宙に溺れる
肩を掌で包まれ、引き寄せるようにしながら体の奥を抉られ嬌声が上がる。思わず反らした首筋に隆平が歯を立てた。ぞくりと粟立った肌を尖らせた隆平の舌が滑り、私の中が収縮して隆平が息を詰める。首筋から顔が上がって私を見つめる隆平の熱っぽい瞳に胸が苦しくなる。
その目は、私を通して誰を見ているんだろう。
“...ホテルでも、行く?”
あの日の隆平は酔っていた。口元に笑みを浮かべてふざけたように私に言った。顔を近付けられ、同時に髪を撫で顎に手を添え顔を上げられたから慌てて隆平の胸を押して離れる。その時絡んだ視線は、思いの外寂しげに私を見つめていた。
“...そうやんなぁ?嫌に決まってるよなぁ ”
一瞬空いた間で、隆平の顔は切り替えられた。再びふざけたように笑いながらポンと私の頭を撫で、ごめんごめん、と言って離れた。
私の気も知らないで。私がどれだけドキドキして傷付いて、一瞬見せた隆平の寂しげな表情にどれだけ苦しくなっているか知らないくせに。
“ずっと想ってる人が居んねん”
そんなことを言いながら、私にそんなことしないでよ。
私だってずっと隆平を想っていた。いつからかなんてわからない。けれど、今みたいに有名になる前からずっと見ていた。見ているだけでいいと思っていたのに、こんなことされたら欲しくなる。私を見ていなくてもいいと思ってしまう。
もっと苦しくなるとわかっているのに。
あの日以来、会うのは一ヶ月ぶりだった。仲間内の飲み会だけれど、隆平に会うのがなんとなく怖くて参加するのを躊躇った。
けれど、結局“会いたい”に負けてしまう。
最初から隆平の様子がおかしかった。酒を煽るペースも早いし、いつもよりよく笑う。それが無理をして笑っているように見えて気になっていた。
“大丈夫?”
頭の中で何度もシミュレーションをするけれど、返ってくるのは
“何が?”
あんなことがあって、私に話してくれるだろうか。慰めて欲しかった時に拒絶した私に、また頼ろうと思ってくれるだろうか。
でも声は掛けられなかった。目も合わなければ近くに座ることもなくただ時間だけが過ぎる。見ているのは、私だけ。あの日のことを気にしているのも、きっと私だけ。
『あれ、みんなはぁ?』
トイレに寄って遅れて店から出て来た隆平に声を掛けられた。次の店に向うみんなの背中を見送り、二次会には行かないと言った隆平をひとりで待っていた。
「もう行っちゃったよ」
『えー、冷たいなぁ。バイバイくらいさしてくれよなぁ』
...待っていた、のだけれど、ただ“大丈夫?”と声を掛けることしか考えていなかった。具体的にどうするか、全く考えなしに酔った勢いで動いてしまったから、ここに来てやけに緊張してくる。
『汐里は行かへんねや?』
「うん」
ヘラヘラと笑う隆平に向けた私の笑顔は、ぎこちなく映ってはいなかっただろうか。
『なんか今日喋ってへんなぁ』
「...隆平、」
『ん、何?』
足元の石を爪先で弄る隆平を見ながら、緊張で汗ばんだ自分の掌を固く握り締める。
「...大丈夫?」
隆平が足の動きをピタリと止めた。それを横目で見ながら言葉を待つ。すると、ふっと息を漏らして笑い、俯いたまま隆平が言った。
『...何がぁ?』
シミュレーション、の通りだった。
「...んーん、なんでもない」
シミュレーションした通りの言葉を返せば、また石ころを軽く蹴飛ばし、前髪の隙間から隆平の目が私を捉えた。
『...心配してくれたんやね』
優しい声色だった。けれど、小さく呟くような独り言みたいな声だった。
顔を上げた隆平は何とも言えない顔をしていた。悲しいのか苛立っているのかよくわからない顔で、私をゆっくりと包み込むように抱き締めた。
心臓が飛び跳ねる程ドキリとして、早いビートを刻む。
私の首筋に顔を埋め、そこで吐き出された息が震えているように感じる。
「...どうしたの」
言葉は返って来なかった。こんな所で誰かに見られたらどうするんだろう。
けれど、あの日の寂しげな表情が過ぎって言葉にならなかった。引き剥がすことも出来なかった。
なんだか泣いているような呼吸を感じて、恐る恐る隆平の背中に腕を回した。ポンポンと子供をあやすように背中を叩く。今の私の胸の高鳴りを隆平に気付かれないように、ただ必死だった。だからただ、隆平を労わっている振りをした。
『...お願い』
隆平が小さく呟いたから、背中の手を優しく撫でる動きに変えて続きの言葉を待った。
『...お願い、抱かせて』
ますます早くなる鼓動を感じながら心が揺れる。
辛くなるのはわかっている。苦しくて、痛くて、どうしようもなくなるのはわかっている。わかっているのに。
“...いいよ”
『...何考えてるん』
荒々しく髪を撫で、滑り降りてきた手は首の後ろを引き寄せ、荒い呼吸が漏れる隆平の唇が私の唇を塞いだ。差し込まれた舌に絡め取られた舌が口内で弄ばれ、ふたりの隙間から混ざり合った吐息が漏れる。
『...俺だけにして、っ今は、頭ん中っ』
両方の掌で頬を包まれ、視界は隆平でいっぱいになる。
考えていたのは隆平のことなのに。隆平の思わせ振りな言葉は胸を甘く締め付ける。
つい1時間程前の出来事もこうして抱かれていると夢の中の話みたい。
それでも、私の手を引いて歩き出した今まで見たことのない表情の隆平を忘れることは出来ない。色のない目の向こう側に見えた深海の様な深い青の星空も、きっと忘れられない。
何があったかは知らない。聞くことも出来なかった。ただ怖いだけ。隆平をこんな風にするのが、私ではない誰かだと思うと怖くて聞くことは出来なかった。
私に触れる手も唇も荒々しいけれど、酷くしたりはしない。そこに隆平の優しさが滲み出ている気がした。
もっと酷くしてくれてもいいのに。そうじゃないと、勘違いしてしまいそう。
突き上げられる度に漏れる声を隆平の唇が封じる。角度を変えて何度も深く舌を絡ませ、呼吸も儘ならない程に弄ばれ息が苦しい。
その舌が解けて唇が離れ、やっと酸素を取り込めば、隆平の腕に抱かれた腰を引き寄せられより深く打ち付けられてまた息を詰める。腰の下に入れた腕でしっかりと抱かれ、顔を私の胸に埋めた隆平の舌が愛撫する。ぴくりと快感に跳ねる体を押さえ付けるように抱き締め私の中を掻き回す。
時折私を見つめる目が怖い。
その目にちゃんと私が映っているだろうか。
私には隆平しか見えていないのに。
その瞳から逃れるように目を固く閉じた。
限られた短い時間、ただ隆平を見て隆平だけを感じていたいのに、余計な事ばかり頭を過ぎる。
今は好きな人の腕の中で、ただただ幸せを感じていたいのに。
『汐里』
髪を乱すように撫で呼び掛ける隆平の声で目を開けた。
『見て、っちゃんと、』
荒い呼吸で言葉を途切れさせ、隆平の唇が私の唇を啄む。
『...俺を、っ』
隆平の揺れる瞳から目が離せなかった。泣き出しそうに歪んだ唇を噛み、すぐに私に噛み付くようなキスを仕掛けた隆平は、律動を早めて私を追い詰める。
突き上げられてキスで塞がれ詰まる息に、胸の苦しさまで重なって窒息してしまいそう。縋り付くように隆平の体に腕を回し迫る絶頂に奥歯を噛み締める。吐息に混ざる耐えるような隆平の声は、ますます私を煽った。
背中の手を引き剥がされベッドに張り付けらると、そこに隆平の指が絡んで手を握る。
苦しくなると、わかっていたはずだったのに。
浮んだ涙は絶頂と共に流れ落ちた。
腰を奥に押し付けた隆平にきつく握られていた手は、するりと解けてから柔らかく絡め直される。
薄く目を開いた私を見つめていた隆平に静かに優しくキスを落とされ、浮んだ涙を閉じ込めるように瞼を閉じた。
隣にある体温が温かい。
なんで自分の家を選んでしまったんだろう。明日からベッドに入る度、この体温を思い出して眠れなくなってしまいそう。
ギシ、とベッドが軋んで隆平が寝返りを打つ。それにドキリとして心臓は煩くなるけれど、目は開けない。顔を見てしまったら、この切なさと苦しさに耐えられなくなる気がする。
『...なぁ』
呼び掛けられて瞼が震えてしまった。仕方なく目を開けて天井を見つめる。
「...ん、何」
言葉に詰まったようになかなか続きを発しないからたまらなく不安になる。
『...気持ちよかったな、』
予想外の言葉に思わず隆平をちらりと見て、顔に熱が集まるのを感じた。隆平はまるで今の発言を『失敗した』と言っているみたいに顔を顰めていたから顔を逸らす。
『...なぁ、』
暫くすると控えめな声でまた隆平が私を呼ぶ。すると今度は返事をする前に隆平の手が伸びて来て、体の向きを変えて引き寄せられる。隆平の胸に背中がくっついて後から抱き締められると、隆平が肩口にキスをするように唇を押し付ける。
『...このまま寝てもええかな』
肌に触れたままの唇から聞こえた篭ったような声に緊張して身を固くした。
さっきまでのセックスで散々肌は触れ合ってきたのに、冷静になって改めてこうされるとどうしていいのかわからない。
それでも断る理由なんてない。小さく頷けば、ふっと息を吐いて体を抱き直される。まるで甘えているみたいに私の肌に頬を擦り寄せるから、目の奥に熱が集まってきて唇を噛み締め目を閉じる。常夜灯を見つめていたせいで、瞼の中はまるで数時間前に見た星空の様だ。
...幸せだと感じてしまった。
状況も背景も、余計なことを一切考えないとすれば、今は幸せ。本当に今、時間が止まればいいのにと、ドラマみたいなことが頭を過ぎって虚しさが込み上げた。
溜息のような息を吐き出した隆平の腕に力が篭ると、密着した背中に隆平の鼓動を感じてドキリとした。その鼓動が私よりもはるかに早かったから。
『...なんで汐里は、俺を受け入れてくれたん...?』
「...............。」
『...前は、拒んだやろ...?』
小さく掠れた声で聞こえた突然の核心に迫る質問に頭が真っ白になる。背中に感じる鼓動はさっきよりも早いビートを刻んでいてまるで急かされているみたい。
『...なぁ、何とか言うて、』
どんな答えを口にすれば、ずっと隆平と居られるんだろう。動揺した心も頭も使い物にならない。何一つ言葉が出てこない。
『...ごめん、...やっぱあかんわ、』
“諦められへん”
最後に小さく呟かれた言葉で私の心臓もドクリと大きく脈打つ。私の体からするりと解けた腕が肩を掴みベッドに仰向けに押し付けられ視線が絡む。
私を見つめる隆平の苦痛の表情に気を取られていたら、荒々しく噛み付くように唇が塞がれた。私の髪を掻き乱しながら貪るように何度も唇を合わせ、舌を絡め、息が上がってもまだ終わりの見えないキスに、苦しさのあまり隆平の肩を押した。
『...ごめん、...俺な、っ』
荒い呼吸で途切れ途切れの隆平の言葉にバクバクと心臓が早くなる。
...どうして謝るの。そんな言葉は聞きたくないのに。“諦められない”?わかるように言ってよ。
『...俺、』
知りたい。でも怖い。聞きたくない。
けれど、泣き出しそうに歪んだ隆平の顔をただ見つめるしかなかった。
『どうしても、汐里がええねん、』
私を見つめる隆平の揺れる瞳を見ながら、段々とその意味を理解し始めた。私の頬を包んでその目の中に私を閉じ込めて、隆平が声のトーンを落とす。
『受け入れたのは、お前やろ。責任取ってや』
言葉のわりに震える声が私の涙を煽る。見つめていた隆平の顔が次第に霞むと、私の瞳に溜まる涙を見て隆平の唇がまた荒々しくキスを仕掛けた。
まだ何も伝えてはいないのに。隆平と同じ気持ちだと伝えたいのに、吐息さえも飲み込むキスで声は封じられた。
それでも早くこの想いを伝えたくて、私から首に腕を回し隆平の体を抱き寄せた。
End.