Precious one


去年のバレンタイン、下校途中に近所の章大の家の前を通ったら同級生の女の子が飛び出して来た。

「あ、...ばいばい!」
『ばいばい、』

頬を赤く染めた彼女が来た方に目をやれば、章大が玄関の前に立っていた。ブルーのラッピングが施された箱を持って。
丁度章大が顔を上げたから手を振って家の前を通り過ぎた。内心動揺しているから、何も言わずに通過したのに。
何故か私を追い掛けて来た章大が私の隣に並んでぴたりとくっついて着いて来る。

「...モテ期?」
『あは、そうかも』
「学校でも見た」
『...どれ?』
「..............。」

今の一言で複数人から貰ったことは明らかだ。別にモテるのは知っているし、どうせ私は告白なんかすることは出来ないんだから、文句は言えない。
...本当は、嫌だけど。

「...どこ行くの」
『#name1#んち?』
「それ、家帰って開けなくていいの?」
『開けるやん。#name1#んちで』

女の子の気持ちをなんだと思ってんの、と思ったけど、多分章大はそんなことはしないと思う。そんなに無神経ではない気がする。

「嫌われるよ」
『ええもん、好きやないし』
「...じゃあ、...」
『なにぃ?』

“じゃあ、受け取らなきゃいいのに”
妬いてるみたいで言えなかった。
私は今まで一度も章大にチョコをあげたことはない。単純に羨ましいけれど、照れ臭い。そして何より、私の胸の奥に隠してある気持ちに、章大なら気付いてしまいそうだから。

『#name1#はくれへんよな』

ちらりと章大を見たら俯いて笑っていた。

『大事な人にしかあげへんねや?』
「...そういうわけじゃないよ、」
『ええんちゃう?それはそれで!』
「...だから、違うって、」

それならとっくに章大にあげてるよ。
そんなことを言えるはずもない。怖いから、今まで通りで居られなくなるのが一番怖いから、だから言えない。

結局章大はうちの手前まで来て、お母さんからの電話で帰って行った。私に変なモヤモヤだけを残して。


“大事な人にしかあげへんねや?”

近所のスーパーのバレンタインコーナーを横目に見ながら去年の言葉を思い出していた。
明後日に迫ったバレンタインの売場前で浮かれる女の子たちをやっぱり羨ましく思うけれど、私には...

『#name1#』

呼び止められてドキリとした。
振り返れば小さな買物袋を下げた章大が歩み寄って来た。

『何してんの?』
「...買い物」
『あは、そらそうやわ』
「うん、」

歩き出した私の横にぴたりとくっついて章大が着いて来る。...なんか、やめて欲しい。こんなに触れる程側で歩かれる度にドキドキが大きくなっていく気がする。ますます好きにさせられる気がするから。

「道、間違ってますよ。章大くんちはあっち」
『アホか!わかってるわ!』
「...なんで着いて来んの」
『暇やねんもん』

章大が部屋に来るのも本当はいつも緊張している。慣れているはずなのにそれでも緊張するんだから、章大への気持ちが次第に大きくなってきているのを認めざるを得ない。

『お邪魔しまぁす』

私のベッドに直行した章大は、ベッドに寝転がって枕元の雑誌や漫画を勝手に漁っている。

『今日な、うちのクラスの池田がさぁ、#name1#のこと可愛い言うてた』

しばらく本を捲る音だけだった部屋に、章大が言ったそれがやけに大きく聞こえた。

「うそー、池田ふざけてるでしょ」
『なんで?#name1#、可愛いで』

ベッドに凭れて座る私の後ろでベッドに寝転がって雑誌を開いたまま章大が急にそんなことを言うからドキリとした。

『違う奴やけど、#name1#紹介してーって言われたこともあんねんで』
「...紹介してないじゃん」
『んふふ、せやな』

ギシ、とベッドが軋んで私の肩に章大の顎が乗ったから一気に心臓が煩くなる。

『紹介して欲しかったん?』
「......ううん」
『...ま、して言われてもせぇへんけどー』

肩から離れた章大がベッドに座り直してまた雑誌をパラパラと捲る音がする。
なんで?とすぐに聞くべきだった。変な間をおいてしまったから今更聞くに聞けなくなってしまった。
都合のいいようにも捉えられるその言葉が、心にモヤモヤを生み出す。

今の動揺で思わず閉じてしまった読み掛けの少女漫画を開こうとしたけれど、いつもと変わらない無音の状態が今は酷く緊張を煽るから、リモコンでテレビをつけて画面を見つめた。
そこに映し出された再放送の恋愛ドラマを見て思わずゴクリと唾を飲んだ。すると、後ろで章大がパタリと雑誌を閉じる音がした。

『このドラマのタイトル、なんやったっけ?』

ベッドから滑り下りるように私の隣に移動しながら問い掛けるから、またドキっとさせられる。

「...なんだったっけ、ね、」


2年程前、このドラマを私の部屋で一緒に見たことがある。章大の両親が家を空けていて、うちで一緒に夕食を食べた日のことだった。
つまらんドラマやな、なんて言いながらテレビをぼんやり見ていた章大をちらりと盗み見ていた。

『けど、今のキスシーンはよかったなぁ』

あまり見ていなかったから、そうだね、と適当な言葉を返した時に章大が私を見て笑いながら言った。

『キス、したくなった』

章大は覚えているだろうか。
私が今までで一番章大にドキドキさせられたのは、あの瞬間だったという自信がある。



『あのつまらんドラマな』

はっとしてテレビに視線を戻した。
あの時とはおそらく違うシーンだ。相手役の俳優も違う。

『キスシーンだけはめっちゃ覚えてるなぁ』

覚えていたことにドキリとした。別に私たちがキスをしたわけではないのに、妙に章大に男を感じて、私が勝手にドキドキしていただけだったのに。

体がびくりと揺れた。リモコンを掴んだまま床にあった手に、章大の手が触れたから。...触れたと言うよりは、潰された、って感じだけど。

『あ、ごめん』

章大が体勢を変えるために付いた手はすぐに離れて、章大が斜めに体をこちらに向けて座り直した。その体勢にまで反応して心臓が煩くなる。

テレビの中の女優は、最終回に結ばれるのとは違う俳優とキスをしていた。
CMが流れ出して、どこかほっとした。けれど、隣の章大が覗き込むように私を見るからちらりと目を向ける。

笑って私を見ている章大に居心地の悪さを感じた。私の緊張が見透かされているようで、ますます緊張が高まる。

「...なに?」

顔ごと章大に向けた瞬間に、身を乗り出した章大の顔が傾けられて唇が触れた。10cm程離れてふっと笑うと、章大が言った。

『...やっぱ、したくなった』

泣いてしまいそうな程ドキドキして思わず顔を逸らした。章大が今どんな表情をしているかはわからないけれど、さっき見たやけに余裕のある笑顔が何だか悔しい。

しばらくの沈黙の後、伸びをしてから章大が立ち上がった。ちらっと章大を見れば、私に笑顔を向けて『帰るな?』と言った。
精一杯なんでもない振りをして「バイバイ」と言ったら、章大も『バイバイ』と言って部屋を出て行った。

どういうつもりでキスしたのかなんてわからない。
ただしたかっただけなのか、そういう気分になったからというだけなのか、...好きだから、したかったのか。
けれど、自分に都合のいい考え方は好きではない。後でダメージが倍増するから。


翌日、スーパーのバレンタインコーナーの前に立っていた。
期待を捨て切れない自分は、本当にどうしようもない。けれど、膨らみ過ぎた気持ちを持て余してソワソワしていた。
関係が変わってしまうのが怖い反面、この想いに気付いて欲しいという気持ちも確かにあって。

色とりどりのチョコレートを見つめていたら、女の子たちの気持ちがわかった気がした。
手作り用のキットに手を伸ばしてレジへ向かう。こんな気持ち、今まで知らなかった。

キッチンでチョコレートを溶かしていると、メッセージを受信した。
“ 今から行ってもいい?”
章大からのその言葉にドキリとした。けれど、今来られたらそれこそ困る。
“ ごめん、今日は無理 ”
その文章に返信はなかった。
昨日のキスを気にして断ったと思われるだろうか。でも、明日チョコを渡せば大丈夫か。...そうしたら逆に、あのキスで章大を意識してると思われるかもしれない。

ここまで来ても、まだ逃げ道ばかり探してしまう。...でも、逃げ道を作ることで、少しでも勇気が増すならそれでいい。
「去年“くれない”って言ってたから」
とでも言えばいい。喜んでくれたらそれでいいじゃない。好き、なんて、わざわざ言う必要はない。




『.....何コレ』

翌朝、通学前に章大の家に寄った。
学校で去年のような光景を見てしまえば、決心が鈍ってしまいそうだから。

まだスウェット姿の章大にチョコを差し出すと、それを目を丸くして見つめたまま固まっている。
...早く。受け取ってよ。
それから私をちらりと見て、箱に手を伸ばした。

「チョコ」
『........珍し』
「ありがとうは?」
『...ありがとうございます...』
「どういたしまして!」

少し歪んだラッピングのチョコレートを手にして見つめたまま立ち尽くす章大に声を掛けられる前に背を向けて、早足で学校へと歩いた。

今頃になって手が震えてきた。足がふわふわする。...よく頑張ったよ、私。

学校では出来るだけ動かないようにしよう。去年も廊下の隅で告白されているのを見てしまったし、今年は余計なことまで考えないように。
それでも紙袋を手にしている女の子を見ては結局ソワソワして、一日中どうしようもなく落ち着かなかったのだけれど。

帰る準備をして階段を降りていると、階段の下の方で章大を呼ぶ大きな声が聞こえた。足を止めて上から覗けば、隣のクラスの女の子2人がそれぞれ小さな箱を章大に差し出していた。

『義理?俺いらんわぁ』

なんでー?と聞かれても『いらんからいらんのぉー』と笑う章大を上から見下ろしたまましばらくその場に立ち尽くす。

...なんで受け取らなかったんだろう。去年はたくさん貰ってたじゃない。私のは受け取ったくせに。...じゃないか、私が無理矢理押し付けたようなものだ。

章大の姿が見えなくなったのを確認して階段を降りた。外へ出ると校舎の脇に章大が立っている。けれど、なんとなく気付かないふりをして通り過ぎた。

校門から出たところで章大が隣に並んだ。またいつものように私の横にくっついて着いて来る。
ちらりと章大のバッグに目を向けた。けれど、いつも通り荷物が少ない。

『今日は行ってもいい?俺んちでもええけど』
「...ん、」
『ほんなら俺んち!』

ニコニコと私を見てから前を向いた章大が、肘で私を突く。

『なぁ、アレってさ、手作り?』

逃げ道用の回答は、あまりにも急すぎる質問によって真っ白になってしまった。

「...かも、」
『...え?...かも?#name1#からちゃうの?』
「...そうだけど」
『なんやねん!誰かが作ったの渡されたんか思うやん!』

...キスしたくせに。いつも通りの章大は狡い。こんなにドキドキさせて全く態度を変えないなんて、本当に狡い。

俯いていた顔を上げて前を見たら、章大の家の前に女の子が立っていた。
私たちに気付いてゆっくり歩いて来たその子を見て足を止めると、章大も止まって私を見てから女の子に気付いた。

「...ここで待ってる」
『...うん』

歩いて行った章大に話し掛けた女の子を章大が玄関の方まで誘導すると、二人の姿は見えなくなった。

しばらくすると出て来た女の子が、私とは反対方向へ歩いて行った。手には、さっきから持っていた紙袋がそのまま下がっている。

顔を出した章大が私を手招きで呼ぶからゆっくりと近付く。玄関のドアに手を掛けた章大に思わず聞いた。

「...なんで受け取らないの、」

目を丸くして振り返った章大が苦笑いを浮かべてドアを開ける。玄関に招き入れられると、先に靴を脱いで部屋に上がった章大が前を向いたまま言った。

『...あの子は、本気やったからさ』

ぴたりと動きを止めて章大を見た。本気だったから?去年はそれでも受け取ったじゃない。さっきも義理チョコ、貰わなかったじゃない。

『...何してるん、はよ行こ』

急かされてお邪魔します、と呟き章大の部屋へ向かった。聞きたいことが沢山ありすぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。
章大の部屋に入って扉が閉まると、私が渡したチョコを手にして章大が振り返った。

『これってさぁ、』
「なんで受け取らないの」

言葉を遮った私を、目を丸くしたまま章大が見つめる。しばらくの沈黙の後、目を逸らして章大が笑いながら口を開いた。

『...せやから、さっきもそれ言うたやんかぁ』
「...義理も、受け取らなかったじゃない」

また黙って私を見た章大が、ふっと笑ってベッドに座った。ベッドの隣をポンポンと叩いて呼ばれたけれど、心臓の音が聞こえてしまいそうで少しだけ近付いてラグに座った。

『俺さぁ、自分の振舞い、見直してんねん』

ふざけたように笑いながら章大が言った。それを黙って見ていたら、章大が私に笑顔を向けてから顔を逸らす。

『...多分、軽い男やと思われてるから』
「........誰に、」

俯いたまま私の問いには応えずに、少し間を空けてから章大が口を開く。

『誰からでもチョコ貰たりさぁ、...我慢出来ひんくて付き合うてもないのにキス、してもうて、...多分、思われてるから...』

思わず息を詰めた。高鳴る鼓動が私の思考を乱して行く。
章大の表情はいつも通りだけど、シーツを握るその手が僅かに震えているように見える。

『...俺も、大事な人からのしか、受け取らんことにしてん』

章大がベッドを下りて私の横に座る。
呟くように#name1#、と呼ばれたけれど章大の顔を見ることが出来ない。絶対今、顔が真っ赤だ。

『...キスはさぁ、恋人同士がするもんやんな?』

首を傾げるようにして顔を覗き込まれ目が合うと、縋るような目で私を見ている。

『...キス、してもいい...?』

一昨日の余裕なんか微塵も感じさせない章大の表情に、何だか妙に安心していた。

「......ん、...章大がいいなら、」
『...なんやそれ』

ゆっくりと顔が近付いて傾けられ、章大が微笑む。軽く触れた唇が離れると、章大の腕が首に回って引き寄せられ、もう一度キスを交わす。
痛い程に胸が高鳴って苦しい程に愛しくて、今までの切ない想いも、涙と一緒にに流れ落ちて忘れてしまいそうなくらい幸せ。

二人の間に少しだけ距離をあけて、章大が私を見つめ笑った。

『...苦しかった、』

今の笑顔に不似合いのその言葉は、私の気持ちそのものだ。だとすれば、私は私が思う以上に愛されていることになる。

『...だから今、めっちゃ幸せ』

その想いが章大の腕の強さと鼓動で伝わる。だから私も体でこの想いを伝えたくて、章大の背中に回した腕できつくきつく抱き締めた。


End.