レモンラブソーダ


夕方からのコンビニのバイトを終えて外に出ると、店の中からは見えない場所に見覚えのある人がしゃがみ込んでいたから思わず立ち尽くした。
長い間追い続けてきた姿がそこにあることが不思議で、歩み寄る足はふわふわしていて、夢なんじゃないかと思った。

私が近付くとその顔が上がって、鼻の頭を少し赤く染めた先輩が口の端を持ち上げてからまた俯いた。

『...寒』
「...どうしたんですか、」
『別に。待ってただけ』

その答えが何だか嬉しくて、頷いただけで言葉は喉の奥に引っ掛かった。
私をちらりと見て立ち上がった先輩が、私の右手を掴んで引く。それだけで心臓が煩くなって仕方ない。

なんで来てくれたんだろう。
いつから待ってたんだろう。
聞きたいことはあるのに、自分から言葉を掛ける勇気が出ずに、俯いて密かに深呼吸。その息があまりに白くて先輩を見た。こんなに寒い中、待っていてくれたなんて。

『寒いなぁ』
「...うん、」

右手を包む体温にはまだ慣れていない。タメ口にも、慣れていない。手を繋いだのは昨日が初めてで、先輩が私の彼氏になったのも、たった3日前のこと。
半歩後ろから先輩の横顔を眺め、暗い夜空に溶ける先輩が吐き出した白い息を見送って顔を逸らした。

寒そうにしていたわりに温かく私を包む先輩の手も、すぐ傍にある横顔も、私の胸を甘く締め付けて離さない。

『バイト、やめへん?』

突然発せられた意外な言葉で先輩に顔を向ければ、ちらりと私を見てすぐに前を向く。

『遅過ぎひん?終わるの』
「...あぁ、うん...」

心配してくれているのはすぐに理解した。待っていてくれた理由も、これで納得。今だって、寄り道する気配もなく、まっすぐに私の家に向かっている。
曖昧な返事をしたら、先輩が笑いながら俯いた。

『束縛みたいやな』

その言葉が何だか嬉しかった。先輩は悪い意味で使っていたみたいだけれど、本当に先輩のものになった気がしたから、思わず口元が緩んだ。

『...ま、俺が迎えに来たらええかぁ』

当たり前みたいにそんなことを言うけれど、週に4回のバイト終わりに毎回迎えに来てもらうなんてさすがに気が引ける。

「...でも、今までも大丈夫だったから...」

...嬉しいけど。嬉しくないはずがないんだけど。だって、学校や下校だけじゃなく、先輩に会える時間が増えるんだから。
でも、親が心配するから、先輩とゆっくりしている時間もないのが、余計に引っ掛かる。

『大丈夫とかちゃうねん』

先輩があまりに可笑しそうに笑うから首を傾げる。俯いていた笑顔が私に向けられて、ぐっと顔が近付いたからドキリとした。

『こっちは理由付けて会いに来とんねん。言わすなや』

声のトーンを落として囁くように言い残し、ぱっと離れた先輩の顔を見れずにいた。信じられない言葉で顔が火照る。何より、...キス、されるかと思った。

突然私の顔を覗き込んで、先輩が目の前でふっと笑う。顔が赤いことに気付かれたのかもしれない。けれど、何も言わないまま顔を上げて前を向くから、またその横顔を見つめる。

...本当に、私のものになったなんて。向けられる笑顔も繋がれた手も、全部私の為にあるもののように錯覚して、胸が苦しくなった。少し前まで遠くから見ているだけだったその笑顔は、今はこんなに近くにあるのだから。

10分も掛からない家までの道程は、2人だと余計に短く感じる。すぐに帰らなければならないことを言っておかなきゃいけないのに、なかなか言葉に出来ない。まだ一緒に居たい。まだまだ足りない。

『...次、何曜日』
「......木曜日、」
『ん、了解ー』
「......先輩、...」

先輩の目が私に向いたら、言葉に詰まってしまった。家はすぐそこだと言うのに。こんな短時間の為に迎えに来てもらうなんて、やっぱり...

『ほら、はよ帰らんとおかん心配すんで』

急かすように繋いだ手に二度力を込めて握られ、先輩を見た。
わかってくれているような言い方だった。だからこそ何だか切なさが増して奥歯を噛み締める。

『また木曜日、な』
「...はい、」
『あ、ちゃうやん。その前に明日。普通に学校やし』
「...ん」

んふふ、と笑った先輩の手が、家の前でするりと離れた。もう終わりなんて、早過ぎる。明日また学校で会うのに、どうしてこんなに切なくなってしまうんだろう。苦しくて息が詰まりそう。

振り返って私に笑顔を向けた先輩がぽん、と私の頭に手を置く。
見つめられているからドキドキしてしまった。期待も、してしまった。
少しの間の後、ますます口角を上げた先輩が頭にあった手を下ろして手を振った。

『明日、な』
「...ん、」
『バイバイ』

手をヒラヒラさせたまま数歩後ろに下がって、体を前に向けるギリギリまで先輩が私を見ていた。今度は前を向いたまま顔の横で手を振る先輩の背中を、震えるように息を吐き出しながら見つめる。

すると、突然ぴたりと足を止めた先輩が振り返って、足早にこちらに戻って来たから目を丸くする。私の前で立ち止まった先輩に「どうしたんですか、」と声を掛けると、ふっと笑みを零した。

『...忘れた』
「え?」
『おやすみ。...って言うてへんかった』
「.............、」
『おやすみ』

急に先輩の傾けられた顔が近付いてキスを落とした。一瞬だけ熱を伝えてすぐに離れた先輩の唇から思わず目を逸らす。唇が震えて、言葉を紡ぐことが出来ない。

『...おやすみ、#name1#』

もう一度小さく呟かれたおやすみと、初めて呼ばれた名前。顔も見ることが出来ないまま先輩が私に背を向け、さっきよりも早足で歩き出す。自分の襟足に触れる先輩の後姿が、何だか照れているみたいに見えて胸が甘く締め付けられた。

まだ残る初めての唇の感触。今頃きた緊張が足を震わせて、先輩の背中を見ながら力無くしゃがみ込んだ、生まれて初めてのキスの日。


End.