カンタレラ


『お前さ、俺やなくてもそうやってすぐ着いて行くん?』
「...は?」

カップのコーヒーを見つめたまま亮が言った。私は口元まで近付けていたカップをテーブルに置きながら亮を見つめる。

『俺が“うち寄ってく?”言うたらすぐ“うん”言うて着いて来たやん』

亮がちらりと私を見てすぐに目を逸らした。
今までだって何度も来てるじゃない。私の家にだって来てるくせに、小学生の頃からずっとそうなのに、なんで今更そんなこと言うの。

「誰でも、ってわけじゃないよ」

亮だからだよ、とは言えない。幼馴染みだから、なんて意味じゃない。少しでも一緒に居たいから。だから気持ちも伝えずにここまで来たんじゃない。

そうじゃなくても緊張してるのに、ますます緊張させるようなこと言うのやめてよ。今更手を出されるなんて思ってるわけじゃない。気持ちがバレることが一番怖い。

『...ほんなら、俺んちやから来てるってこと?』

ドキリとした。そんないきなり核心を突かれるとは思っていなかった。

「...うん、まあね」

...大丈夫。冷静に。今のは“亮は幼馴染みだから”って意味。だから大丈夫。

『...どうだか』
「え?」

亮が冷めた目で私を見ていた。横目で睨むように私を見てコーヒーカップに視線を移し、残りのコーヒーを飲み干した。

『寒い言うときながらそんな肌出した服着て?...みんな言うてたで』
「...なに」
『#name1#が誘ってるー、て』
「......そんなわけないでしょ」

そんなことを言われていたなんて知らなかった。
亮が最近、色気のある女が好きだと言っていたから、今日は頑張って胸元が少しあいた服を着たのに。わざわざ買いに行って、選んだのに。

『せやからぁ、無自覚や言うてんの』
「...だから、そんなことない、」

私には目を向けず亮が立ち上がった。キッチンでコーヒーをカップに継ぎ足している亮を見ながら、苦くてなかなか飲み進められなかった手元のコーヒーを飲み干す。
戻って来た亮が立ったままコーヒーを啜って私を見下ろす。何だか居心地が悪くて手持ち無沙汰で、亮にカップを差し出した。

「おかわり」
『ファミレスちゃいますー』
「自分だけずるい」
『俺んちやし』

自分のカップをドンとテーブルに置いて、私が差し出したカップをひったくるとキッチンへ向かった。

...本当は心配してくれただけかもしれない。嫌味なんて言うつもりなくて、ただ気をつけろって言いたかったのかもしれない。あんな言い方はいつものことだ。今日は私がムキになってしまっただけ。

目の前にカップをドンと置かれてはっとして顔を上げる。ありがとう、とカップに視線を落とすと、さっきまで真っ黒だったそれが薄い茶色に染まっている。
...きっと、私が飲みづらかったことに気付いていたんだ。

「...これ、何?」
『コーヒー牛乳。...毒入り』
「......殺されるんだ?私」
『かもな』
「...ふーん...」
『嘘。...媚薬入り』

視線を上げて亮をちらりと見た。黙って私を横目で見た亮が、そのまま自分のコーヒーに口を付ける。
...どんな冗談よ。そんなこと言われたら、なんか気まずいじゃない。

『...ってことも、無いとは言えへんのちゃう?』
「...なにそれ」
『信じ切って着いてくと、そんなこともあるかもわからんでってことやろ』

カップを両手で包み込んで、亮の優しさが詰まった薄い茶色を見つめる。
...やっぱり心配してくれてたんだ。けれど、服装のことも家に上がることも、結局本当のことは話せないのだから、なんて言っていいのかわからない。

亮がふっと笑った気がして目を向けると、カップに口を付けたまま片方の口角が上がっている。

『飲まへんの?』
「......飲む」

カップを持ち上げた瞬間に聞こえた亮の言葉で、思わずその動きをぴたりと止めた。

『ほんまは、惚れ薬入り』

...もう、今日はなんなの。そんなからかうみたいに笑って、本当は私の気持ちに気付いてるんじゃないの...?それで面白がってるなら許さない。

鼓動が早くなるのを感じたからなんでもない振りをして溜息をついた。文句を言おうと鋭く見つめると、私より先に亮が口を開いた。

『それ飲んだら俺のこと好きになんねんで』

鼓動がますます早くなる。ただそのまま亮を睨むように見つめる。この目を逸らしたら動揺しているのがバレてしまいそう。
亮はどんなつもりでそんなことを言うんだろう。考えたってわからない。言ってくれなきゃ、亮の気持ちなんてわからない。

『はよ』
「......ばかじゃないの」
『ほんまやって。騙された思て飲んでみたらええやん』
「...ほんと、バカ、」

そんなことを言っても口を付けられないのは何故だろう。
この気持ちは伝えてはいけないはずだったのに、そんな期待させるようなことを言うから、言ってみたくなるじゃない。

立ったままでいた亮が私の隣に座ったから、とうとう目を逸らしてしまった。
視界に入って来た亮の手が、私の持つカップに伸ばされる。 思わずカップから手を離すと、亮がそれを手にして自分の口へ運んだ。ゴクリと喉を鳴らした亮を見れば、首の後ろに回された手に引き寄せられてキスをした。
目の前の閉じられた瞼を見ていたら、亮が今さっき口に含んだそれが私の口内に少量移された。小さく喉を鳴らしてそれを飲み込めば、唇が離れて亮の目が至近距離で私を見つめる。

『...な?好きに、なったやろ?』

さっきまでのふざけたような笑みは消えていた。頷いてしまえばそれでいいのに、息が苦しくて亮を真っ直ぐに見つめるので精一杯だ。

『...まだ、なれへんの?』

囁くように問い掛ける亮から目を逸らして震えるように息をつけば、今度は背中に腕が回って緩く抱き寄せられる。傾けられた顔が再び近付いて、触れる直前で静止した。

『...これで、なるから。...ていうより、なってくれんと困る』

身勝手な告白も、抱き締める腕も、ダメ押しのキスも、そこから伝わる不器用な亮の想いに胸を高鳴らせた。


End.