ブラバード


『はっ、何しとんねん』

顔を上げればヒナが呆れ顔で膝をついた私を見ていた。膝にジリジリとした痛みがあるけれど、平気なフリ。

「...うっさい」

自転車を停める時にフラついてバランスを崩し転んだ。自分の自転車と隣に並んでいたもう一台が倒れ、その向こうにヒナが自分の自転車を停めた。
昨日擦りむいた膝をまた擦って、傷口がまた少し深く抉れた。血がたらりと流れるのを気付かれたくなくて向きを変えゆっくりと立ち上がる私に、ヒナが背中を向ける。

『...どんくさ』

睨み付けるために向けた視線は、私の自転車と倒してしまった自転車を起こすヒナの背中で止まった。
...何だか泣きそう。足の痛みのせいか、それとも。

遠ざかるヒナの背中から目を逸らしてティッシュで膝を押さえた。膝よりももっと痛む足首が昨日より更に痛みを増していることが、余計に涙腺を緩める。

“こいつ去年の俺の誕生日にプレゼントあるよーとか言うといて全っ然持って来ぇへんねん”
“...あ、あんたにプレゼントなんか用意してるわけないでしょ、!”

そんな言い方しなくてもよかったのに、なんて私が一番よくわかってる。そこから言い合いになって謝るなんて出来なくて。本当は好きなのに、なんて言えるはずもなくて。
...だって、みんなの前で言うからいけないんじゃない。本当はプレゼント、用意してた。そのことは細心の注意を払ってヒナにだけ言った。仲間にバレたらからかわれると思ったから。それなのに、...本当に女心をわかってない。
いざとなったら恥ずかしくてドキドキして渡せなくて、そのまま一年クローゼットの中で眠っている。今はその隣に、今日渡そうと思っていたプレゼントが並んでいる。

自覚していた。ヒナを意識し始めてから目を見られなくなってしまった。何だか妙に恥ずかしくて喧嘩腰になってしまう。素直になれずに、傷付けるようなことばかり言ってしまう。

昨日、言い合いになった末に言い逃げするみたいに教室を飛び出した。興奮とドキドキで勢い良く階段を駆け下りて、外に出たところで足を捻って転んだ。擦りむいた膝よりも捻った足首よりも胸が痛くて泣いた。


大したことないと思っていた足首は今朝になって少し熱を持っていたけれど、自転車なら大丈夫だろうと油断した。漕ぐに連れて痛みは増し自転車を降りた瞬間に痛みが走った。だからバランスを崩してしまったんだから。

足を引き摺りながらやっと校舎に入る。保健室に行こうかとも思ったけれど包帯を巻かれたりしたら目立つしと、そのまま教室へ向かう。出来るだけ歩かないようにすれば大丈夫。

膝は水で洗って絆創膏を貼った。膝のジリジリと足首のズキズキと胸のチクチクは、いつまで経っても治らない。
睨むように私を見ているヒナと何度か目が合って、その度にフイと逸らされる目が胸の痛みをますます悪化させた。


昼休み、いよいよ足首が本格的に痛み出し保健室へ向かおうと廊下へ出たところで、走って来た生徒を避けようと慌てて向きを変えた。けれど、間に合わず肩が接触し尻餅をついた私に、ごめん!と言って走り去った男子を見送って顔を歪め立ち上がる。顔を上げると教室の中からヒナがこっちへ歩いて来ていたから思わずまた俯く。

『...捻ったんか』
「...大丈夫」
『保健室連れてったるわ』
「...大丈夫」

なんで急に優しくするの。さっきまでと全然態度が違うじゃない。そんな風にされたら、どうしていいか余計わからなくなる。

『...血も滲んでるやん』
「...だから!大丈夫だってば!」

思いの外大きくなってしまった声のせいで、周りにいた同級生たちから軽く視線を集めている。その中で鋭い目で私を見ていたヒナが目を逸らし、廊下の壁に凭れた。それを伺うようにちらりと見れば、不機嫌丸出しの顔で言った。

『...ほな勝手にせぇよ。俺の身体ちゃうし』

あぁ、もう。自分で言ってなんで涙が滲むの。
慌てて俯いて背を向けた。そのまま痛む足を引き摺ってひょこひょこと歩き出す。保健室は反対側なのに。けどこんな顔のままじゃヒナの前は通れない。

『どこ行くねん』

いきなり腕を掴んで引かれフラつく。それをヒナが支えて反対方向へ促される。

「...だから、いいってば、」
『泣くほど痛いくせに何言うとんねん』

支えられたまま二人共無言で保健室へ向かう。階段を降りる時に触れた手のせいでチクチクがドキドキに変わって、何だか苦しくて切なくて、でも痛くて、変な気分だ。

『どうしたん?大丈夫?』

保健室のドアを開けると安田先生が駆け寄って来て反対側を支えた。パイプ椅子に座らされて心配そうに私を覗き込んだ安田先生が笑顔になって立ち上がり救急箱を開けながら言った。

『ありがとう。戻っててええよ』

ヒナの方は見られなかった。まだお礼も言ってないのに、どうしたらいいかわからなくて。
視界の端のヒナはしばらく無言で立ち尽くしていてどんな顔をしているのかわからない。

『大丈夫やから、な』

優しいその声に顔を上げて安田先生を見れば、私ではなくヒナを見ていた。

『よろしくお願いします』
『はーい、わかりましたぁ』

ヒナの背中をチラリと見た。なんで私のことをお願いなんてするの。...それじゃあ心配してるみたいじゃない。
...心配してなかったら、連れて来てくれたりしないか。

腫れた足首に湿布を貼り冷やしながら、消毒薬を含ませた脱脂綿が膝の傷口にあてられた。ピリピリとした痛みに顔を歪め、昨日からほぼ放置していた傷口を先生に優しく注意され、少し後悔。

『どうする?休んでく?』
「...え、」
『戻りたくないんやろ?さっきから鏡見てばっかやし』
「...うん、...目、腫れちゃって、」
『こっち寝とき』

案内された奥のベッドに腰掛けると安田先生がにっこり笑ってカーテンを閉めた。
...ヒナも、安田先生くらい優しかったらよかったのに。...なんて、嘘。今のままで充分。変わらなきゃいけないのは私の方。



チャイムの音で目が覚めた。眠るつもりなんてなかったのにいつの間にか寝てしまっていた。目を開けただけでもわかるくらい、まだ瞼が腫れぼったい。

椅子が軋む音がしてカーテンに安田先生の影が近付いた。
その途端、保健室のドアが勢い良くバンっと跳ね返る程乱暴に開けられた音がしてビクリと体が揺れた。安田先生の影が見えなくなって代わりに聞き覚えのある声が聞こえる。

『...先生!腹痛いねんけど...!』
『えぇ?』
『...腹痛いねん、』
『息切れるくらい走って来たのに?』
『...は、...ちゃいますよ』
『まだ居るよ。そこのベッド』
『...ちゃいますて、...俺は、頭が、...』

ヒナの矛盾した返答を聞いて安田先生が笑うのを聞きながら、カーテンの中で一人ドキドキしていた。

『村上くん、#name2#さんのバッグ取って来てくれへん?』
『...わかりました』
『あは、素直やなぁ』

ドアが開いてすぐに閉まる音が聞こえて、安田先生が私に起きてるかと問い掛けた。

『送ってもろたら?』
「...ううん、まだ目、腫れてるし、」
『そっかぁ。わかった。先生が言うとくな』

ヒナは嘘をついてまで保健室に何をしに来たんだろう。
本当に私のことが心配だった...?それとも、喧嘩のことを気にして...?どちらにしたって、嬉しいことに変わりない。
でも、どんな顔をして会ったらいいかわからない。

『ありがとう。大丈夫なんやって、一人で』

ドアが開いて安田先生の声がした。
しばらく沈黙があってまた胸がズキズキと痛み出す。

そのままヒナの声は一度も聞こえずにドアが開いて閉じた。何も言わないということは、また怒らせたかもしれない。けど、どうしたらいいの。私にはまだわからない。

ベッドから降りると足の痛みが緩和されていることに安堵する。カーテンの隙間から保健室を見渡し、ヒナの姿がないことを確認してカーテンを開けた。振り返った安田先生が笑顔で私にバッグを渡す。

『ほんまに一人で帰れる?お母さんに電話しよか?』
「大丈夫です、ありがとうございました」

何か言いたげな顔をしたまま笑って『気をつけてな』と安田先生が言った。

保健室を出て左足を庇いながらゆっくりと歩き下駄箱に向かった。腫れているせいかスニーカーが少し窮屈に感じる。
駐輪場へ向かって歩いていると、少し先にしゃがみ込む人影が見えた。目を凝らさなくてもわかる。見慣れたあのバッグも座り方も、間違いなくヒナだ。

...どうしよう。どうしたらいいんだろう。
ゆっくりと歩きながら俯く。その視界の隅のヒナが顔を上げまた俯いたのが見えたけれど、そっちを見ることは出来ない。
ヒナの前を通り過ぎた瞬間にヒナが立ち上がった。

『後ろ乗せてったる』
「...いい」
『ええから乗れや』
「...二人乗りはダメなんだよ」
『注意されてから降りたらええねん』

私が手にしていた自転車の鍵がヒナによって乱暴に奪われた。カチャリと音を立ててヒナの手に握られた鍵を見つめる。

「...返して」
『#name1#んちの前でな』

顔を上げてヒナを見たら、目が合った瞬間に目を逸らされた。

『...昨日は、悪かったわ』

バツが悪そうにくるりと背を向けたヒナが、私の自転車の鍵を外して跨った。
前を向いたまま『はよせぇや』と言うから、戸惑いながらも近付く。立ったまま俯けば、もう一度『はよ』と急かされ後ろに腰掛けた。
後ろに乗るのは初めてではない。だから出来るだけ何でもない振りをして、恐る恐るヒナのお腹に手を回した。

『掴まっとけよ』
「...うん」

馴れない自転車のせいかフラフラと漕ぎ出したヒナは、すぐに立て直し何も言わないまま自転車を漕ぎ続ける。

私も言わなければいけない。
ごめんとありがとうと、...おめでとうを。

「...ヒナ、」
『...なんや』
「...ごめん、」
『おー』
「...あと、」
『おん』
「...ありがと...」

漕ぎながら少し振りかえったヒナに私の顔は見えていないはずだ。何も言わず前を向いたヒナはさっきよりも少し大きな声で言った。

『プレゼントはないみたいやし?お礼はチョコでええわ』
「...なにそれ」
『3週間もあれば準備出来るやろ』

...3週間後は、バレンタインだ。なんで私にそんなこと言うの。昨日“誰がお前のプレゼントなんか”って言ったくせに。

「...甘いの、嫌いじゃん」
『お前が作ったやつやったら食えるで、俺は』

...そんなこと言うなんて狡い。昨日散々酷いこと言ったくせに、狡い。...けど、それは私も同じだ。

「...ビターなやつにする」
『...せやな』
「...あと、」
『...ん』
「.......プレゼント、渡すから...家の前で待っててね」

なんやそれ、とぼそっと呟いたヒナの耳が真っ赤だ。あー、もう。好き過ぎて、愛しくてたまらない。
するとヒナが急に自転車を止めるから驚いて視線を向けた。振り返ったヒナの目が今度は私を捉えて、暫しの沈黙の後口を開いた。

『俺お前のこと好きやわ』

すぐに前を向いてまた自転車を漕ぎ始めたヒナの後ろで、赤くなった頬を片手で覆った。私も好き、って、早く言わなきゃ。
...けれど、出て来た言葉は違った。

「...おめでとう...、」
『お前もな』
「...は?」
『今日から俺の彼女や。めでたいやろ』

私、まだ返事してないよ。...けどきっと伝わったんだ。本当は去年から伝わっていたのかもしれない。
プレゼントを渡したら、フライングしたおめでとうの代わりに今度こそ勇気を出して好きだと伝えよう。


Happy birthday!!  2015.1.26