ノヴィス・ラバー


“まだ居ったん?”
 “あ、....はい”
“いつもこんな時間まで掛かってたんや?”
 “...や、いつもはもう少し早く、”
“...何でもええから、はよ帰んで”
 “あ、はい!”


部活が終わる10分前、先輩のガッツポーズを見ながら昨日のことを思い返していた。

昨日はもう一人のマネージャーの千穂は部活を休んでいたし、いつも通りの仕事をいつものペースでやっていたらもう暗くなってしまっていた。職員室に鍵を預けに行こうとしたところで横山先輩に声を掛けられた。
一緒に帰る途中、遅くなった理由を話したら、信じられない答えが返ってきた。

“一人の日は、手伝おかな”

そんなことを言ってもらえるなんて驚いた。そうしたら、また先輩と一緒に帰れるということなんだろうか。ちょっとだけ、期待してしまった。

『#name1#?もう終わるよ!』
「あ、うん」

千穂が走って片付けに向かったから、その後姿を見つめた。
...邪魔者扱いなんて、してない。...してないんだけど、...ちょっとだけ、残念だな、と思ったのは事実だ。
簡単に片付けをした後、ミーティング中に横山先輩を盗み見る。すると目が合ってしまったから、軽く頭を下げて目を逸らした。
どうしよう。見てたの、バレたかな。

ミーティングが終わり部長に呼ばれて試合の日程を確認していると、横山先輩がバッグを持って体育館から出て行くのが見えたから、その背中を見送って視線を戻した。

二人でいつも通りに掃除や片付けを終えて体育館を出ると、校門の先に20分以上前に出て行った横山先輩のバッグが見えた気がして目を凝らす。けれどその姿はもう確認出来なかった。

鍵を預けて外へ出ると、一週間前から付き合い始めた千穂の彼氏が千穂を待っていたから手を振って別れた。一緒に、と言われたけれど、さすがに断った。

門の手前で見覚えのあるバッグが目に入ったからピタリと足を止めた。
...やっぱり、横山先輩だ。

ドキドキしながらゆっくりと足を進めた。門を出たところに、俯いたまま進行方向を向いて立っている横山先輩。
けれど、待っていてくれたわけではないかもしれない。

「...先輩、...さようなら、」

先輩の背中に声を掛けると、先輩が振り返った。

『...あぁ、...お疲れ』

...やっぱり、違った。
頭を下げて先輩の横を通り過ぎた。無駄にドキドキして震えてしまった手を硬く握り締めて俯く。

すると、数メートル歩いたところで隣に人が並んだ。
見なくたってわかる。見覚えのありすぎるスニーカーとジャージ。

『...送るわ』
「...あ、」
『...待ってたわけちゃうねんけど』
「..............、」
『顧問と話してたら遅なってな』
「そうなんですか、」

昨日は会話があったけれど、今日は無言だ。何か話題を振らなくちゃ、と思ってはみても、何だか緊張して言葉が出て来ない。
ちらりと先輩を横目で見れば、先輩も同じように私を見ていたからドキリとする。

『...今日やなくてもよかったんや、ほんまは...』

急に先輩が言った言葉に頭を働かせてみたけれど、何のことだかわからない。再び先輩に目を向ければ、目を逸らして頬を掻きながら先輩が俯く。

「...え?」
『......顧問の話、...今日やなくてもよかったってこと...』
「ああ、そうなんですか...」

なんでそんなことを言い直すんだろうと思ったけれど、その意味に気付いて心臓がまた更に激しさを増す。
もしかして、先輩、...。

「...やっぱり、待っててく」
『や、ちゃうねん。待ってたわけちゃうけど!』

薄暗い空のせいでよくわからないけれど、顔を背けた先輩の耳が赤い気がする。私も負けないくらい赤い気がするけれど。

「...あの、」
『...やっぱり、待ってたわ』

どくんと大きく脈打った心臓が忙しないビートを刻む。
伺うように後ろを振り返ってキョロキョロと周りを見た先輩が、肩にかけたバッグを逆側に回したと思ったら手が触れた。その手を取られて緩く握られたからちらりと先輩を見れば、反対の手で落ち着きなく自分の口元に触れている。

『...いい?』

聞く前にもう既に繋いでるのに。思いながらも「はい、」と小さく返すと、先輩が足を止めたから私より少し高い位置にある顔を見上げた。突然近付いてきた唇に、目を閉じることも出来ないまま唇が触れた。
...“いい?”って、キスのことだったんだ。

離れてすぐに顔を背けた先輩が歩き出して、少し強引に手を引かれる。高鳴る自分の鼓動とふたつの足音。少し前を歩く先輩の背中。全てがくすぐったくて胸がきゅんとして、この瞬間を忘れないようにその背中を見つめた。

『...明日からは、...一緒に帰ろな』

素っ気ないほど淡々と放たれた言葉とは裏腹に、街頭に照らされた真っ赤に染まった先輩の耳。胸がいっぱいで言葉が出なくてかろうじて頷けば、緩く握る先輩の手が力を込めて私の手を握り直した。


End.