プレッシャーキス


レストランを貸し切った友人だけの立食の結婚パーティー。章ちゃんが遅れてくるのはわかっていたから、会場の一番後ろで壁に凭れて待っていた。

今までアピールの仕方なんかわからなくてただ見ていた。けれど、そろそろ彼女が欲しい、なんて笑っていた章ちゃんに私を少し意識してもらうために、今日こそは。
そう思っていたら、遅れて会場へ来た章ちゃんが、案の定私を見つけて隣へ立った。

『やばい!俺浮いてへん?仕事場にスーツで行かれへんからめっちゃラフ』

挨拶もそこそこに耳元に寄せられた唇と耳に掛かる吐息にドキドキする。...私が誘惑されてどうするの。
ラフとは言っても、いつもとは印象の違う細身の黒を纏った章ちゃんは言う程浮いてはいないはずだ。

「大丈夫だよ」
『そ?後ろに居れば平気かぁ』

私に笑顔を向けた章ちゃんがそのまま暫く私を見つめるからまたドキリとした。

『今日、めっちゃ綺麗。女の子は変わるなぁ』

...だから、私がドキドキしてどうするの。そんなことサラッと言うなんて狡い。...て言うか、サラッと言えるということは、そもそも意識されていないんだ。
...わかってた。わかってたから、今日はアピールするつもりで来たんじゃない。へこんでる場合じゃない。

「...いつも、じゃないんだ?」
『あは、言葉悪かったな。...俺前行かれへんからさぁ、#name1#、ずっとここ居ってな』

動揺を隠したはずのその言葉をあっさりと切り替えされて、また爆弾を放り投げられた気分。
本当に章ちゃんは狡い。好きな女の子に言うようなセリフを簡単に言っちゃうんだから。

「ドリンク、前だから取って来るね。何にする?」

前を向いた章ちゃんの腕をポンと軽く叩いた。腕を掴んでボディタッチ、の予定だったのに、どうしてもダメだった。ずっと触れているなんて出来なくて、ただ呼んだだけ。これじゃあいつもと変わりない。

『あ、大丈夫。ありがとぉ』
「食べ物は?」
『大丈夫。ええから俺一人にせんといて』

ふふ、と笑って小声で言った章ちゃんに、やっぱりすぐに心を攫われる。
その上私が壁に凭れた右側で、章ちゃんが壁に左腕をくっつけて体をこちらに向けているから落ち着かない。顔は前を向いているけれど、この体勢自体に意識せずにはいられなくて少し顔を背けた。
本当に何やってるんだろう、私。

急に盛り上がりを見せた前方に目を向けると、周りの声に乗せられて照れ笑いする新婦と、その肩に手を添えて笑う新郎。

『幸せそう。ええなぁ』

二人を見て目を細め笑う章ちゃんを盗み見る。
すると、二人のキスと同時に歓声が上がった。

「キス、したくなっちゃった」

言おうと決めていたわけではない。ただ、咄嗟に言った。考えてしまったらまた飲み込んでしまうから、酔ったせいにして思い浮かんだままに口にした。
バクバク鼓動する心臓が、本当に口から出そう。

ボディタッチもアピールも飛び越えて、いきなり過ぎたかもしれないと不安が過る。
...笑われたとしても、酔っ払いの言うことだと思ってくれたらいいのに。

拍手と冷やかしの声の中、前を向いていた章ちゃんが私を見た。どんな顔をしているかは、怖くて見ることが出来ない。

少し暗くなって始まったスライドを、全く集中出来ないまま眺めていた。

突然笑顔の章ちゃんが私を覗き込んで、そのまま唇が触れた。
...一瞬。ほんの一瞬だけ、くっついてすぐに離れた。

キスする前と変わらない笑顔で私を見る章ちゃんを見つめた。驚いた、と言うよりは、呆然と。
すると章ちゃんが首を傾げてじっと私を見つめた後、笑った。

再び近付いた顔から目を逸らせない。
今度はさっきよりも少し長めに唇が押し付けられた。

...なんで。言ったのは私だけど。キスしたくなったって言ったけど。どうしてしたの。このキスに、どんな意味があるの。

離れた章ちゃんの腕を思わず掴んだ。
「なんで」と聞こうとして躊躇ったまま、掴んだ腕をゆっくりと離した。

『まだ足りひん?...さすがにここでは無理ちゃう?』

笑って私を見る章ちゃんは、一体何を考えてるんだろう。

周りを見回した章ちゃんに肩を押されて角へ追いやられた。壁と章ちゃんに挟まれて、よりひどく煩く主張する心臓の音しか聞こえない。

『...なぁ、してほしい?』

耳元に唇を寄せられちらりと章ちゃんを見れば、相変わらずの笑顔で私を見つめる。私に答えを急かすように絡んだ視線。表情を崩すことなく章ちゃんが囁いた。

『悪いけどさぁ、俺、本気になってもうたし、“冗談やった”なんかじゃ済まさへんよ』

近付いた顔が、数センチのところでピタリと止まった。視界は章ちゃんでいっぱいで、いつもの笑みの中にプラスされた真っ直ぐな視線が胸を高鳴らせた。

『...嘘。最初から本気。...そんでも、して欲しい?』

少し動いただけで触れてしまいそうな唇を噛み締めて小さく頷いた。
章ちゃんから笑顔が消えて唇に視線が落ちる。

『...やっぱ、やーめた』

ふっと笑って離れた章ちゃんが、私の隣で壁にもたれかかった。ちらっと目を向けると、耳元に掛かった髪を章ちゃんが払って唇が耳に触れた。

『今日の主役はあっちやし、見られたら困るもん』

悪戯っぽく笑って壁に寄りかかると、私の右手を取り章ちゃんの後ろで隠すように両手で包み込まれた。

『終わったらいっぱいしたるからさぁ、それまで我慢な?』

前を向いたまま言った章ちゃんから目を逸らして俯いた。顔に熱が集中してひどく赤いに違いない。
夢のような展開に煩い心臓は高鳴るばかりで震えるような息を吐き出した。

信じられない。けど今繋がれている手は章ちゃんのもので、他の誰でもない。
視線を上げて章ちゃんを見れば、いつからかこっちを見ていたからドキリとした。

『...やっぱもうどうでもええか』

見えないように盾にされた章ちゃんの体に守られて、ぶつかるように唇が触れ壁に押し付けられた。唇を割って絡められた舌のせいで熱に浮かされ、二人しかいない世界みたいに章ちゃんしか見えない。


End.