モノクロームチーク
章大と仲の良い女の子が俯くその目の前で、困ったように章大が笑っていた。
章大との待ち合わせ場所で突然目に飛び込んできたその光景を見てただ呆然と立ち尽くしたまま、あの日の言葉を思い出していた。
“俺な、あんまり女友達おれへんねん”
脇を擦り抜けて走って行った女の子を目で追うことなく、章大が俯いていた。
まるでフラれたのは私みたい。彼女と自分を重ね合わせて、切なく胸が締め付けられてどうしようもない。
数年前。まだ私達が出会ったばかりの頃、章大がさらっと零したあの言葉に初めは違和感を感じていた。こんなに感じの良い男の子に友達が少ないわけないのに。
けれど親しくなるにつれて、妙に納得した記憶がある。“女友達”で居られなくなってしまうのは、きっと彼に惹かれてしまうから。その優しさも無邪気さも男っぽさも、惹き付けるには充分過ぎる。それに加えて無意識の思わせ振りな態度。
私達に、友達になろう、なんて言葉はなかった。それでも、女友達というポジションに抵抗はなかったように思う。
好きになるなんて、思ってなかったから。他人事のように聞いていたそんな一言に苦しめられることになるなんて、想像もしていなかった。
けれど、今更どうこうするなんて出来ない。章大を失う恐怖を想像したら、告白する勇気なんていらない。欲しくない。
堪らなく切なくなる瞬間があるのには気付かないフリをして、今日も隣でその横顔を見つめる。
『ご機嫌斜め?』
章大が私を覗き込むように見て問い掛けた。
「...んーん」
『そ?嫌やった?海』
「嫌じゃない。ちょっとセンチメンタルなだけ」
なんやそれ、と笑う章大の横で砂を弄りながら、章大がスケッチブックに描く不思議な絵を眺めていた。
数分前突然バッグからスケッチブックを取り出した章大が描き始めたのは、海に来ているのに海ではない絵だった。鉛筆だけで描かれていく、現実や空想が混ざったモノクロームの世界。
章大は『少しだけ。ごめんな』と謝ったけれど、章大がこうしている姿を見るのは好きだ。それに本当に今はセンチメンタルで、会話がなくても支障がないこのシチュエーションには助けられた。
ついさっき見た光景は、思いの外ダメージが大きかったのだ。
『ちょ、見て』
個性が細かく散りばめられたスケッチブックの中央を章大が指差す。そこに小さく描かれた女の子から私に視線を移し、章大がふにゃりと笑った。
『これ汐里』
「...可愛いじゃん、私」
『んふふ、細めに描いたったで』
冗談めかして笑う章大を横目に、嬉しくて照れ臭くて切なくて、胸が苦しくなる。
まるで彼の世界の中心に私が居るように錯覚させられるその絵は、やっぱり無意識で思わせ振りだ。
胸の苦しさを誤魔化すみたいに小さく溜息を零して水平線を見つめる。真っ直ぐなはずが揺れて歪んで見えるのは、蜃気楼のせいだろうか。それとも。
『なぁ、見て見て、こっち俺』
肘で二の腕辺りを突かれ目を向ければ、スケッチブックの中心の私の隣に今正に描き加えられている、章大。少し距離がある絵の中の2人は、今の私たちそのもののような気がした。
「...背、でっかくない?私と比べて」
『こんなもんやろ』
距離がある2人が、絵の中の章大に腕を描き足したことで、まるで手を繋いでいるように見えてちょっと笑った。
モノクロームの世界の2人の周りに描き足されていく絵から、座った足の間の砂に目を移す。
私の中で大きくなってしまったこの気持ちが、章大ではない他の誰かに向かう日は来るのだろうか。それより先に、章大が誰かのものになるとしたら、私は笑って「おめでとう」が言えるのだろうか。
「...章大はさ、彼女...欲しくないの?」
思いの外するりと吐き出された言葉に自分で少し驚いた。けれど、きっとずっと聞きたかった。今日みたいな場面を見たのは初めてではないから。まだ自分の気持ちに気付く前にも、声を掛けられた章大から離れ、見守ったことがある。
断り文句は距離があり過ぎて聞こえなかった。ただ、その後章大の唇は多分“ありがとう”と“ごめん”の形を作っていたのだと思う。
一度私に目を向けた章大は、スケッチブックに向き直りながら首を傾げる。
『んー...欲しい、かなぁ』
「...なんで作らないの?」
私の言葉に手を止め、章大がスケッチブックを見つめた。考え込むように眉間に少し皺を寄せ、暫しの沈黙の後、私を見遣り言った。
『ていうか、“作る”っておかしない?』
「え?」
『“作らない”とかちゃうよ。ただ出来ひんだけやんか』
笑う章大から目を逸らして砂浜に視線を落とした。
...そんな事が聞きたかったんじゃない。言葉なんてどっちだっていい。それがどうしてかを知りたいんだから。モテるのに、どうして。
『汐里は?彼氏欲しないの?』
「...私は、モテないもん」
『んなことないわ!』
キョトンとして私を見た章大が、すぐにそう言ってふっと笑った。スケッチブックの端に描いたハートマークが、まるで浮き出てきそうに章大の鉛筆で装飾されていく。それをぼんやりと見ていた。
「...なんで」
『見てたらわかるやん』
...そう言うけれど、私が実際に「告白された」と章大に言ったことなんて今までに一度だけ。あからさまにモテている章大とは雲泥の差。
他に思い当たることを考えてみても、一向に浮かばない。私の何を見ていてわかるんだろう。
考え込んでいた私の険しい顔を見て、章大が含み笑いをした。
『ちゃうよ。モテるのが“わかる”んちゃうで?』
章大の言う事が理解出来ず首を捻ってその先を急かすと、スケッチブックと鉛筆を砂の上に置いた。立てていた膝を胡座の形に変え、ゆっくりと海に向かって下りてきている太陽を見遣り、眩しそうに目を細め俯く。
『汐里見てたら、モテる要素いっぱいあるってこと』
何だか妙に切ない気持ちが込み上げた。嬉しい言葉ではあるけれど、章大はどんな気持ちでそんなセリフを吐くんだろう。
そのセリフが、一人の女の子の恋心を加速させるなんてきっと考えていない。私がこんな気持ちになってるなんて、章大は知らない。
「...それは章大の方でしょ」
頭は上げず、俯いていた顔を横に向けて章大が私をちらりと見た。
思わず出てしまった言葉はまるで拗ねているかのような口調で、慌てて言葉を探す。
「...選びたい放題なくせに」
誤魔化すように、茶化すように笑って見せれば、私から外れた視線が下に落ちて口角だけが無理に持ち上げられたように見えた。
苛立たせてしまったかもしれないと思ったら、もう目を見ることは出来なかった。
『...そんなんちゃうよ』
「章大はモテるし、...私とは違うよ」
黙った章大を横目に見ながら、妙な苛立ちに自分で戸惑っていた。
章大を責めてどうするの。章大が悪いんじゃない。
...けど、少しだけ、その思わせ振りな態度に傷付く人がいることも、わかって欲しかったのかもしれない。
『...違わへんよ』
章大が独り言のように呟いたから、ちらりと章大を見遣る。低くなった太陽に照らされた章大の輝く瞳は、スケッチブックを見つめていた。
くるりとこちらを見た章大と視線が絡むと、すぐに戸惑ったように視線が外れて、その戸惑いを隠すように章大の唇が笑みを作った。
『俺を好きでおってくれる子の中から彼女選ばなあかんの?』
...何も言葉が出なかった。
章大を見ていたら、きっと私の言葉は章大を苛立たせたのではなく、傷付けたのだと思った。
『...俺は、俺が好きになった子に好きになって欲しいねん』
...その気持ちを誰よりもよくわかっているのは、今の自分のはずだったのに。
章大が私を見て表情を崩して笑った。
章大のことだから、雰囲気が悪くなったと感じて空気を変えようとしたのかもしれない。章大から目を逸らして小さな声で言った。
「...ごめんね」
『あは、...ほんっま鈍感で困る』
...鈍感、という言葉が引っ掛かって章大に目を向けた。
「......え?」
思わず聞き返した私の声に対する答えはない。
スケッチブックを拾い上げて砂を払った章大が、私の顔を見つめた後、ただふっと息を零して笑っただけ。
「...ねぇ、」
笑いを堪えるように唇を噛んだ章大が鉛筆を持って私に目を向けた。けれどやっぱり答えはもらえないままスケッチブックに視線が落ちる。
すると絵の中の私の頬を章大の鉛筆が薄く色付ける。チークを入れるように、丁寧に。まるで頬の紅潮を指摘されたようで、ますます顔に熱が集まった。
『やーっと気付いた』
小さく呟いてまた笑った章大は、小さい章大の頬にも鉛筆のチークを入れた。
End.