ブルーアンブレラ


『傘ないのぉ?一緒に入ってく?』
「......大丈夫、」
『止むまでずっとそこに居るつもり?置いて帰られへんよ』

手を引かれて強引に入れられた傘の中から見た景色は忘れられない。胸がぎゅっと掴まれたように苦しくてドキドキして、私の恋心を加速させるのには充分過ぎた。

章ちゃんは思わせ振りだ。
頭を撫でたり、可愛いと言ってみたり、目が合うと笑顔を向けたり、相合傘をしたり、それはそれは女の子のツボを知り尽くしていて。天然か計算かはわからないけれど、多分後者、なんじゃないかと昨日思った。

思い返せばいつもニコニコしてその表情を崩すことなく、顔色も変えず、照れもせずにそうするから、きっとそう。
女の子はこう言えば喜ぶ、って冷静に考えているのかもしれない。私もそれに騙された一人に過ぎない。


教室の窓際に立ち尽くして外を眺めていた。想いが育ったあの日と同じ、雨。...昨日と同じ、雨。
朝は晴れていた。登校前に見た天気予報の気象予報士も、晴れだと言っていた。それなのに、なんで雨が降るんだろう。
思い出すのはあの日のことだけで充分なのに、鮮明に浮かぶのは昨日見たあの光景ばかりで。

昨日、あの日章ちゃんが声を掛けてくれたあの辺りで、青い傘を広げた章ちゃんのその隣には、クラスメイトの女の子。
教室の窓からそのシーンを見下ろして、手にしていた自分の折畳み傘を握り締め慌てて視線を逸らし教室の中に逃げ込んだ。傘を差さなくても平気な程の、小雨だった。

あのシーンを見ていなかったら今この瞬間思い出していたのはあの日のことだったかもしれない。
...気付いてしまった。どうやら私は自惚れていたらしい。だからこんなにショックを受けているのだと考えたら、ますます自分が惨め過ぎてヘコむ。


ぼーっと雨粒を眺めていたら隣に人が並んだ。それを確認する前にその人が言った。

『...今日は傘、持ってる?』

ドキリとして隣の章ちゃんにちらりと目を向ける。窓の外を見つめたままの章ちゃんの左手には傘が握られていて胸が騒めく。

『持ってへんなら、入ってく?』

胸が痛い。左手の傘は当たり前にあの日と同じ青で、昨日と同じ青。
黙っている私の肩をポンポンと遠慮がちに叩いて章ちゃんが首を傾げる。

『 一緒に、帰ろ』

伺うように見ていた章ちゃんは私と目が合うといつもと同じ微笑みを浮かべた。けれど今は、この想いを心の中で笑われているような気すらしてしまう。
それなのに断れないのは何故だろう。

『行こ』

心には靄が掛かっているのにドキドキしている。少し前を歩く章ちゃんの背中を見つめるだけで胸が締め付けられる。
靴を履いて顔を上げると、また笑顔で私を見つめる章ちゃんと目が合った。

『めっちゃ降ってる。天気予報、嘘つきやな』

あの時と同じその場所で、章ちゃんの傘が広げられるのを見ていた。今日もまた手を引かれて傘の中へ入れられるとすぐに手が離れる。...だからこういうところが思わせ振りなんだってば。

章ちゃんがこっちを見てふっと笑った。...やっぱり、からかっているのかもしれない。私が動揺するのを見て楽しんでいるのかもしれない。

その時、章ちゃんを呼ぶ声がして顔を上げた。あっちの女の子に章ちゃんがバイバイと手を振ったその横顔をちらりと見た。すぐにこっちを向いた章ちゃんが今度はまた私に笑顔を向ける。
あっちにもこっちにもいい顔して、忙しいね。...なんて、...あー、もう。嫌味な自分に嫌気が差す。

『もうちょっとくっつけへん?#name1#ちゃん、肩濡れてもうてる』

章ちゃんの肩が私の肩に当たった。腕から肩まで触れて、章ちゃんが口角を上げているのを見てドキドキする。
これが計算だったとしたらどうしよう。
全部見透かされていたら、どうしよう。

『どうしたん?』
「...章ちゃん、それどういうつもりでやってるの...」
『うん、?...え、なにぃ?どういうこと...?』

キョトンとした後、章ちゃんが笑いながら私に問い掛ける。

「...章ちゃんってさぁ、私のこと好きなの?」

違うでしょ?
ならこんなことしたらダメだよ。
続けようとしたら章ちゃんが立ち止まったから逸らしていた視線を向けた。目にしたそれに驚いて、出るはずだった言葉を途中で飲み込んでしまった。

嫌味のつもりだったはずその言葉に、章ちゃんが顔を真っ赤にして口を噤んだから。それを呆然と見ていたら章ちゃんの目が私から逸れて泳ぎ、俯いた。

いつも崩れることのなかったその笑顔は消えていて、いつも恥ずかしいくらいにじっと見つめるその目も逸らされて、...こんな章ちゃん、初めて見る。

「......章ちゃん、」
『ちょ、ちょっと待って、』
「..................。」
『...いつから...?』
「...え、」
『...いつから、気付いてたん...?』

何が?...なんて聞かなくても、遡ればそれは紛れもなく「私のこと好きなの?」に行き着くわけで。

「...や、...気付いてたとかじゃ...」
『...ちょ、ほんま、...めっちゃ恥ずかしい...』

狭い傘の中で自分の赤くなった顔を掌で仰ぐ章ちゃんは、こんな時でも私の方に傘を差し出していて肩から背中が濡れている。それに気付いて傘を少し押し返した。

「...濡れてるよ、」

私の言葉に顔を上げた章ちゃんは、まだ背中が濡れているにも関わらずそのまま少し眉を下げて私を見つめる。

『...けどさぁ、それやのに...わかってても今一緒に帰ってくれてるやんか、』
「................、」
『...それって、どういうこと...?』

章ちゃんに見つめられて息を呑む。
けれどすぐに苦笑いのような笑みを浮かべて促され、ゆっくりと歩き出した章ちゃんの横に並んで、戸惑いながらも足を踏み出した。

『...そんなん言われても困るよな。...ごめんな?』
「...ううん、」
『...今日は、強引に誘った自覚、あんねん』

章ちゃんは何だかとても申し訳なさそうな顔で俯いたまま、私を見ようともしない。

「...そんなことないよ、」
『...そ?...なんかさぁ、浮かれてもうて、』
「...え、」

俯いたまま息を吐き出して顔を上げた章ちゃんは、いつものような笑顔に戻っていた。

『...や、神様って見てるんやなぁー思て』
「...どういうこと?」
『昨日優希ちゃんに傘貸してん。ちょっと降ってたから迷ったんやけどさ、』

...貸した?一緒に帰ったわけじゃなかったの...?

『今日の天気予報やったら絶対傘なんて持って来ないやん?けど、返してもらったから傘持ってて...神様が#name1#ちゃんと帰るチャンスくれたんかなぁ、とか思て、』

アホやな、と言ってふふ、と笑った章ちゃんを見て、胸が苦しくてドキドキしてどうしようもなくなって足を止めた。私のことをそんな風に想っていてくれたなんて、知らなかった。
すぐに気付いて私を見た章ちゃんが、目を丸くしている。

『...え、どうしたん、...』

顔が熱を持っているから、赤いなんて言われなくてもわかる。胸がいっぱいで、気持ちが昂っている。

「...気付いてたわけじゃ、ないよ、」
『...えぇ、?』
「だから、...知らなくて、」
『......そうなん...?』

何が言いたいんだろう。わからない。もう告白するしかないところまで来てしまった。まだ何も準備出来ていなかったし、シミュレーションもしていなかったのに。

『......あの、...そんな顔されたら、...期待してまうよ...?』

俯いていた顔を上げたら、また赤く染まった顔で章ちゃんが私を見ていたから頷いた。驚いたような顔をした章ちゃんから目を逸らして、高鳴る鼓動を落ち着かせるように一度目を伏せ息を吐き出し顔を上げると、傘を握る章ちゃんの拳に目が止まった。震える拳と普段は見せることのない強ばった真っ赤な顔が、本気の証。

『...俺、#name1#ちゃんのこと、好きや』


End.