ハートエイク


“ 嫌いな子とはせぇへんよ。
 好きやない子とはできるけど。”

きつく目を閉じていたら、あの会話を聞いてしまった時の光景を思い出して、逃げるように目を開けた。すると視界いっぱいに章ちゃんの優しい笑顔があってドキリとする。
目の前の章ちゃんはさっき頭に浮かんだ時のような金髪チャラ男ではなくなっていた。それでも、数え切れない程の人数とセックスしてきたであろうこの人の余裕たっぷりの笑顔が、私の胸を強く締め付ける。

“安田、やめたらしいよ”

久々に聞いたその噂に何故かドキリとしてみたものの、今こうして私とセックスしているということはその噂は宛にならないみたいだ。

目が合えば優しく微笑んで、それとは似つかわしくない程の勢いで激しく突き上げる。思わず章ちゃんの手を強く握ると、その手を包み込むように握り直された。唇を噛み締めて耐える私の頬を撫でてキスを落とすと、一度達している私を気遣うかのように時折緩やかになる律動。

『...しんどそ、...もっかいイっとく、っ?』

何だか悔しくなって目を逸らした。すると心配そうに私を覗き込んで視線を合わせキスをしたりするから、ますます悔しい。

...同じにはなりたくないと思っていた。特定の彼女なんか作らない章ちゃんと、一回きりのセックスなんて、絶対にしないと思っていたのに。



一際目を引く金髪、女の子みたいに綺麗で可愛らしい笑顔。誰にでも変わらない優しさ。大きな大学でも目に付く程のアイドル的存在だった安田くん。
入学して少しした頃、友達が私に言った。

“安田には気を付けた方がいいよ”

...知ってる。誰と寝たとか、何人と寝たとか、どこでシてたとか、そんな噂ばかり聞いていたから。

「安田くん、これ。亮ちゃんが」
『..........。』
「...安田くん」
『...俺もそれがええなぁ...』
「え?」
『“章ちゃん”。安田くん、やなくて』

...気をつける...?
...もう、遅いよ。

「...........、」
『章大、でもええけど』
「......じゃあ、...章ちゃん、」
『ありがとう、#name1#ちゃん』

彼が金髪アイドルになる前、目立たない茶髪だった高校時代から、密かに彼に憧れてたんだから。

“安田、#name1#のこと狙ってるらしいよ”

...同じにはならない。なりたくない。
それなら、ただ噂を聞いて沈んでいるだけの方が、無駄に胸を痛めなくて済むと思っていた。それなのに。

『またあそこでシてたらしいよ、見た子がいるって』

結局噂にも傷付いてしまうんだからどうしようもない。
自暴自棄、と言ったら大袈裟だけれど、告白された同じサークルの人と付き合うことにした。彼氏がいるから興味無い、...な態度で噂はシャットアウト。私に章ちゃんの話をする人はいなくなった。

...だけど、よく考えてみたら同じだった。私も好きじゃない人とセックスしてるんだから、章ちゃんと同じ。
それでも、セックスを経験してしまったら、章ちゃんがしてきたであろう今までのことを安易に想像出来るようになってしまったから、更に胸の痛みは増してしまった。



『...なぁっ、...俺のこと、っ考えて、』

目を開けたら章ちゃんが微笑んで私を見る。集中していないと思ったんだろうか。
...ずっと考えてたよ。いつだって頭の中は章ちゃんばっかり。苦しいくらいに、章ちゃんしか頭にも心にも居ないのに。

優しく髪を撫でられて軽いキスを落とす。優しい唇とは釣り合わない少し激しい律動に声が漏れると、章ちゃんが嬉しそうに微笑む。
一時間程前までの酔いは覚めて、急にクリアになったさっきの光景が頭に映し出されて何だか急に恥ずかしくなる。


 “俺のこと嫌いやろ?
  嫌いやなくても
  絶対好きちゃうもん!”

...なんて言うから、酔った勢いに任せて言った。

「好き」

章ちゃんは笑っていた。それが馬鹿にされたように感じたから、少し目頭が熱くなって俯いた。
すると章ちゃんは私を覗き込んで言った。いつもの笑顔とは違う、より優しい笑みを浮かべて。

 “ ...好きなん?”

それに答えられず潤んだ目を逃げるように逸らすと、章ちゃんの手が頭をぽんぽんと叩いた。

“ ありがとぉ ”

今までこうやって女の子を誘ってきたんだろうか。

“ 俺も好きやで ”

その言葉の本心はわからない。
ターゲットを落とすための武器だったかもしれない。

私がこんなに大胆になってしまったのはきっと、やめたという噂と、今日このタイミングでトレードマークの金髪から落ち着いた茶髪に染め直した章ちゃんが、2人で飲みたいなんて誘うからだ。
少なからず、今日という大切な日に誘われたことに期待してしまっていたんだと思う。


はぁ、っと溜息のような吐息を吐き出した章ちゃんと目が合った。

『...気持ちええな、』

前髪を払って額にキスを落とし、髪を撫でながら微笑む。恋人にするようなそれに、胸が熱くなって息が詰まった。奥を突き上げられて吐き出すように声が漏れると、私の腰を掴んだ章ちゃんが少し顔を歪めて律動を早めた。

『...#name1#っ、』

思わせ振りに名前なんか呼ばないで。優しく抱かないで。
きつく閉じた目から涙が零れ落ちた。私の上に倒れ込んだ章ちゃんの腕の中で的確にポイントを押さえて高められ、耐え切れず章ちゃんの背中に腕を回した。頬を撫でられ目が合えば、息を切らしながら笑って深く絡み付くように舌が絡められる。舌さえも愛撫されているような感覚に体が震える。

迫り来る絶頂に体を強ばらせれば、その体を強く抱かれて腰がひくりと跳ねた。すぐに体を起こした章ちゃんが中から出て行って、私の上に欲を吐き出した。
快感に僅かに歪むその顔が、全てを吐き出して私を見つめる。色気のあるその顔を焼き付けたくて、静かに目を閉じて章ちゃんの顔を瞼の裏に映した。



気だるさに少しの間目を閉じていたら上から布団が掛けられて、章ちゃんが部屋から出て行く気配がしたから重い瞼を持ち上げた。一瞬だけ見えた綺麗に筋肉が付いたその背中と茶髪。見慣れないその後姿を見送って天井を見上げた。

...後悔、しているのかどうか、自分でもわからない。けれど、やっぱり胸の痛みは増してしまった。今更早いビートを刻む鼓動。息苦しくて堪らない。
涙は、章ちゃんが帰るまで我慢。
涙を閉じ込めるように目を閉じていると、ぺたぺたと足音がして服を拾い上げるような音が聞こえた。

するとベッドが沈んで驚き思わず目を開けた。目を丸くした章ちゃんが私の隣で布団を捲くっている。
...帰っちゃうかと思ったのに...。
ふっと笑った章ちゃんが、私の横に手を付き軽くキスを落とした。

『起きてたんや?』

...想像と違う。噂に聞いた章ちゃんは、セックスの後にこんな思わせ振りなことはしないはずだ。

『寝てる思て勝手にシャワー借りてもうた』

布団に入って来た章ちゃんに頭を撫でて抱き寄せられ、章ちゃんの首元から薫る私と同じボディソープの香りに戸惑う。

『...体、大丈夫?』

優しく問い掛ける甘い声と、労るように腰を優しく滑る手。それが私に向けられているなんて、夢なんじゃないかと思う。
またふっと笑い今度は額にキスを落として私の頬をペチ、と軽く叩く。

『ちょっとぉ、何とか言うて』

ただ一度軽く頷けば、章ちゃんも頷いた。背中に回った手がトントンと一定のリズムで私の背中を叩く。まるで子供にするようなそれと、子供に向けるような笑顔。

『シャワー、しとく?拭いたけどベタベタするやろ?』

布団を捲られ、章ちゃんの視線が私の体に移ったから思わず体を捩った。いつもと変わらない笑顔を私に向けて、体の下に手を入れ抱き上げられたから慌てて肩を押した。すると静かにベッドの上に戻され、きょとんとして私を見つめる。

「...大丈夫、...自分で、」
『...そ?』
「...大丈夫だってば、」
『うん』

ベッドから立ち上がった私の腰に腕を回して支えるから、その扱いに戸惑う。立てない程激しいセックスをしたわけじゃないのに。
バスルームまでしっかりガードされて辿り着けば、何故か中まで一緒に入って来るから驚いた。

「ちょっと、」
『えぇ?』
「...何してるの、」
『一緒に入るの』
「...さっきシャワー浴びたでしょ、」
『だって#name1#ちゃん寝てる思てんもん』
「...そうじゃなくて、」
『ええやん』

温かいシャワーを私の足元から掛けて、それが徐々に上へと上がっていく。

一人で部屋に残された時から覚悟していた。
後腐れないセックス。期待させることがないように、終わるとすぐ帰っちゃうんじゃなかったの?今までの噂ではそう聞いていたのに。

体を隠すことなんてもう忘れてぼんやりとその信じられない光景を眺めていたら、明るい照明に照らされた章ちゃんの茶髪が部屋で見るよりも明るく見えて思わず触れた。

「...なんで暗くしたの」

顔を上げた章ちゃんに問い掛けると、口元に笑みを浮かべたまま目が逸らされた。その笑顔がなんとなく章ちゃんらしくない気がして横目で見ていたら、私の体をくるりと回して背中にシャワーをあてる。

『チャラく見えるらしいねん』

背中を向けていてよかった。動揺してしまったから、顔を見られていなくて、よかった。

『...ま、俺が悪いんやけどな』
「.............、」
『...タオルは?』

またくるりと体を回されて向かい合うと、いつもと同じ章ちゃんの笑顔が私に向けられる。

バスルームの扉を開けてバスタオルを手に取り、広げて体を包まれる。その上から抱き締められて優しい顔で見つめる章ちゃんにどうしたってドキドキしてしまう。近付けられた唇が軽く触れて、目を逸らして何だか照れ臭そうにも見える笑顔で笑うから、胸が高鳴って仕方ない。
胸元にタオルを巻き付けると、手を取られてバスルームを出た。

...なんなの。何を考えてるの。思わせ振りなことばっかりして、勘違いさせるようなことはしないんじゃなかったの...?

手を繋いだまま寝室のベッドに腰掛けた章ちゃんが、立っている私を見上げてから腰に腕を回し引き寄せお腹に顔を埋めた。

『...今日さぁ、泊まってっていい?』

お腹のタオルの中で聞こえる篭った声。
...わからない。私は他の子とどこが違うの?...それとも、同じなの?本当は、期待させないなんて噂はただの噂で、みんなにこんなことしてるんじゃないの?
...それでもその言葉だけで嬉しくなってしまうんだから、本当にどうしようもなく章ちゃんが好きなんだと実感させられる。

「...うん、」

顔を上げた章ちゃんが上目遣いで私を見て安堵したような表情を浮かべるから戸惑う。

腰から離れた章ちゃんの手に腕を捕まれゆっくり引かれると、ベッドに仰向けになった章ちゃんの上に導かれますます困惑する。私の後頭部に添えられた手に引き寄せられ一度キスをして、そのまま二人でベッドに倒れ込んだ。
横向きで向かい合ったまま髪を撫でられ、章ちゃんがあまりにも優しく笑うからドキドキしてしまう。

『明日、なんかある?』
「...ううん、」
『ほんなら、一緒に居れる?』
「.............、」
『...明日な、誕生日やねん』

...知ってる、そんなこと、何年も前から知ってるよ。

「...なんで、」
『え?』

なんで私と居たいの。誕生日なんて大切な日に、どうして私と居たいの。
さっきの“好き”は、口説き文句のはずでしょ?私とセックスするための、口説き文句のはずだったのに。
聞きたいのにはっきりとした言葉に出来ない。自惚れてしまえば傷付くのは自分だ。

「......なんか、...付き合うみたいな言い方、」

目を丸くした章ちゃんが私を見つめてから目を逸らし、また笑う。その顔が予想外に傷付いたような顔をしていたからドキリとして思わず口を噤んだ。

『...やっぱ、無理かぁ…』

無理って、何...?本当に付き合うつもりだったの?今の言い方だと、都合良く捉えることしか出来ないよ。
聞きたいことはたくさんあるけれど、自惚れになりそうで聞く勇気なんてない。

『...俺、もうやめたで?...けど、そんな簡単に信じられへんよなぁ。わかってるよ、自業自得はわかってんねんけどさ、』

体を起こした章ちゃんに腕を引かれてベッドの上に座って向かい合う。切なげな表情を浮かべた章ちゃんの手がするりと滑り片手を包むと、その手が私の手を力を込めて握るから、心まで掴まれたように苦しくてたまらない。

『...お願いがあんねんけど』

片手で頬を撫でられ視線を合わせれば、覗き込むように見つめられたまま章ちゃんが控えめな声で言った。

『#name1#ちゃんがな、他の奴に抱かれてる思たら、むっちゃ嫌やってん。それが彼氏でも、どうしても嫌やねん』

私は今どんな顔をしているんだろう。私の顔を見て章ちゃんがふっと笑った。だから可笑しな顔をしてしまっていたのかもしれない。
いつもとは違う笑顔で私を見ていて、私に言い聞かせるように章ちゃんがゆっくりと言葉にする。

『...せやからさ、誰の物にもならんといてよ』

真っ直ぐに私を見つめる瞳に何一つ嘘がないように見えるのは、やっぱり私の自惚れなのかもしれない。

『ほんまはすぐ俺のにしたいけど、#name1#ちゃんが俺のこと信じられるようになるまで待ってるから』

章ちゃんがベッドに手を付いて少しベッドが沈んだ。それに目を向けると、私の顔を覗き込んだ章ちゃんが、掬い上げるようにキスをする。

『...せやから、お願い。俺のために、誰の物にもならんといて』

啄むように何度か繰り返されたキスの後、引き寄せられて章ちゃんの首筋に顔を埋めた。
...狡い。こんなキスをしながらそんなこと言うなんて、本当に狡い。信じたくなっちゃうじゃない。

私を抱き締め髪に顔を埋めたまま動かない章ちゃんに、されるがままに抱き締められていた。
少しすると、脱ぎ捨てられた章ちゃんのジーパンのポケットから継続的に聞こえる携帯のバイブ音。鳴り止んではまた聞こえるその音を、章ちゃんの腕の中で聞いていた。
少し身を捩れば腕が緩んだから振り返って時計に目をやる。

「...誕生日」
『...え?あぁ、』
「...おめでと...」
『ありがとぉ』

顔は見ていないのに、さっきよりもトーンが高めの返事が返ってきて何だか照れ臭くなってしまう。その後に続けなければならない言葉を意識し過ぎたからかもしれない。

『#name1#ちゃん、』

顔を上げてちらりと章ちゃんを見れば、一瞬目を合わせた後ベッドの端のジーパンから携帯を取ってバイブを止め、ベッドに放り投げる。そのまま俯いて目も合わせずに頭を掻いた。

『もう一個だけ、お願いしていい?』
「............、」
『...今日は、やっぱ帰るからさ、明日だけ一緒に居ってくれへん?』

本当はすごく真っ直ぐな人なのかもしれない。惚れた弱みだと言われればそれまでだけれど、今は章ちゃんを信じてみたい。

『...そしたら、ちゃんと待つから。誕生日だけさ、』
「...今日も、居てよ、」

章ちゃんの目が私で止まった。微動だにせずに目を丸くして私を見ているから、居心地が悪くて私から先に目を逸らした。

『...どゆことぉ...?』

小さく気の抜けたような声で章ちゃんが問う。
あれ、やばい。なんて言ったらいいかわかんないや。
暫くの沈黙の後、ぼそりと呟くように章ちゃんが言った。

『...居るよ』

呟かれた一言に少し顔を上げると同時に唇が柔らかく触れて後頭部を章ちゃんの手が支えた。髪を優しくくしゃりと掴んでもう片方の掌が頬を包む。

『ずっと居る』

頭の手に引き寄せられてまた唇が触れると、その手が背中へ回って抱き締めた。愛おしむように背中を撫でる手と優しい唇が胸を熱くする。

どんな言葉より、安堵で震える吐息と柔らかい笑顔、抱き締める腕の強さで感情が伝わる気がして、幸せでたまらない。大きく膨らんだ溢れる程の想いを持て余して縋り付くように背中へ腕を回せば、私ごと受け入れるかのような抱擁と優しいキスが返ってきた。


Happy birthday!!  2015.9.11