コンダクトヒート
『#name1#、寝た』
たった今この寝室を出て行った隆平が、リビングのみんなに話す声が聞こえた。
隆平のベッドの中で、隆平の匂いに包まれて高鳴る鼓動。ふわふわとする頭。どこまでが現実だろう。これは夢なのか。
みんなの笑い声を遠くに聞きながら目を閉じた。
隆平のサプライズバースデーでこのマンションを訪れたのは2時間程前。日付が変わる1時間前だった。
驚きながらも私達を部屋へ迎え入れた隆平の隣を、2時間ずっとキープし続けた。時折向けられるその大好きな笑顔が、隆平を好きになればなるほど苦しくなっていくのは何故だろう。
隆平は芸能人だ。気持ちを抑えるほど胸が苦しいけれど、やり場のない想いが痛いけれど、やっぱり気持ちを伝える勇気が出ない。
断られてしまったらもう会えなくなってしまうかもしれない。
常に握り締めているグラスの中のアルコールをチビチビと口にする。
...本当は朝から体調が良くない。けれど、折角の隆平の誕生日を祝いたいから来た。隆平と会える貴重な時間を、一回だって逃したくない。
だから体調が悪いなんて気付かれるわけにはいかないし、来たからには飲まないわけにもいかない。
いつもより酔っている気がする。...酔っているんだと思うことにする。熱が上がってきたなんて考えないように。
ふわふわする頭でも、どこか冷静な部分が胸の痛みだけはきちんと私に伝えてくるから本当に嫌になる。
主役なのに皆への気遣いばかりの隆平が携帯でみんなの様子をムービーにおさめている。カメラに気付いておめでとうをいう友人を見ていたらそのカメラが私に向けられて、その向こう側の隆平がへらりと笑う。気の抜けるようなその笑顔が私の胸を締め付けるから、精一杯の気持ちを込めて携帯ではなく隆平を見つめた。
「おめでとう」
隆平が携帯から視線を上げて笑顔で私を直接見て視線が絡む。その瞬間が妙に長く感じたのは、私だけなんだろうか。
すぐに携帯が友人によって取り上げられた。代わりに渡されたアルコールを煽り、隆平が友人とハグをする。一人一人にハグを求めて抱き合うその姿を見ていたら、心臓がすごい早さで脈打つ。最後の最後にまた私にさっきみたいな笑顔が向けられ、包み込むように抱き締められた。
『ありがとぉー!』
こんなハグ、初めてではない。きっと隆平にとってはなんてことのないスキンシップで、私が今こんな気持ちで抱き締められているなんて夢にも思っていないんだろう。
私の肩を掴み少し距離を取った隆平が、今までヘラヘラしていた顔から急に眉間に皺を寄せ首を傾げた。すると私の顔を覗き込むから、顔の近さにドキリとする。
何故か首を傾げたまま再び私を抱き締めた隆平の動きは一度ぴたりと止まって体が離れて行った。
真正面から真っ直ぐに私を見つめるその瞳に吸い込まれてしまいそうで鼓動が早くなる。
私に向かって伸ばされた手がやけにゆっくりとスローモーションのように見えてますます緊張が高まる。
首元に触れた隆平の手にびくりと体が揺れる。その手が頬へと移動して頬が包み込まれると、また移動して額へと辿り着いた。
......あ、やばい...。
『ごめん、そこの引き出しから体温計取って』
引き出しを指差し、後ろにいたシゲに言った隆平の横顔を見つめてから、目が合う前に視線を落とす。
肩にある隆平の手がぽんと肩を叩いて、それでも顔を上げない私の頭を今度はわしゃわしゃと撫でる。
『はい、計って』
「いや」
『えぇ?...計りなさい』
「............。」
『てことはあれやな、わかってて来たんやな?』
口を噤んでいると、みんながどうしたんだと注目するからなんだか気まずい。
...そうだ、もしかしたら、移してしまうかもしれないのに黙って来ていたなんて。今更罪悪感が押し寄せる。けれど、やっぱり今日隆平に会えた喜びの方が私にはまだ大きい。
『...計らんでもわかる。熱いもん』
優しい声色で言われて手を引かれた。隆平が立ち上がって私を引き上げようとするから恨めしげに見上げると、ふっと笑って再びしゃがみ込み抱き上げようとするから慌てて立ち上がった。
『寝させとくわ』
みんなに言った隆平が私の腕を掴んだからそれをやんわり解く。そして口を開こうとした私の手を今度は優しく握って引くから、思わず言葉を呑んだ。
リビングを出て隆平の寝室に入り扉が閉まると、隆平が振り返って笑顔を見せる。
「...帰る」
『飲んでるし送って行かれへんもん』
「大丈夫、一人で帰れる、」
『あかんの!ええからここで寝といて。明日送るから』
手を強く引かれベッドに座らせられると、隆平が私の前にしゃがみ込んで私を見上げた。
優しい顔で私を見る隆平の視線が妙に居心地が悪くて目を逸らすと、私の両頬を摘んだから驚いて思わず隆平を見た。
『なんで来たん?無理したらあかんやろ?』
...会いたかったから、なんて言ったら、困った顔するくせに。
「......ごめん」
『なんでごめん?』
「...移るかもしれないのに」
『えぇ?なーに言うとんねん。来てくれて嬉しかったで』
またそんなこと言って、いつもいつも私に意識させて。...私が勝手にドキドキしてるだけだけど、それでもそんなセリフをさらりと言ってのける隆平は狡い。
『けどさぁ、さすがに飲むのはあかん!』
唇を少し尖らせてわざと怒ったような顔をして見せた隆平が、すぐに笑顔に戻る。そして頬を摘む手が離れたのに、ドキドキしていた。あまりにも優しい顔をしているから。
『...俺のために来てくれたんやもんな?』
隆平が首を傾けて伺うように私を見る。返事を促すようにじっと見つめられて、煩い心臓の音がBGMみたいに響く。
『...あれ、...ちゃうの?』
「...............、」
『黙ってると俺、都合のええように捉えてまうで?』
笑ってそう言った隆平の顔を見たままぼんやりと考える。それがどちらかと言うといい意味であることは理解したから、今さっき飲み込んだ言葉を意を決して口にした。
「...隆平のために来た...」
ちらりと隆平を見れば、少し口を開けて私を見ていた。驚いたというか、え、マジで?みたいな顔をしているから、ちょっと後悔。
「...なーんて、ね、」
誤魔化すみたいに笑うと、隆平がはっとしたように瞬きを繰り返して布団を捲る。
『......寝させるために来たんやったな』
...ぎこちない笑顔の意味を、どう捉えるべきか。一瞬で期待し過ぎたかもしれない。大きな期待は虚しくなると知っていたのに、きっとこれも熱のせい。
横になるように促されて、ゆっくりとベッドに横たわる。いつも隆平が寝ていると思うと、たまらなくドキドキする。けど、今意識していると気付かれたくはない。これ以上気まずい雰囲気はごめんだ。
『なんかあったら呼んでな』
頷くけれど隆平の顔は見られなかった。仰向けのまま天井を見つめて、視界の端の隆平の背中を確認してから、ちらりと目を向ける。電気を豆電球だけに切り替え部屋が控えめなオレンジ色に染まる。
すると急に隆平が振り返ってすごい速さで戻って来たから、目を逸らすのも忘れた。
ベッドの前に膝をついた隆平がゴクリと喉を鳴らしてから私に向かって口を開いた。
『...酔うてんのかも、俺...』
頭に触れた手に気を取られていたら唇が触れた。押し付けられた唇はゆっくりと離れて隆平が自分の唇を噛んだまま私を見つめる。
『...おやすみ、』
すぐに立ち上がって背を向けた隆平がそのまま部屋から出て行った。ゆっくりと扉が締まる音を聞きながら、横向きになって蹲る。
『#name1#、寝た』
たった今この寝室を出て行った隆平が、リビングのみんなに話す声が聞こえた。
隆平のベッドの中で、隆平の匂いに包まれて高鳴る鼓動。ふわふわとする頭。どこまでが現実だろう。これは夢なのか。
みんなの笑い声を遠くに聞きながら目を閉じた。
......寝られないでしょ、普通。
あんなことしておいて放置されるなんて、とてもじゃないけど寝られない。
どういうつもりでキスしたんだろう。
本当に酔っているだけなのか。
さっきの隆平の表情が何度も浮かんでは消え、唇にはまだ感触が残っている。
隆平のことしか考えられない。ドキドキと息苦しさで蹲る。
どれくらい時間が経ったかはわからないけれど、多分数十分。カチャ、と遠慮がちにドアが開く音がして、みんなの声が大きくなってそしてまた小さくなって、ドアがパタリと閉まった。
足音が聞こえないからドキドキする。
この部屋に居ないのか、そこに居るのか、隆平なのか、他の誰かなのか。
床が微かに軋む音がしたから思わず目を閉じた。
近くで人の気配がして、天井の薄灯りが遮られ暗くなる。見られているかもしれないと思うと緊張する。すると撫でるように頭に手が触れたから目を開けた。
目の前には慌てたように手を引っ込めた隆平。
『...わっ、...起きてたん、?』
小さく頷けば誤魔化すような苦笑いを浮かべて私から目を逸らし、ちらりと伺うように視線を戻した。
『...点けてもええ?』
隆平がベッドサイドの電気スタンドを指差して聞くから、うん、と言った。
パチリと電気が点いて隆平の顔が鮮明に見えるから恥ずかしくて視線を外す。
『......夢か思た、...』
ぼそりと呟いた隆平にまた視線を戻すと、少し眉を下げてぼんやりと私を見ている。
「...何が、」
『......暗かったし、緊張してふわふわしてもうて、部屋出たらなんか...折角キス、したのに...』
途切れ途切れの言葉から隆平の動揺を感じるけれど、それがどういう意味のものなのか、この言葉だけでは判断出来ない。“折角”の意味を知りたい。
隆平がドアの向こうのリビングを気にして視線を向けたから身体を起こす。このままにしないで。その先の言葉が欲しい。
『...あ、寝てて』
「...ん、」
『...起きるん、?』
「...ん、」
『ごめんな、起こしてもうて...』
「...んーん、平気」
ベッドに座った私を見た隆平が、一度視線を落として沈黙する。口を開くけれど隆平の口から言葉は出て来なくて、静かな部屋に聞こえてしまうんではないかと思うくらい心臓がバクバクと激しく高鳴っている。
『...さっきのキスさぁ、...無かったことに、せなあかん...?』
思わずゴクリと唾を飲んだ。隆平の目が不安そうに私を見つめて、早く言葉を発したいのに出て来ない。声を出すために一度目を逸らして握った自分の拳を見つめて口を開けば、聞こえたのは自分の声ではなく隆平の声だった。
『...俺、無理やもん...無かったことには出来へんよ...』
ベッドに手を付いた隆平が顔を近付けて数センチ手前でピタリと止まった。息が掛かって唇が緊張で震える。それを見つめる隆平が、囁くように言った。
『...忘れられへんようにしてまえばええねんな』
ドキリとして隆平を見れば、ほぼ同時に唇が触れて隆平の手が髪を撫でる。
私よりも熱いくらいに感じる隆平の唇が優しく私の唇を食んで離れ、また触れながら抱き寄せられ何度もキスを繰り返した。
本当に忘れられないキスにして。
来年も、再来年の今日も、これからずっと忘れないように、今日という特別な一日の、特別なキスにして。
Happy birthday!! 2014.11.26