サヨナラプソティ


いつもの風景が、
全く違うものに見えた。
白よりも断然青が多い空が、
今日はなんとなく悲しかった。
お気に入りのカフェオレが、
今日は美味しく感じられなかった。

それなのに、隣にある横顔だけはいつも通りで胸が苦しい。

...全部章大のせい。
章大が1人で勝手に決めて、居なくなっちゃうから。だから章大が悪い。


気温の割に冷えた掌は、自分の体の一部ではないみたいで、固く握り締めてみる。さっきまでこちらの手で持っていた冷たいカフェオレのせいだけではない。緊張した時の感覚に似ている。まるで、血が通っていないみたい。

『飲まへんの?』

問い掛けられて隣を歩く章大に目を向ければ、やっぱりいつも通りの顔で私を見ていた。少し口角の上がった口元。綺麗なアーモンド型の瞳。その“ いつも通り”は、今日で終わってしまう。

「...今日、不味い」

ボソリと呟いて章大の前にカフェオレを差し出せば、冷たくなった指先に温かい体温が触れた。けれど一瞬で離れて行く。私の指と同じくらい冷たいカフェオレは、章大の手に連れ去られた。それを少しだけ羨ましく思ってしまう。それくらいに感傷的になっていた。

『いつもと変わらんやん』

私が口を付けたストローを何の躊躇いもなく咥えたまま章大が言う。
なんでもない振りをしていたって、本当はそんな事すら嬉しいのに、今日はとてもじゃないけれどそれを見ていられない。泣いてしまいそうで。最後に一緒に過ごす貴重な時間を噛み締めて、少しでも沢山章大の姿を瞼の裏に焼き付けたいのに。それなのに、いつもと変わらない章大の横顔に、泣いてしまいそうになる。

『誰と行くん?』

急に意味のわからない質問をするから、涙目のまま思わず章大に目を向けた。慌てて逸らしたけれど、章大は俯いていて視線が絡むことはなかった。

「...どこに」
『さっき電話きてたやん。明日?遊び行くとか』
「...友達」

一緒に帰ろうと誘ったのは私だけれど、数分前に掛かってきた電話のことくらいしか話題がないのが悲しい。最後なのに。こんな話がしたいわけじゃないのに。

いってらっしゃい。
がんばってね。
...またね。

本当に言いたいのは「またね」なのだ。

『ふーん』

もう2年も前に別れたのだから仕方がないのだけれど、私と同じように寂しがってくれないのかと、理不尽なことを考えて不機嫌になる。

『彼氏じゃないんや』

...居ないって知ってるくせに。
ふふ、と俯いたまま馬鹿にしたように笑う章大に、ますます苛立つ。
ちょっと前はそれでも笑っていられたのに。

「...自分だって彼女できないくせに」

自分の不機嫌丸出しな声に少し焦った。けれど、顔を上げた章大が思いの外優しい笑みを浮かべて私を見るから、どくりと心臓が脈打って思わず目を逸らした。

『俺は作らへんのー』

明るい声で笑って言った章大が、視界の端で飲み干したカフェオレの容器をゴミ箱に放り投げた。

『...だって今から寂しい思いさせてまうもん』

その優しい口調と言葉で、章大には好きな人がいるのだと確信した。
だから、思わず願う。それが私ですように、と何度も心の中で祈るように呟いた。

『...それは可哀想やろ?』

少し前を歩いていた章大が振り返ったから顔を上げる。笑顔のない章大を見て、なんだか緊張して拳にぐっと力が篭った。
唇が触れたのは、一瞬だった。
でも確かに触れた。だってまだ、章大の体温が唇に残ってる。

呆然とする私の前で俯いて笑う章大が、何を考えているのかわからない。
何も言えずにいる私の手を、章大が取って引いた。繋ぐ、というよりは、指を弄ぶように絡められている。

からかっているならタチが悪い。こんなことをするなんて。私の気も知らないで。
...本当に知らないの?知っていてこんな事をするの?

口角の上がった口元に、やっぱり少し腹が立った。けれど、何も言えなかった。
この手が離れてしまったら困るから。

『...あは、ごめん』

どうして謝るの。つい、しちゃったってこと?謝られて、私はどうすればいいの。

『狡いことしてもうた』

自嘲気味に笑う章大の声が何だか切なくて、胸が苦しくて、唇を噛み締めた。涙が零れてしまわないように。
嬉しいのか、悲しいのか、よく分からなかった。けれど、寂しさの中に小さな灯が灯ったように感じた。

絡められていた指が引き寄せられて章大の手に握られると、章大が顔を背ける。
息を吸い込んで、声が震えてしまわないように、何度か深呼吸を繰り返して言った。

「...また...会える、?」

震えることはなかったけれど、寂しい、と言っているみたいな声になってしまった。けれど、これで伝わればいい。私の気持ちが届けばいいのに。

私の問い掛けに振り返った章大は、満面の笑みを見せた。

『会えるんちゃう?』
「...なにそれ」

表情の割に無責任な言葉に思わず不満げな声を漏らすと、またふっと笑って章大が前を向いた。

『汐里が待っててくれるんやったら、会えるよ』

欲しい言葉はくれなかった。待ってて、と言われたら、頷くのに。そんな言葉を待っていたのに。
今日の章大は本当に何を考えているのかわからない。

『...なぁ、待っててくれる?』

また振り返った章大の細められた優しい瞳から目を逸らして俯き、唇を噛んだ。
だって狡い。やっぱり私の気持ちをわかっていて、そんなことを言うのだから。

『待っとってよ』

私が顔を上げるより先に足を止めた章大に、頭を引き寄せられて唇が触れた。じわりと滲んできた涙を隠すように俯きながら頷いた。
ふっと章大の口から吐き出された吐息は、安堵の溜息のようでますます胸が苦しくなる。
慰めるように私の髪を撫でる手がゆっくりと離れると、章大が笑った。

『またな』

章大の笑顔の向こうには、私の心を映したような青空が広がっていた。


End.