オフレコ!
今日こそは。と決めていた。
早いビートを刻む心臓。荒い呼吸。
昨日からのシミュレーションは勇気に変わると思っていたけれど、考えていた言葉すら忘れてしまいそうな程緊張していた。
廊下の窓から見下ろした体育館へ向う通路にジャージ姿のその愛しい後姿を見つけて、どくりと心臓が大きく脈打った。
躊躇えば逃げ出してしまいそうで、両手に拳を作り握り締めて階段を駆け下りた。
「...章ちゃんっ、」
廊下の突き当たりから外に出てすぐに大きな声で呼び止めた。その声が少し上擦って震えていたから恥ずかしい。
『はいはーい』
返事をしながら手にしたプリントに落ちていた視線が上がって、辺りを見回したその目が私で止まると笑顔を浮かべた。
その笑顔が消える瞬間を想像して思わず唇を噛み締める。
『おはよぉ』
「............、」
『...どしたん?』
笑いながら私を覗き込んで、目が合えば章ちゃんがふふ、と笑った。
「...す、好き!」
考えていた言葉なんて吹き飛ばし頭を真っ白にして、大きく息を吸い込んだ勢いでその言葉だけを吐き出した。
『えぇ?』
章ちゃんは笑っていた。いつもみたいに『何言うてんのぉ』とは言わなかったけれど、きっと冗談だと思ってる。私が口にしていたいつもの「好き」は半分冗談だったんだから仕方ない。
...でも、もう引き下がれない。
「...好き、...」
俯いてさっきとは比べものにならないくらい小さな声で繰り返せば、章ちゃんが黙った。
今どんな顔をしているんだろう。怖くて堪らない。
暫く続いた沈黙を破ったのは、章ちゃんだった。
『ありがとぉ』
優しい声色で私の頭に降ってきたその言葉は、私を受け入れも突き放しもしない。
少しだけ顔を上げてちらりと章ちゃんを見れば、笑顔を浮かべて鼻に手を当て私を見た。照れているのかと思ったけれどそれも少し違う気がする。
『改めて言われると嬉しいなぁ』
けれどやっぱり、私を受け入れるものではなさそうだ。
...それなら、はっきり言って欲しいのに。はっきり言ってくれないと、諦め切れないのに。
『章ちゃんおはよー』
『あーおはよぉー』
向こうを通った女の子に手を振って挨拶をした章ちゃんを黙ったまま見ていると、また視線が私に返ってきて、章ちゃんも笑顔を隠して私を見つめた。
「...恋、だよ...?」
『そうなん?...ん、ありがとぉ』
間延びした口調の章ちゃんは、優しいけれど優しくない。本当に無理なら、ちゃんと言葉にして欲しい。
...こんな言い方をするのだから、本当はもう無理だろうと思っている。だから、それなら早く。
「...それだけ...?」
『え?』
「...ちゃんと、言ってよ、」
私から逸らされることのない真っ直ぐな視線と長いように感じる僅かな沈黙に耐えかねて、私から先に目を逸らした。
逃げ出してしまいたい。けど、聞かなければ曖昧になってしまう。
『...んー、そやなぁ...』
視界の端で腕を組んで考え込むような仕草をした章ちゃんの口から出る言葉が怖い。覚悟はしていたはずだったのに、フラれるつもりで来たのに、やっぱり怖い。
『...まず、“先生”って呼ぶ練習しよか』
思わず顔を上げて章ちゃんを見れば、首を傾けて笑いながら私を見つめていた。
...なんで今そんな言葉が出てくるのかと考えを巡らせていると、持っていたプリントをクルクルと筒状に丸めそれを私に向け顔を指した。
『あとは、こういうとこで好きとか言わんの!』
確かに、生徒も通るこんな場所で大きな声で告白してしまったのだから、注意されるのも当たり前だ。口を噤んだ私の顔を更に首を傾けて覗き込み、章ちゃん...先生が優しく笑う。
『わかったぁ?』
「.............、」
『守れへんなら、今すぐは無理やなぁ』
言葉を失ってただ章ちゃんを見つめていた。
「...え、?」
震える声で聞き返せば私をまっすぐに見つめたまま笑みを浮かべて、また反対側に首を傾ける。
『卒業まで待つ?』
...なにそれ。...なにそれ!
それじゃあまるで...
「...待たない...」
『ん、頑張って守ろな』
頭にぽんと置かれた手が離れると、急にどくりと激しく心臓が脈打った気がした。震える手で口を覆うと、もう言葉は出て来ない。
...信じられない、どうしよう。
ちょっと待って、本当に私、章ちゃんと...
『ほら、チャイム鳴ったでー』
私の横を通り抜けて校舎に向かう章ちゃんを振り返り、その背中を目で追った。
「...章ちゃん、!」
『“先生”』
「...先生、」
『昼休みに、教科準備室!』
「う、うん!」
『“はい”』
「...はい、」
振り返ってふっと笑った先生が校舎の中に消えたのを見送りながら、ただ呆然とその場に立ち尽くした。
End.