカクテルのせいで酔いが回る。
逃げるように目を閉じれば、手から缶を取り上げられてすぐに目を開けた。

『俺でもええの?』
「え?」

私から取り上げたカクテルに口を付け、ゴクリと喉を鳴らして章ちゃんが缶をテーブルに置く。

『寂しなったりすんねやろ?』
「...あー、」

寂しくなる…のとは、本当は少し違う。正確には、章ちゃんが恋しくなるだけなのだ。“章ちゃんでいい”わけではなくて、“章ちゃんがいい”。

それを伝えるわけにも行かず、何となく言葉を濁して曖昧に笑えば、章ちゃんが私をちらりと見たのがわかったから顔を上げることが出来なかった。
視界の端で俯いて、自分の足首のアンクレットを弄る章ちゃんを盗み見る。

『...それさぁ、俺でもええの?』
「...え?何、...」
『ここ、居るの』

重複した問い掛けに思わず章ちゃんに目を向けると、くるりとこちらを向いたから視線が絡んでドキリとした。薄く浮かんだ笑みの奥の心の中で、章ちゃんは何を思ってるいるのだろう。
私を見つめたまま逸らされることのない視線に鼓動が早くなる。その目の中に閉じ込められたように動くことが出来ない。
もしかしたら、章ちゃんは私の気持ちに気付いているのかもしれない。

『なんで俺に電話して来たん?』

もしかしたら、の可能性が濃厚になった。その問いに、どんな答えを返すのが正解なのだろう。
...けれど、ただ黙って章ちゃんを見ていた私から、ふっと笑ってやっと視線を逸らした章ちゃんは、私を追い詰めることはしなかった。それが逆にはぐらかされたように感じてしまうなんて、私は我儘だ。

『人恋しくなんの、わかるで』
「...うん」

誰でもいいわけじゃない。
“章ちゃんに会いたかった”
言ってしまえたら、何かが変わっていただろうか。あんなに恋心に気付かれたくないと怯えていたのに、告白する勇気もないくせに、後悔にも似た感情が胸を圧迫する。その苦しさに、目を閉じてゆっくりと重たい吐息を吐き出して目を開けると、章ちゃんが私を見ていた。それに気付いて視線を彷徨わせるけれど、まるで私の視線を待っているかのように横顔を見つめるから、ちらりと章ちゃんに視線を送った。

『俺は、お前がいい』

ドクリと心臓が脈打って、呼吸さえも忘れた。さっきまでと比べ物にならない程に苦しくて、それでも更に追い討ちをかけるように早くなる鼓動。

『そん時一緒に居んの、汐里がいい』

緊張して張り付くような感覚の喉に唾液を押しやるけれど上手く飲み込めない。私を射抜く章ちゃんの瞳に見つめられて、金縛りにあったように動くことが出来なかった。
私に伸ばされた手は髪を撫でて引き寄せる。高い体温に包まれた私の体は一瞬でその体温を上回った。自分と同じ甘ったるい香りの唇が熱い吐息を漏らして近付くのを見て、目を閉じて熱に溶け合うその瞬間を待った。


End.