星空を待つ朝
ボサボサの髪をますます乱すように掻きながら亮が寝室から出て来てソファーに腰を下ろした。
「おはよ」
『...はよ』
何度も瞬きをして、目を覚ますようにぐるりと首を回してから一度溜息を吐く。それをキッチンからちらりと盗み見る。
隣で眠るだけの関係の私達は、ただの友達だった頃に比べて会話は減ってしまった気がする。
気持ちに気付かれないように、この関係がずっと続けられるように、余計な事も面倒臭い事も言わないように細心の注意を払う。
「...なんか飲む?」
『んーいらん』
「なんか食べてく?」
『...あー、それ』
ソファーから立ち上がった亮が、私がダイニングテーブルに運んだフルーツの乗った皿を見遣って言った。
椅子をひとつ引いて、こちらに歩いて来た亮にフォークを差し出すと、椅子には座らず私の指に触れフォークを受け取る。それに少しドキリとしてしまった。
手が触れることなんて何度もあったけれど、昨夜隣に寝ていた亮が無意識に私の手に触れ指を絡め取った。何度も一緒に寝ていたのに、その一度の行動だけで昨夜は眠れなくなってしまったのだから。
フルーツを口に運びながら私を横目でちらりと見遣り、皿のグレープフルーツをグサリと突き刺したフォークを私に押し付け、亮が洗面所へと向かった。そのグレープフルーツを口に運びながら、また切なくなる。
亮のちょっとした優しさや行動にいちいち幸せを噛み締めて、胸が痛くなる。幸せの分だけ、苦しい。この関係を続けるためには仕方ないことなのだとわかってはいても、玄関で亮を見送る度に、堪らなく痛くて苦しくなる。
玄関で腰を下ろしてスニーカーの靴紐を結ぶ亮の背中をぼんやりと見ていた。
日曜日の朝とは言え、亮の仕事には関係ない。起きてからほとんど会話も交わさずに、すぐにまた別れの時間はやってくる。
「...次、...いつ来る?」
何か話そうと口を開いたら思わず出てきた言葉に少し後悔する。まるで早く会いたいような言い方になってしまったから。
『んー...もう来週やな』
「...ん、わかった」
靴紐を締めて立ち上がった亮が、玄関のドアノブに手を掛けて振り返る。視線が絡むと口元を僅かに緩めて笑うからドキリとした。
「...何、」
『...寂しいんや?』
その言葉に顔が次第に熱くなってくるのを感じた。からかっている、というわけではなさそうだけれど、その笑みの意味も読めないのだからドキドキしてしまう。
「...なんで」
『寂しそうな顔してるやん』
珍しく私の目を見てそんなことを言うから狡い。いつもは目が合ってもすぐに逸らされてしまうのに。
ソフレなのだから、ひとりで眠るのが寂しいのだから、恥ずかしいことではない。いくらそう言い聞かせても高鳴る鼓動はおさまってはくれない。
「...してない」
先に目を逸らしたのは私の方だった。
視界に入っていた亮のスニーカーがドアの方を向いて、亮にしては優しい口調で私に言った。
『遅くなるで』
「...え?」
『遅い時間に来てええなら、来るけど』
私が思わず顔を上げたと同時に亮がまた振り返る。その顔に笑顔はないけれど、向けられた瞳は優しくて真っ直ぐに私を見ていた。
一度頷いて口を開くけれど、出てきたのは蚊の鳴くような声だった。
「......いいよ、別に...」
『ん、じゃあ今日。今日、また来るわ』
自分の心臓の音で、うん、と発した声は聞こえなかった。だからもう一度頷くと、亮が私に背を向けてドアを開く。けれど亮がぴたりと止まってから振り返り私の前へと戻って来た。
亮の後ろでパタリとドアが閉まると、向かい合った亮が私を見つめる。
『...なぁ』
上目遣いのような角度で私を映す瞳に、ごくりと唾を飲み込む。今からどんな言葉を言われるのか、不安と期待は入り混じって、緊張で湿った掌で拳を作る。
『いい加減しんどいねんけど。来る理由作んの』
その言葉を呆然と聞いていた。動揺した頭では、亮の言いたい事は理解できない。ただ亮から目を逸らせずに、次の言葉を待つ。
『“会いたいから来る”...は、あかん?』
柔らかい口調で問い掛けられて、やっとその意味を理解する。と同時に感動にも安堵にも似た、幸せな感情が一気に溢れて言葉が出ない。
『それやったら、毎日でも来たるのに』
ただ頷いた。私を見つめる亮の目を見てもう一度深く頷けば、亮が口角を持ち上げて笑いながら俯く。そのまま溜息をひとつ落として顔を上げた亮が、私に笑顔を向けて言った。
『ほんなら、...いってきます』
首の後ろをぐっと掴んで引き寄せられ、啄むように一度唇を合わせて亮が背を向ける。
「......いってらっしゃいっ、」
ドアを開いたその背中に声を掛けるけれど、振り向くことなく後ろ手で手を振ってドアが閉まった。
堪えた涙は今になって溢れ出し、苦しいような甘い胸の痛みに、しゃがみ込んで一人膝を抱えた。
End.