pit a pat!!


ぼんやりと黒板を見つめながら、授業中なのに早い鼓動を落ち着けようと深呼吸。考えただけでこれじゃあ、昨夜のシミュレーションは役に立ちそうもない。

プレゼントはやめた。まだ名前を覚えてもらえたばかりなのだから。受け取ってもらえなかったら立ち直れないし、そもそも何をプレゼントしたらいいのか見当もつかない。

“明日、誕生日なんですよね?
 よかったら私、何か奢ります!”

あわよくば放課後デート。それか、明日1日デート。...なんて逆に贅沢。
けれど、錦戸先輩のことだからもうとっくに誰かに誘われているかもしれない。だから冗談めかして言えばいい。先約が、と言われても、ですよねー先輩モテますもんね、と笑えばいい。

何度シミュレーションしても胸が高鳴る。ソワソワして落ち着きなく動く目線を窓の外に移して、2度目の深呼吸をしたところで視線が止まった。
最上階の窓の手摺りに頬杖を付いた先輩を見つけたから。
落ち着き掛けた鼓動がまた早まる。そこから逸らせない視線。先輩はどこを見ているんだろう。...私、ということはないだろうか。

先輩の片手が顔の横まで上がってヒラヒラと手を振る。すると、窓際の私の列の前の2人が『錦戸先輩』というワードでコソコソ話を始めたから、自意識過剰な自分の思考に顔が火照った。
背を向けた錦戸先輩が手摺りに背を預けたまま立っている。その背中を見ているだけでも胸がきゅんとしてしまうくらいに恋をしている。

『そこ』

数学教師の声にびくりとして目を向ければ、指が差されたのは私の前の2人だったから安堵した。視線をもう一度移してみれば、そこに先輩の姿はもうない。開いたままの窓を見つめてもう一度シミュレーション。
不安しかないけれど、もうずっと想ってきたのだから、そろそろ一歩を踏み出さなければ。

授業終了と共に教室を飛び出した。先輩はまだあの部屋にいるだろうか。
急いで向かった軽音部の部室の扉の窓から中を覗く。けれど人の気配はしない。ゆっくりと扉を開けて中を伺うけれど、開いた窓の横のカーテンが揺れているだけで、先輩の姿は見えなかった。

部室を出て辺りを見回すと、目に付いた屋上への階段。そこを駆け上がって屋上の扉を開く。
...そもそも、先輩が一人で居るかどうかもわからない。一人でなければ、誘うことだって出来ないんだから。

開いた扉の隙間から見た限り、先輩の姿は確認できない。足を進めると、屋上の隅のフェンスに寄り掛かって下を見下ろす先輩が目に入った。

早くなる鼓動。汗ばむ掌。立ち止まってしまえば進めない気がして、ゆっくりと先輩に歩み寄る。
顔を上げた先輩がちらりと私を見て、表情も変えずにまた視線が逸れたからドキドキしてしまう。

「...おはようございます」
『もう昼休みやで』
「...一人ですか...?」
『ちゃうよ。お前と2人』

先輩が私を見て馬鹿にしたようにふっと笑う。
こんなからかうような言葉にすら私がドキリとしてしまうことを、きっと先輩は知っている。

『さっきこっち見てたやんな?』

...びっくりした。私が居るのに気付いていたことに。

『#name1#ちゃんや思て手ぇ振ったらさぁ、両脇のクラス含めた窓際の子、みんな俺に手ぇ振り返すねん。なんや恥ずかしなってもうた』

俯いて笑う先輩を見ながら、顔が火照ってしょうがない。私に手を振ってくれていたという事実と、先輩の口から出た私の名前。

「先輩、人気者だから」
『それはマルやろ』
「...錦戸先輩も人気ですよ」
『そうなん?』
「...そうですよ」
『ふーん』

興味無さそうに発せられた言葉と共に視線が私に移った。口の端を上げて私を見るその目に、次の言葉を急かされているような気がして鼓動がますます早くなる。

先輩の背中がフェンスから離れて横を摺り抜け、私の後ろ側にあるベンチに座った。

『俺、明日誕生日やねん』
「...そう、なんですか...」

...違う!「そうですよね」って言わなきゃいけなかったのに!なんで知らないふりしちゃったんだろう。急にその話題を振られて動揺し過ぎてしまった。

『明日、暇?』

後ろから聞こえてきた問いに心臓がドクリと脈打った。ちらりと振り返って先輩を見れば、私に背を向けて空を見上げていたからその後頭部だけしか見えない。

「...暇、です、」
『ふーん。ただ聞いただけ』

笑っているようにも聞こえるその返答に顔に熱が集まったからまた背を向けた。...悔しい。いつもこうやってからかって。私の気持ちに、きっと気付いているくせに。

『...なぁ』

声がさっきよりも近くなったから、先輩がこっちを向いて話しているのかもしれない。けれど顔が赤い気がするから、振り返ることは出来ずに俯いて「はい、」と返事をした。

『座れば?隣』
「...大丈夫です」
『大丈夫ちゃうし』
「...いいです、」
『座って欲しいねん。俺が』

そんなこと言うなんて狡い。でも、こんな一言すら一生忘れないように日記に書き記しておきたいくらい、好き。

先輩の顔を見ないように少し離れてベンチの端に座れば、先輩がふっと笑って私の顔を覗き込んだ。

『ただ聞いただけやねんけど、暇なんやったら、付き合えへん?明日』

自分の手元に視線を移した先輩が指先を動かしながら言った。横目でちらりと先輩の様子を伺うと、小さく息を吐き出して再び私に視線を合わせた。

...また私をからかっているんだろうか。笑みのないその顔は、いつも私を見る表情と違ってドキドキする。

「なんでですか、」
『...はぁ?』
「...なんで、...」

何が聞きたいのかわからなくなってしまった。なんで私を誘ったかなんて、聞いてどうするつもりなんだろう。
たまたま明日予定が無くて、たまたま私がここに居て、たまたま私の予定が空いていたから誘っただけかもしれないのに。

『なんでって...』
「..............、」
『お前が誘ってけぇへんからやろ』

...今の言葉、どういう意味だろう。
考えてみたらあっさりとその答えに辿り着いた。やっぱり先輩は、私の気持ちに気付いている。だからそんなことを言うんだ。

「...どういう意味ですか、」

どうしたらいいんだろう。このまま想いを伝えればいいのか、それとも、知らない振りをするのが賢明か。...答えが出せない。

小さく咳払いをして視界の端の先輩がベンチに座り直す。溜息のような息が吐き出されたからちらりと先輩を横目で見れば、俯いて自分の足元を見つめていた。

『ちゃうんやったらさ、思わせ振りなことせぇへん方がええで、自分』

思わせ振り。その言葉を使われると変に意識してしまう。“思わせ振り”という言葉自体が、私にとって思わせ振りなのに。きっとこれも先輩はわかってる。

私に向けられた視線が逸れて先輩が笑う。腰を上げて距離を詰めて座り直すと、また覗き込むように私を見つめた。

『...なぁ、俺のこと好きなんちゃうの?』

一気に鼓動が早くなって先輩から目を逸らした。面白がっているのはわかってる。からかっているのも、わざと私をドキドキさせて楽しんでいるのもわかってるのに、それでもどうしたってドキドキしてしまうし、好きでたまらない。

『...なんや、ちゃうんや』
「............、」

言ってしまえばいいのか。...でも怖い。たった一言だけが喉につっかえて出てきてはくれない。

『...もうちょい頑張らなあかんな』

その言葉の意味を知りたくて先輩に再び目を向ければ、口の端を上げて先輩が笑う。

『ほんなら、明日な。迎え行くわ』

立ち上がった先輩が後ろ手に手を振る。だから立ち上がって呼び止めようとしたところで、ポケットから携帯を取り出しながら先輩が振り返った。

『...の前に、連絡先、聞いとかなあかんな』

私の前まで戻って来て携帯を差し出すから、慌てて携帯を取り出す。ちらりと先輩を見れば、その目は私を見ていてそれだけで心臓が煩い。

『...の、前に』

更に私の前に一歩踏み出した先輩が覗き込むようにして私に笑顔を向け、唇が押し付けられた。
自分の心臓の音さえも聞こえない。時が止まったような静けさの中で唇がゆっくりと離れた。
口の端を上げながら少し照れたように鼻に触れ、先輩が背を向けた。ただ呆然とその後姿を見ていたら、次第に音を取り戻して自分の早過ぎる鼓動のせいで顔がカッと熱くなる。

「...先輩っ、...番号っ」

聞こえない距離ではないのに向けられたままの背中。戻って来ない視線。
校舎への扉を開ける先輩の、妙に不機嫌そうな顔と赤く染まった耳に気付いて、口元に手を当て俯いた。


Happy birthday!!  2015.11.3