Salty-Sweet


「...誕生日か...」

カレンダーを見ながらぼそっと呟いたら、ソファーに寝転がって漫画を読んでいたすばるがこちらに目を向けることなく言った。

『いつ?』
「...私じゃないよ」
『あ、俺か』

すばるもまた大して興味もなさそうにぼそっと呟いてページを捲る。
それを伺い見ながら、少しだけ、ほんの少しだけ緊張していた。

「...何が欲しい?」
『あ?なんて?』

思いの外細い声になってすばるには届かなかったようだ。聞き返されて黙ったままゴクリと唾を飲むと、すばるがソファーから起き上がり、漫画をローテーブルに置きながら私に視線を向けた。

『なんやねん、聞こえへん』

すばるから目を逸らして握っていた携帯に視線を落とす。去年の誕生日を思い出しているなんて気付かれないように、緊張を悟られないように。

「...何が欲しい、...プレゼント」

すばるの方を向くことは出来なかった。すばるは今どんな顔をしているんだろう。私を見ているんだろうか。

『別にあらへん』

さっきテーブルに置いた漫画を視界の端ですばるが掴み、再びソファーに倒れ込んだ。

有り得ない程バクバクと激しく脈打つ心臓に加え、ぎゅっと胸が引き攣れるように痛む。
...正直、期待してしまった。だからこんなに鼓動が早くなったのだ。



“...お前がいい ”

去年の今日、さっきと同じ問いに対してすばるは言った。
2日前に彼氏と別れたばかりだった私は、すばるを呼び出していた。ただ愚痴をすばるにぶち撒けてアルコールを煽っている途中にすばるの携帯が鳴ったのだ。すばるが耳元に当てた携帯から漏れる友人らしき関西弁の男の言葉で、その日が誕生日だと知った。

「今日誕生日なんだ?おめでと」
『全っ然心篭ってへんやん』
「なんか欲しいもんある?」
『...お前』
「は?」
『...お前がいい』

大分酔いは回っていたのに、頭が真っ白になった。冗談...の顔ではなかった。私を見つめる鋭い眼差しは、痛い程に私を突き刺す。

乱暴に髪を掴まれ、それなのに思いの外優しく頭を引き寄せられてキスをした。触れた唇は一瞬で離れたけれど、照れ臭くて、どんな顔をしていいかわからなくてすばるの肩を押して離れた。

「...ちょっと待ってよ、何急に...」

照れ隠しに笑って見せたけれど、すばるは何も言わなかった。
そろそろ帰るわ、と言って私の家を出て行った。

すばるのことが気になって仕方なかった。すばるが、私を。
けれど、時間が経てば経つほど、冗談だったんじゃないかと思ってしまう。だって、好きだとか、付き合おうとか、そんな言葉はひとつもなかったのだから。

すばるの気持ちが知りたくて、会う約束をした。会ってみるとすばるは普通で、あの言葉は何だったのか、あのキスが何だったのか、わからないまま別れた。

それでもやっぱり知りたくて、すばるの家に行った。けれどやっぱり今までと変わらなくて、私が欲しい言葉なんて勿論なくて、やっぱり冗談だったように思えてしまう。

すばるが欲しいのは、私の方だった。
すばるの言葉が欲しくて、唇が欲しくて、期待を捨て切れずに何度も会いに行く。
すばるは会うことを拒否したりはしないけれど、当たり前に私に手を出したりはしなかった。夜に会いに行っても、部屋に呼んでも、お酒を飲んだって、私に触れてくることはなかった。
ただ、あの日一度だけ。

“別にあらへん”
その言葉で、終わったような気がしてしまった。拒まれたように感じた。
最初に拒んだのは、私の方なのに。
今だったら、あの時とは違う。今だったら、すばるを受け入れらるのに。

すばるの携帯の着信音が鳴り、ちらりと目を向ける。仰向けのまま腰を浮かせて尻ポケットから携帯を抜いたすばるが、私に断ることもなく通話ボタンを押した。
読みかけの漫画を開いたまま胸の上に起き、天井を見つめて気のない相槌を打つすばるを盗み見ていると、携帯から僅かに漏れてきたのが女の声のようでドキリとした。

どこ?おん、わかった。

俯いたまますばるの声を聞いていた。その後の声は、自分の心臓の音に掻き消されてしまいそうで何を話しているのかわからなかった。
テーブルの上に上げている携帯を持つ手が僅かに震えていた。辛うじてその携帯を見つめているけれど、書いてある文字を追うけれど、何一つ頭に入ってこない。

するとそのテーブルにバサ、とすばるが漫画を置いたから心臓が跳ねる。ソファーから立ち上がったすばるを思わず見上げると、すばるが私を見下ろしていた。

『俺、行くけど』
「...どこ行くの」
『友達んとこ。祝ってくれる言うから』

そう、と小さく返すと、すばるが着ていたTシャツを脱ぎながら向こうのクローゼットを開けた。

...行っちゃやだ。
口に出せたとしたら、運命はどう動くのだろうか。

華奢なその背中を見ていたら、新しいTシャツに袖を通しながら振り返ったすばると視線が絡む。けれど慌てて逸らしてしまった。

『...帰らへんの、...すぐ出るけど』

喉まで出掛かった「行かないで」は言葉にならなかった。ただ、了承するようにぎこちなく頷くしかなかった。

『...んやねんお前』

面倒臭がられたいわけではない。だからその言葉でバッグを掴んで立ち上がった。
勝手にここに来ているのは私だ。何をするわけでもなく、ただ時間を潰すみたいにここにいるのだから、すばるの行動に兎や角言えないのだ。
実際は時間を潰しているわけではないけれど、すばるの目にはそう映っていることは何となくわかっていた。

『...おい、拗ねんなや』
「...何それ、拗ねてない」

すばるの前を擦り抜けて玄関へ向かう。何だか泣いてしまいそうだった。今日で最後のような気がしてしまったから。
サンダルに片足を通したところで、後ろから『おい』とすばるが私を呼んだ。

「...何」

振り返らずに両方のサンダルを履いて返事をすれば、すばるがすぐ後ろまで距離を詰めたのがわかって背中が緊張する。

『汐里』
「...だから何」
『プレゼント』

その言葉にドキリとした。息が詰まったように苦しくて、期待なのか不安なのかよくわからない感情が胸の中にぐるぐると渦巻いて呼吸が震える。

「...それが何、」
『...何でもええの』
「...高いものは無理だよ」
『全っ然大したことないわ』

すばるの言葉と同時に腕を掴まれたからびくりと肩が揺れ、思わずすばるを見た。その強い眼差しは私を刺すように見つめていて、心臓が壊れそうな程早く脈打つ。

『お前がいい』

去年の今日と同じその言葉は、私の頭を真っ白にした。

『安いもんやろ』
「...ひどい、」

思わず零れた涙をすばるが見つめていた。元彼と別れた時にすら見せなかった涙を、こんなところで見せるなんて恥ずかしい。

『...ひどいのはどっちやねん』

掴んだ腕を押されて玄関の壁に背を預ければ、すばるが片肘を私の顔の横に付いた。ポロポロと零れる涙を何度も見送って、すばるがぼそっと呟く。

『...俺か』

ふっと笑って重なった涙味の唇は、あの日よりも遥かに甘い。機嫌を取るように押し付け、慰めるように啄む。時折髪を撫でる手も、今までのすばるじゃないみたいに優しく柔らかい。

「...行かないで、」

唇が僅かに離れた隙に呟けば、至近距離でその目に私の瞳が映る。髪に差し込まれた手が髪を乱すように撫でると、息が止まりそうなくらい深く絡み付くようなキスで塞がれた。


Happy birthday!!  2017.9.22