逆転バラッド
「...今日で、最後ね」
『...は?』
泣いてしまわないように、慎重に。何度もシミュレーションしたその言葉を、やっとの思いで口にした。
下着だけを身に着けた侯隆は、口を付けたペットボトルの中身のミネラルウォーターを流し込むことなく口から離して、目を丸くして私を見つめた。
「...彼氏、出来たから」
ただ黙って私を見つめる侯隆の真っ直ぐな目が怖い。その目に見つめられると、本心を読み取られてしまいそう。
結局ミネラルウォーターに再び口を付けることもないまま、キャップを閉めてベッドサイドのテーブルへそれを置いた。そしてベッドの端に腰を下ろして、侯隆が言った。
『...どんな奴?』
「...優しい人。侯隆より」
黙ってしまった侯隆の背中を見つめた。見納めになるであろうその綺麗な背中から目を逸らすことが出来ない。少しでも長く、その背中を見ていたかった。
別れてから半年間続いた体だけの関係。どうして私を抱くんだろう。考えた時に、不器用な侯隆なりに復縁を望んでいるのかもしれないと、密かに期待していた。いつか戻れるかもしれない。けれど、いつまでも変わらない関係に虚しさばかりが募り、苦しくて痛くてたまらなくなった。
一週間前に告白された彼は、痛い程に真っ直ぐで純粋で、侯隆を忘れられない私さえも受け入れると言ってくれた。まだ返事はしていない。けれど、今日侯隆に別れを告げることが出来たら、彼の優しさに甘えようと思った。...正解に言えば、甘えるのではなくて、利用しようとしていた。
『...なぁ』
はっとしてちらりと侯隆に目を向ければ、顔をこちらに向けて横目で私を見ている侯隆と視線が絡む。
言葉を発しないままで見つめ合う時間が、途轍もなく長い時間に感じて息を呑んだ。
『...好きなん?そいつのこと』
ドクリと心臓が脈打った。バクバクと次第に早くなる鼓動。視野が極端に狭くなって、侯隆だけを映す私の目。それでも、逸らすことが出来ない。逸らしてしまったら全部崩れてしまいそうで、揺らいでしまいそうで、ただ侯隆を見つめていた。
「...好きになるよ」
ぴくりと動いた侯隆が眉を顰めた。俯いたまま眉間に皺を寄せて一点を見つめる侯隆は今、何を思っているんだろう。
「いい人だから、...好きになるよ」
『...そんなこと聞いてるんちゃうねん』
苛立ったように私に向けられたら視線と、少し荒げられた声に胸が締め付けられる。侯隆はきっと、私の気持ちに気付いている。
『...好きやないのに、なんで...』
言い掛けた侯隆の言葉に、期待が過ぎった。ここまで来てまだ期待してしまうなんて、私は本当にどうしようもない。期待することは惨めだと、充分知っているのに。
『...それでええんか?#name1#は』
伏せていた侯隆の目が私に向けられた。思わず目を逸らすと、静かな部屋に溜息が漏らされた。
...そんなこと聞かないでよ。私とやり直す気がないなら、そんな風に最もらしいこと、言わないで。
『...ええわけないやろ』
「...なんで侯隆がそんなこと言うの」
『嫌やねん、俺が』
ベッドに乗り上げた侯隆が私の前に手をついて、掬い上げるようにキスをした。離れた私の唇を見つめた侯隆の目が鋭く私の目を射抜くように見つめて、すぐにまた唇が触れる。噛み付くように仕掛けられたキスは、深く舌が絡んで呼吸まで奪われる。
戸惑いと期待が入り混じる心のせいで、キスに上手く応えることも、拒むことさえも出来ない。
解放されて荒い呼吸と共に空気を取り込むと、侯隆が私の肩に額を乗せてやんわりと抱き締める。
「...勝手だよ、」
すぐに顔を上げてまたその鋭い目を向けられ、耐えていた涙がいよいよ流れ落ちた。
『...それでも、渡したないねん』
縋るように私を抱き締める腕と首筋にかかる震えるような吐息。思わず侯隆の背中に腕を回せば、半年ぶりに囁かれた愛の言葉で、幸せの涙が頬を伝った。
End.