Bitter Drops


今年の誕生日はおめでとう、言えないな。去年は、みんなでサプライズしたのに。

『一人で何してるん?』

放課後の教室で忠義に声を掛けられたのは、一週間前のことだった。

「...勉強」

...なによ、今更。そう思った。
春休みにみんなで集まった時から私を避けるような態度を取って、クラス替えで離れてしまってからも一度だって話し掛けて来なかったくせに。

それなのに、こんなに胸が高鳴るのはどうしてだろう。悔しいのに、ドキドキしてしまう。話し掛けてくれたことに、安堵してしまう。

『そんなキャラちゃうやん』
「...模試、受けるの」
『ふーん』

本当はそんな理由でここにいたわけじゃない。忠義の背中を見送るのが日課だっただけ。

私のクラスに入って来た忠義が窓を開けて外を眺める。その横顔を教室の後方の席から盗み見ていた。
何も言葉を交わすことなく机に向かう私と、校庭を見下ろす忠義。ブランクがあり過ぎて、何を話したらいいのかわからなかった。...それだけじゃない。意地を張っていた部分も、今思えばあったのかもしれない。

「...ねぇ」
『...んー』
「なにしてんの」
『...別にぃ』

そう言うと忠義は窓を閉めて教室から出て行った。その背中を見つめながら、そんな質問をしたことに少しだけ後悔していた。また話すきっかけになったかもしれないのに、追い返すようなことをしてしまったから。

次の日の朝、廊下で忠義の姿を見掛けた。一瞬目が合ったと思ったのに、忠義は俯いて私の前を通り過ぎた。
...やっぱ、そんなもん。
そう思っていた。

放課後、忠義がまた教室にやってきた。私一人の教室に入って来て、同じように窓を開けて、同じように外を眺める。そして、暫らくすると何も言わずに教室を出て行く。それが今日まで毎日続いた。

忠義の視線が気になっていた。
その目は、私がこの教室から忠義の背中を見ていたように、あの窓から誰かを目で追っているようにも見えたから。その切なげな目を見ていると私まで苦しくなる。

春休みに入る前、陸上部に巨乳で可愛い女の子がいると言って男子達が盛り上がっていたことを思い出していた。その中で忠義が、珍しく微妙な態度でそれを聞いていたことも。
きっと私に話し掛けたのは、この教室に入るための口実でしかなかったんだ。忠義のクラスからは見えない校庭を眺めるために、私に話し掛けたに違いない。
話し掛けて期待させておいて、そんな顔で誰かを想うなんて狡い。

今日もまた、忠義の横顔を盗み見る。
半年前から忠義は、狡い男だった。
私に触れて笑顔を向けて、からかったりもするけれど優しくて、『2人の秘密な』なんて言葉で私に期待を持たせる、狡い男だった。
だから、両想いなんじゃないかと勘違いしてしまった。

好きだなんて一度も言われていない。勝手に勘違いしたのは私。だけど、このやり場のない想いを持て余してしまって、心の中で忠義を責めることしか出来ない。
こんなことなら、ずっと避けられたままの方がよかった。

『...あ』

忠義が小さく呟いたからちらりと目を向けた。窓の外に手を伸ばして空を見上げ、暫らくすると手を引っ込めた。

『なぁ、#name1#』

久し振りに呼ばれたその名前にドキドキしてしまった。

『傘、持ってる?』

胸の高鳴りを隠すように窓の外に目を向け目を凝らすと、雨粒がポツリポツリと落ち始めていた。

「...持ってるわけないじゃん」
『...せやんなぁ』

少し笑った忠義は、何だか前と変わらなくて、たった一ヶ月程しか経っていないのに妙に懐かしくて、泣いてしまいそうになった。

「...いいじゃん、家近いんだし」

そんな言い方をするつもりなんてないのに、自分に余裕がなさすぎて素っ気ない態度を取ってしまう。

『俺はええねん。走れば5分掛からんし。#name1#が困るやろ?』

...だから、狡いよ。避けたと思ったら急に話し掛けて来て、急に優しくしてきて、なんなの。私はどうしたらいいの。私をどうしたいの。

『#name1#?』

廊下から突然声がしたから振り向いた。傘を手にした亮ちゃんが開いたドアに寄り掛かってこちらを見ていた。

『雨降ってきたで。入れてったろか?』

ふと動いた亮ちゃんの目が忠義を捉えてからまた私に戻って来た。

『あ、大倉と帰るんや?』
『ええよ』

何だか突っ掛るみたいに不機嫌そうに忠義が言ったから、2人で忠義に目を向けた。私達とは目を合わせずに俯いた忠義は、春休みのあの日のような顔をしていた。

『亮ちゃん傘あるんやろ?傘入れたれば?』

突然亮ちゃんが小さく舌打ちしたから驚いた。

『...ほんっまにいつまでも...アホなんちゃう?』

吐き捨てるように言った亮ちゃんに戸惑う。はよしろや、と何故か私が怒られてバッグに荷物を詰めると、私達に背を向けた忠義の背中をちらりと振り返って教室を出た。先を歩く亮ちゃんの背中を見ながら言葉を探した。
...なんでこんなことになってるんだろう。あんなに仲がよかったのに、喧嘩でもしたのかな。

すると亮ちゃんがくるりと後ろを向いて鋭い視線を私に向けた。

『大倉のこと好きなんちゃうの?』
「え、」
『好きなんやろ?』

亮ちゃんから目を逸らして首を傾げて誤魔化してみても、きっとこの動揺は伝わってしまったはずだ。亮ちゃんが笑っていたから。

『あいつ拗ねてんで』
「...え?」
『お前のせいで』

笑いながら傘を広げた亮ちゃんに腕を引かれてその傘に入れば、今度は急に逆の腕を引かれたから驚いた。

『...俺が送る!』

振り返れば不機嫌そうな顔の忠義が私の腕を引いてそのまま走り出した。

『ちょ、大倉!傘!』

私達に傘を差し出した亮ちゃんを置いて走る忠義の手を振り払う余裕もなく、忠義に合わせて足を動かすのが精一杯だった。
全速力で走っているわけではないのに鼓動が早くて息が切れる。小雨の中、すぐそこに見える忠義の家まで足を止めることなく走った。

心の準備も出来ないまま、忠義が玄関のドアを開けて、ただいま!と言えば、腕を引かれたまま急かされて靴を脱ぎ、戸惑いながら階段を駆け上がった。

一度だけ来たことのある忠義の部屋の前でやっと手が離れ、荒い呼吸も整わないうちに部屋に押し込まれた。走ったせいだけではない早い鼓動が忠義に聞こえてしまいそうで部屋の端に立って距離をとる。
...ホント、なんでこんなことになってるんだろう。

クローゼットを開けて取り出したタオルを、忠義が私に向かって投げたから慌てて掴んだ。ふわりと忠義の香りがしたから、そのタオルを使えずにただ握り締める。

『...はよ拭けば...?』

忠義がちらりと私を見て言った。すると静かな部屋に僅かに携帯のバイブ音が響いた。忠義が自分のポケットに手を突っ込んで探った後、私の方を見て顎をしゃくった。
慌ててバッグに手を入れると振動しているのは私の携帯で、取り出してみるとさっき置いてきてしまった亮ちゃんからの着信だった。

「...あ、電話...亮ちゃん...出ていい?」

忠義の目が私を捉えて、不機嫌そうに唇が少しだけ尖る。

『ダメ』
「え、でも...」

顔を背けた忠義と携帯に視線を往復させて戸惑う。長い間鳴り続けているし、心配しているのかもしれない。

「...ごめん、すぐだから、」

忠義が睨むように私を見た。そしてこちらに歩いてくると私の携帯を取り上げて切る方のボタンが押され、着信音が止む。私に押し付けられた携帯を手にして、忠義を見た。

「ちょ、…なんで切るの、」
『ダメ言うたやん』
「なんでダメなの」
『俺と居るやろ』

...そういうのが思わせ振りな言葉だって、忠義はわかんないのかな。

「...何それ...彼氏でもないのに、」

忠義は黙って俯いていた。その横顔をちらりと見て私も俯くと、忠義が小さな声でぼそりと何か呟いた。

『...じゃあなる』

視界の端の忠義が顔を上げたから再び視線を向けると、何故か拗ねたような顔をして私を見ていた。

『...彼氏、なる』

ただ呆然と忠義を見ていた。また俯いた忠義がベッドにタオルを放り投げて自分の指を弄ぶ。

...どういうこと?
忠義が言ってることも、さっき亮ちゃんが言っていたことも、意味がわからない。
だってそれはつまり。

「......私のこと、好きなの...?」

口を噤んで俯いたままの忠義に急かすように言った。

「...ねぇ、意味わかんないんだけど、」

すると眉間に皺を寄せた忠義が睨むようにちらりと私を見てからまた目を逸らした。

『...あんだけ俺と仲良くしといてさぁ、...俺のこと好きみたいな空気出しといてさぁ、...ほんま、なんなん?』

...それは私のセリフじゃない。そのまま同じ言葉を返したいくらい、同じことを思ってたのに。

『亮ちゃんにベタベタしてさぁ。...その気がないなら、最初からそんなんせんとってほしかった』

亮ちゃんにベタベタした覚えなんてないけれど、我に返ればあまりにもすごいことを言われた気がして顔がカッと熱くなる。
...それはつまり、やっぱり、忠義は私のことを...。

「...好き、なの...?」
『................、』
「...ねぇ、答えてよ、...」

伺うように忠義を見れば、怒られた子供のように俯いて唇を尖らせている。
その目が急に私に向けられて、忠義が私の目の前まで来てぴたりと止まったから胸が高鳴る。

『...好きやったらなんなん、...付き合うてくれるん?』

高圧的な口調のわりに情けない顔をしている忠義から思わず視線を逸らした。
その言葉のせいで更に体温が上昇した気がする。目を合わせられないから忠義がどんな顔をしているのかわからないけれど、私と同じように呼吸が早いから、忠義も緊張しているのかもしれない。

気になってちらりと目を向ければ、忠義も頬を赤く染めて私から目を逸らす。

『...何それ、...なんでそんな真っ赤やねん、』
「...好きだから」

今度はちゃんと目が合った。見つめ合ったままの沈黙に心臓はすごい早さで脈打つけれど、緊張がピークに達して時が止まったみたいに動くことが出来ない。

すると忠義が口を開いて詰めていた息を吐き出した。そしてその口元が僅かに歪んで、また引き締められる。

『.......俺も』

すぐにふにゃりと崩れた口元を見て溜息を零した。照れたように口元に触れながら鼻を啜る忠義が、もう私のものなのかと考えてみるけれど、あまりに実感が無さ過ぎる。それでも、忠義の嬉しそうなその顔を見ていたらどうしようもなく幸せで恥ずかしくて堪らなくなった。

『...俺、今日、』
「...おめでと」
『...え、覚えててくれたん...?』

目を丸くした忠義を見ながら頷けば、更に口元が歪んで幸せそうに私を見て堪え切れない笑みを零す。

『...じゃあ、プレゼント...』
「ない。...無視されてたから、ない」

照れ隠しにわざと素っ気なく言ってみたけれど、それでも忠義はますます口角を上げていた。その笑顔に堪らなく胸を締め付けられる。

『キスでいい』
「...え、」
『プレゼント、ないならキスでいい』
「................、」
『...キスがいい』

返事を待つように傾いて私を覗き込む忠義に視線を合わせる。開いた震える唇は言葉を紡ぐ前に塞がれて、抱き寄せられた腕の初めての感触にただ目を閉じて身を委ねた。


Happy birthday!!  2016.5.16