揺蕩う曇声




快楽に歪む顔で私を見下ろす亮に、思わず手を伸ばした。するとすぐにその手を亮が捕まえて指を絡める。ぐっと引き寄せながら私の奥深くまで亮が入ってきて、漏れた熱い吐息も奪うように唇が重ねられた。二人の口内で篭った快楽の声も飲み込まれ、深く絡ませ深く繋がれば、頭の中は亮でいっぱいになっていた。

最初から、亮を愛していたみたいだった。薄く開いて吐息を漏らす唇も、私を真っ直ぐに見つめるその瞳も、私を慰めるように触れる指も、全てが私の理性を奪った。



仰向けで天井を見上げながらふっと息をついた。鼓動はまだ早いけれど、呼吸は大分落ち着いた。
けれど、体に残っていた亮の体温が冷めていくにつれ、最中の幸福感は次第に姿を変えていく。胸の中がどんよりと重たくなり、チクチクと棘で刺されるような痛みが襲う。
この気持ちに名前を付けるとしたら、罪悪感、なのだろうか。よくわからない。

『なんや、起きてるやん』

寝室の入口から顔を覗かせた亮が、煙草の香りと共に部屋に入ってきた。その何も身に付けていない亮の体から目を逸らすと、ベッドサイドで携帯を弄りながら亮が言った。

『シャワー、使う?』
「...あ、うん...もう少ししたら...」

今、すぐ傍に亮がいるこの状況で全裸でベッドから出る勇気はない。ちらりと亮を見遣れば、視線を泳がせまた携帯に目をやり、手持ち無沙汰にも見える。

...後悔、しているのかもしれない。私だって、よくわからない。罪悪感のような気持ちがあるのだから、私も後悔しているのかもしれない。けれど、もし亮が後悔しているんだとしたら、それは少し寂しい。

『...どうするん』

ちらりと亮に目を向ければ携帯から視線を上げて私を見ていた。けれどその目はすぐに逸れていく。

「...何が、」
『...今日、どうすんの』

その意味を理解して思わず目を逸らした。
あと少しで日付は変わろうとしている。きっと亮は『帰らないのか』と言いたいんだろう。私がこうして横になっているベッドに亮は入って来ないし、早く帰れと言いたいのかもしれない。

『...家に居るんやろ、...彼氏』

その言葉を聞いてまた浮かび上がってくる罪悪感。けれど、先に裏切ったのは向こうなのだ。それでも、裏切られたと理由を付けて、自分を庇うような言葉を頭に並べながら亮に抱かれたのだから、結局同罪なのだけれど。



数時間前、彼と口論になり半同棲中だった自宅のマンションを飛び出した。半同棲とは言っても元は私の部屋で、彼は暫く帰って来ていなかったのだけれど。
すぐにタクシーに乗り込み、携帯を掴んだ。
どこでもいい。誰でもいい。今一緒に居て、話を聞いてくれる人を探すために連絡先を表示する。
どこでもいい。誰でもいい。...そう思っていたはずなのに、私の口は行き先として亮のマンションを指示し、私の指は亮の連絡先を探していた。

『...おいアホ。何しとんねん』

亮のマンションの前でしゃがみ込み、俯いていた頭をパシリと叩かれ顔を上げると、不機嫌そうな表情の亮が立っていた。

「...ごめん」

さっき電話した時に、誕生日を前日に控え、パーティーをしてもらっていると言っていたのだから当たり前だ。だから一応気を遣って「終わるまで待ってるから」と言った。

『勝手に電話切んなや』

けれどきっと、亮は私が電話を切ってから、すぐに来てくれた。

「...だって、」
『...んやねん』
「...だって、他に行くところ、...」

“行くところなんてなかった”
言い掛けて言葉を飲み込んだ。
どうしてそんな事を言おうとしたんだろう。友達なんて他にもいるのに、どうして亮だったんだろう。自分でも戸惑っていた。

私を鋭い視線でじっと見つめた後、何も言わずに視線を逸らし、亮がマンションへ入って行った。俯いてその背中を追い掛ける。言葉はなかった。亮が怒っているのか呆れているのかわからない。それに加えて私の心の中の亮の存在に動揺して、顔を見ることも出来なくなった。

『どうすればいい?』

私を部屋に押し込んでそう言った亮を振り返り、ちらりと視線を向ける。

『慰めたったらええの?』

口角は僅かに上がってはいるけれど、笑顔はなかった。
高鳴る胸、苦しくなる呼吸。
黙ったまま亮を見つめていたら、私にゆっくりと歩み寄り、首の後ろに回した手に引き寄せられ唇が重なった。

『...ええよ。慰めたる』

噛み付くようなキスに、一気に感情が昂った。荒々しいキスをしながら私に触れる指は優しくて、鋭い視線の奥の瞳は甘い色をしていた。しているように見えた。そう思いたかったのかもしれない。

少し、怖かった。
亮に抱かれていると、最初から彼を愛していなかったような気がしてしまった。最初から、彼ではなく、亮を愛していたような気がしてしまった。





『...ずーっと、鳴ってたで。携帯』

ベッドサイドに立っていた亮が、ベッドに腰を下ろしたからドキリとした。けれど私に触れることはない。

...何度も着信があったのなんて知ってる。亮を感じながら目を閉じていると、向こうの携帯のバイブ音でハッとして目を開けた。切れてはまた鳴り出し、繰り返すバイブ音に気を取られていると、亮が薄く笑って私を覗き込んだ。そして荒々しく唇を重ね、私を快楽に引き戻したのは亮なのに。

するとまた向こうのリビングから着信のバイブ音がして、亮が私に目を向けた。鳴り止まないその音と亮の視線に答えを急かされているみたいで、鼓動が早くなる。

亮が立ち上がった。自分の携帯をベッドに残しリビングへ向かうと、戻ってきた亮の手に私の携帯が握られていた。それを差し出されたけれど、亮の手の中で着信が止んだ。
携帯に手を伸ばし、掴んだところで再びバイブ音が響く。受け取った携帯の画面にはやっぱり彼の名前が表示されていて、更に早くなる鼓動を感じながら携帯を見つめていた。

突然するりと手の中から携帯が引き抜かれた。驚いて亮を見上げれば、私を流し目で見て口角を上げ、通話ボタンを押した。思わず飛び起きて、体に薄い毛布を巻き付けたままベッドから亮に手を伸ばすけれど、亮はベッドから離れ携帯を耳に宛てる。亮の耳元から彼の声が漏れてきて、ゴクリと唾を飲んだ。

すると亮が再び携帯を私に向かって差し出した。恐る恐る手を伸ばして受け取り画面を見ると、電源が切られていた。
吐き出した息が震える。汗がじわりと滲む掌も僅かに震え、携帯を握り締めた。

亮がベッドに腰を下ろし、私の隣に入ってくる。横になった亮の顔は私より後ろにあるから、表情はわからない。

『...帰るん?』

思わずびくりとしてしまった。一度咳払いした亮が、なぁ、と私を呼ぶけれど、返答に困る。

『俺、さっき電話でも言うたけどさ、誕生日やねんけど』

亮の方にちらりと目を向ければ、重ねた枕で体を起こし、俯いていた。
時計は、0時を回っている。もしかしたら、今日誰かと約束があるのかもしれない。

顔を上げた亮と視線が絡んだ。
思わず「ごめん、」と漏らせば、亮が小さく溜息を吐いた。

『いや、ごめんとかちゃうねん。汐里のためにわざわざ帰って来たのにやで?一人にされるんや?俺』

視線を逸らして口角を上げた亮が自嘲気味に笑う。その言葉を聞いて胸が高鳴る。ここに居てもいいということだろうか。誕生日なのに、私が一緒に居てもいいのだろうか。

「...いいの...?」

上手く言葉が出てこなかった。前を向いて、毛布を握り締めて聞けば、亮がふっと息を零して笑う。

『お前さ、踏ん切り付かへんの?』

思わず口を噤んだ。...図星だった。
私は本当にあの人を切り捨てられるのだろうか。今までも裏切られて離れようとして離れられなくて、何度も同じことを繰り返して来たのだから。
きっと私は亮と一緒に居たいのだと思う。けれど、戸惑い躊躇う気持ちも確かに存在していた。私はまだ、彼とちゃんとした終わりを迎えてはいないのだ。

亮の手に腕を掴んで引かれ、ベッドに倒れ込んだ。私の横に肘を付き、覗き込むように顔を近付け、亮が笑う。その瞳いっぱいに不安気な顔の私が映っていた。

『...奪ったろか』

心臓がどくりと大きく脈打ち、一瞬で体温が上がったようにカッと熱くなる。その真っ直ぐな瞳の中に閉じ込められたまま動けなくなった。

『俺が、無理矢理奪ったるよ』

同意を求めるように熱を込め私を見つめる亮の手が髪に触れた。私はまるでその言葉をずっと待っていたみたいに、思わず頷いていた。
亮はまるで、私の気持ちを見透かしていたみたいに、私が頷くのを最初からわかっていたみたいに笑った。

『俺のもんにしてええねやろ?誕生日プレゼントってことで』

自信たっぷりに笑みを浮かべる亮から目を逸らしてもう一度小さく頷けば、頬に手を添えられ無理矢理目を合わせられる。さっきよりも甘くなったように感じるその笑顔は、私の心を掴んで離さない。

ありがとう、の言葉はまだ早い。好き、は照れ臭くて言葉に出来なかった。

「...誕生日、」

おめでとう、は言わせてもらえなかった。亮の唇で塞がれ口内に消えた。
私を掻き抱くように引き寄せられ、長く甘く続くキスに、全て溶かされてしまいそうで、愛しい背中を強く抱き締めた。


Happy birthday!!  2017.11.3