ラブベクトル


『来るんやったら連絡くらいせぇや』
「なんで?AV見てたから?」

ブツブツと文句を言いながら、床に散らかった雑誌や難しそうな本を纏めていた信ちゃんの動きが止まって、顔を顰めて私を見た。

『...はぁ?何言うとんねん』
「だって、そこ」

指さした先のテレビ台の上に出されたままのDVDのパッケージには、信ちゃんが好きそうな清楚なお姉さんが立っているけれど、その人の横にはえげつない言葉がデカデカと並んでいる。

『あぁ』
「あぁ、って何」
『今は見てへんし』
「...しまっとかないと女の子呼べないよ?」
『余計なお世話やっちゅうねん』

整えた本たちをテーブルの下に片付ける信ちゃんから視線を動かして部屋を見回す。この部屋に来るのは久し振り過ぎて、何だか落ち着かない。それどころか、久し振りに会う信ちゃんにも緊張してしまう。

『連絡したんか』
「え?」
『おばちゃんに』

信ちゃんは幼馴染みだ。さすがにこの歳になって、いくら幼馴染でも男の家に泊まるなんて、親に言えるわけないじゃない。...と言うよりも、私がもう実家を出ていることも知らない程に、信ちゃんと随分長く会っていなかった。文字のやり取りをたまにするくらい。

「するわけないじゃん」
『なんでや』
「...一人暮らしだし。目黒の方...」

信ちゃんが驚いたように私を見てから何度か頷いた。

『なるほどな、だから終電がアレなんや』
「...そうに決まってるじゃん」
『偉そうにすなや!泊めたらんぞ!』

そんな意地悪を言いながらも、ソファーをポンポンと叩いて立ったままの私を呼ぶ。私がゆっくりとソファーに近付き腰を下ろすと、代わりに信ちゃんが立ち上がった。
私が来た時に、シャワーに行くところだったのにと文句を言われたから、きっと今からお風呂に行くはず。

『なんか飲むか?いらんな』
「...いらない」
『風呂行くわ』
「うん」
『その辺勝手に漁ったりすなよ』
「わかってる」

いらんな、と言ったくせに、冷蔵庫から出した缶ビールを私の前に置いて、信ちゃんがリビングを出て行った。
脱衣所の扉が閉まる音がして、もう一度部屋を見回す。部屋の隅に、貰ってきたばかりであろう開封されていないプレゼントがいくつか置かれていたから、何だか妙にソワソワしてしまう。バッグの中に忍ばせた信ちゃんの誕生日プレゼントを、今どう考えても渡せる気がしない。昔は毎年プレゼントしていたのに、どうやって渡していたか覚えていない。ただ渡すだけの行為にこんなに緊張するのは、信ちゃんのことを好きだと認めたからだろうか。

緊張を紛らわすために開栓したビールに口を付ける。酔いがまだ完全に冷めていないから、これを飲んだらまた酔えるだろうか。ビールを勢いよく流し込み、深呼吸して目を閉じた。

額をぺちっと叩かれて重い瞼を開けると、目の前に私を覗き込む信ちゃんの顔があった。

『こんな所で寝るなや』
「...寝てないよ」
『いやいやいや、寝てるやん。思っ切り寝てたやん』
「...そ?」

呆れたように溜息を吐いた信ちゃんが、また瞼が下がり掛かる私の肩を揺すった。

『ベッドで寝ぇよ』
「ここでいい、」
『ええことないやろ』
「だって信ちゃん、ベッドで寝るでしょ...?」

気を遣ったつもりの言葉に信ちゃんが黙った。だから伺うように信ちゃんを見れば、その目がじっと私を見つめるから心臓がドクリと脈打った。

『...だったらなんやねん』
「...何って、」
『なんやねんて』
「...一緒に寝たら信ちゃん、エッチなことしそうじゃん...」

照れ隠しに咄嗟に浮かんだ言葉は、思いの外笑えないまま口から出てしまった。
その言葉を聞いた信ちゃんが、ふん、と乾いた笑い方をして私から離れる。

『誰がお前なんかに欲情するかボケぇ』

...一気に目、覚めた。胸がぎゅっと痛くなって、立ったままの信ちゃんが見下すような視線を私に向けるから、バッグを掴んで立ち上がった。
興奮で少し荒くなった息を押し殺して信ちゃんの横を通り抜け玄関へ向かうと、信ちゃんが後ろから私に向かって言葉を投げた。

『どこ行くねん』
「...帰る」

ふと我に返ってみれば、そんな言葉に拗ねたなんて思われたら恥ずかしい。けれど、私の気持ちを知らない信ちゃんにはわからない。好きだからこそ笑って流してしまえるような言葉ではなかった。

靴を履いてドアノブを掴むと、その手を後ろから掴まれてドキリとした。

「...離して」

顔を後ろに向ければ、思いの外近くに信ちゃんの顔があったから思わず目を逸らした。

『“ ガサツ ” やろ』
「................、」
『何遍言われたらわからんもんなぁ』

...そうだよ。何回言ったかわからない。本当にそう思っていたけれど、それでも本気で怒ったりしたことは、今までなかったのに。

『今までそんな怒ることなかったやんか』
「................、」
『なんやねん、今日は』

あの頃とは私の気持ちが違うんだから当たり前じゃない。

「...別に、何でもない」
『そんな顔してよう言うわ』

自分がどんな顔をしているかなんてわからない。信ちゃんの目にはどんな風に映っているの。
心を見透かされているような気がして、信ちゃんの手を振り払った。するとすぐにまた腕を掴まれて、玄関のドアに体ごと押し付けられたから驚いて信ちゃんに目を向ける。

『誕生日やから来てくれたんや思たわ』
「......え、」
『誕生日当日にこんな時間に家上がって泊めてくれ言われたら、そういうことなんか思うやろが』

言葉の割に声量を落とした信ちゃんが、苛立ったように私に顔を近付け鋭い視線を向けるから鼓動が煩い。
そういうことってなんなの。さっき、誰がお前なんかに、って言ったばかりじゃない。

『#name1#』
「.............、」
『おいコラ』

片手で頭を掴まれて無理矢理視線を合わせられる。信ちゃんの目が、一度私の唇あたりに下がったからドキリとしたけれど、また真っ直ぐに私に戻って来て見つめる。

『お前軽々しく男の部屋泊まる奴ちゃうよなぁ?』
「...え、?」
『...終電?タクシーで帰れん距離ちゃうやろ』
「...............、」
『なんで来たんや、こんな時間に』

やっぱり、信ちゃんは気付いたのかもしれない。私の気持ちに気付いたからそんなことを聞くに違いない。
...なんでわざわざ言わせるの。私の気持ちを知ってどうなるの。

「...そんなこと、聞いてどうすんの、」

私の質問に表情を変えることもなければ目を逸らすこともない。ただずっと私の目を見ているから、視線を逸らすことが出来ない。

『お前の気持ちを知りたいねや』
「...なにそれ、」
『俺にとったら特別や』
「...意味わかんない、」
『非常識な時間に家押し掛けてくるような奴、お前やなかったら上げてへんわ』

...いつだって、信ちゃんが特別だった。恋だと気付くずっと前から、ずっと信ちゃんの代わりになる人なんか居なかった。
信ちゃんの言う特別は、どんな意味なんだろう。

『せやから、なんで俺んとこ来たか聞いとんねん』

私がそれに答えることが出来たら、特別の意味を教えてくれるだろうか。

「......信ちゃんだから」
『そんなん、わかっとるわ』

言わせたくせにひどい。わかっていたなんて狡い。
睨むような視線を向ければ、頭を掴む信ちゃんの手が髪を撫でるように滑って唇が塞がれた。
合わせられた唇が角度を変えてまた触れると、唇が離れてまた見つめる。

すると今度は少し強引に押し当てられた唇と共にドアに押し付けられて、入り込んで来た舌が柔らかく絡んだ。

信ちゃんとキスをする日が来るなんて思わなかった。切なさに似た胸の痛みのせいで泣いてしまいそう。想像していたよりも優しい信ちゃんの唇も手も、更に私を煽る。

「...ちょ、」
『なんや』

髪を撫でていた信ちゃんの手がいきなり降りて来て厭らしく腰を撫でるから、思わずその手を掴んだ。それでも尚離れることなく範囲を狭めて這っている。すると信ちゃんが私の首筋に唇を寄せて舌を這わせるから信ちゃんの肩を軽く押した。

「...こんなとこで、やめて、」
『ベッドは嫌や言うてたやんけ』

反論の言葉はキスで信ちゃんに飲み込まれた。私を性急に求めるような強引さに、何だか妙に愛を感じて体を委ねた。
言いそびれたままのお祝いの言葉を伝えられるのは、まだ少し後になりそう。


Happy birthday!!  2016.1.26