スピリタス
咄嗟に、本当に突然思い立った。
計画的犯行ではないし、ムラムラしてたとか、そんなんじゃない。ただ、今しかないと思っただけ。今を逃したら、これからも先には進めないような気がした。
『...び、っくりしたぁ...』
その“びっくりした”は、ただの呟きであって私に向けられたものではなさそうだ。
きっと心底驚いている。
全然頭が働いていないみたいに呆然としてただ私を見つめるだけの真ん丸な瞳。こんな状態でも握ったままのビールの空き缶。
私が章ちゃんを突き飛ばして体を跨ぎ上に乗ってから、章ちゃんが“びっくりした”を発するまでに、軽く1分以上は経過していた。
自分からこんな事をしておきながら、もう死んじゃうんじゃないかと思うくらい、今までに感じたことがないくらい、激しい脈動を感じていた。
だってこうしていざ章ちゃんの腰の上で章ちゃんを見下ろしてみると、一瞬で酔いが醒めたようにさっと血の気が引いた。
なんなの。さっきまでの酔った勢いはどこに行ったの。せめてもう少し勢いで進めたかったのに。
極端に狭い視野の真ん中にいる章ちゃんから目が離せない。離してしまったら逃げ出してしまいそうで、そうなったら後で上手い言い訳すら出来ない気がして引けずにただ章ちゃんを見下ろしていた。
『...ごめん』
「..........、」
『...最悪やな、俺、』
先に目を逸らしたのは、章ちゃんの方だった。
自嘲するような薄い笑みで発せられたその言葉で、顔が一気にカッと熱くなる。私の丁度その辺りに触れたものが、ベルトか何かではなく、章ちゃんの熱に押し上げられているのだと、謝られたことで確信した。
『...どうしたん、』
また伺うように私に向けられた章ちゃんの目。
体は反応してるのに、なんでどうした?なんて聞いてられるの。いっそ理性なんて吹き飛ばして、このまま逆に私を押し倒して押さえ付けて、荒々しく抱いてくれたらいいのに。
とうとう章ちゃんから目を逸らして俯くけれど、私の方が上に居るのだから視線の逃げ場がない。
『...なんなん?したいん?』
いざそう言われてみたら恥ずかしくてたまらない。
持ち込んでしまおうと思ったのは事実なのに、頷くことが出来ない。だからと言って、今更否定することも出来ない。
そもそもセックスしたかったわけではない。することで、関係を少しでも進展させることが出来れば、と咄嗟に考えただけ。
すると再び、章ちゃんの硬くなったその部分に肌を押し上げられる。
『...待って、...とりあえずさ、このままはアレやから...』
苦笑いを浮かべて起き上がろうとした章ちゃんの肩を咄嗟に押さえ付けた。ここから先に進める勇気があるのか、自分でもわからない。けれど、私が退いてしまったらもうその先はないような気がしたから。
驚いたように私を見上げる章ちゃんの手から空き缶を取りあげると、一度こくりと喉を鳴らした章ちゃんの目の色が次第に変わって、私を見据えた。すると逆に手首を掴まれ、ビクリと体が揺れる。空き缶が転がっても私を掴む手は離れず、章ちゃんが起き上がったからますます動揺する。
章ちゃんの太腿側へズレた体を腿の間へ落とされ、同時に肩を押され床に背中を打ち、息を呑んで章ちゃんを見上げた。私の顔の横に片手を付いて、もう片方の手は肩を床へ押し付けながらゆっくりと私の体を跨ぐ。体勢が逆転し、私を真っ直ぐに見つめる瞳の色がどんどん色気を放っていくから心臓が早鐘を打つ。
仕掛けたのは私の方なのに、戸惑ってどうするの。
『びびってるやん』
眉を顰めた章ちゃんが私の心を覗こうとしているかのように鋭い目で見つめるから、ごくりと唾を飲んだ。緊張で渇く喉は、思いの外大きな音を立てる。
けれど、認めるわけにはいかない。私は酔っていて、酔っているからこんなことをしたんだから。
...そういう事にしておかなきゃ、逃げ道がなくなっちゃう。戻れなくなってしまう。
『...仕掛けてきたのはお前やろ』
挑むような目といつもよりも少し尖った口調が私を追い詰める。肩にあった手が私の髪をくしゃりと掴み見下すように見つめたからドキリとする。
『ええよ。しよ』
傾けられた顔が近付いて刺すような目が私の思考を止めた。望んでいた事のはずなのに、どうしていいかわからない。
私を見ていた目が唇に落ちて、唇が押し付けられた。すぐに離れ、また唇を食むように合わせられ、息をするのも忘れた。
動揺した心は、嬉しいのか何なのかよくわからなかった。ただ泣いてしまいそうに目の奥が熱くて、章ちゃんのニットを掴んで耐える。
『キスでそんなけびびっててセックスなんて出来るん?』
唇が離れて聞こえたのは、普段の章ちゃんとは違う低く冷ややかな声色。興奮と緊張で吐き出す息が震えた。
乱すように髪に差し込まれた手に引き寄せられもう一度噛み付くみたいなキスで塞がれると、息苦しさに喉の奥の声が鼻から漏れてしまって恥ずかしい。
私の太腿に触れる章ちゃんの昂った熱がますます私の鼓動を早めた。
『俺な、絶対欲しくなるで』
唇が僅かに触れる距離で、章ちゃんが囁くように低く呟いた。
『セックスしたら、汐里のこと、絶対自分のもんにしたなる』
気圧されたように息を詰めて章ちゃんをただ見つめた。酔いは醒めたはずなのに、また一気に酔いが回って夢の中にいるみたいにふわふわとして、視界が狭く、呼吸が苦しい。
『...知らんで。その気にさせたんはお前やからな』
服を掴んでいた手を外され、手首を握ったまま顔の横に押さえ付けられて再び唇が触れた。舌で唇をこじ開けられると震える吐息が零れる。それさえも飲み込むように深く口付けられ舌が絡んだ。
章ちゃんの言葉を思い返し、気持ちを伝えるようにぎこちなく舌を誘えば、章ちゃんの息遣いも次第に荒くなる。
最後に啄むようにして離れたその濡れた唇が孤を描いた。章ちゃんが艶を帯びた瞳で私を見つめ、ふっと息を零して笑う。
『...なんなん、その顔。俺の事好きみたいやん』
章ちゃんの目の中で小さく頷く私に、表情を崩し口の端を上げた章ちゃんの唇が降りてくる。今度は優しく柔らかいキスが何度も降り注ぎ、手首を掴む手が解け指が絡んだ。
End.