Heart & Soul


昨日の光景がぐるぐると頭の中で何度も繰り返されて、眩暈のような感覚に陥った。目を閉じていたら、廊下から聞こえて来たその声に思わず反応して目を開けた。

今日もまた女の子に囲まれて笑顔を振り撒いているその人と、話をしなくなったのは何が原因だっただろう。
正直、わからない。それなりに仲は良かった。喧嘩をした記憶はない。

クラスが変わる頃だった。ヤスが何となく機嫌が悪いと感じた日があった。それからクラスが変わったら、話し掛けられることすらなくなってしまった。
何度も話し掛けようと思ったけれど、もしかしたら私の気持ちに気付いたから離れて行ったのではないかと思ったら、怖くてダメだった。

ちょっと口が悪いところはあるけれど、さり気なく気遣いが出来て、さり気なく優しい。学年で3本の指には入る人気者。
付き合いたいなんて思っていたわけじゃない。ただ、仲良くなれたのが嬉しくて、傍に居たかっただけ。

クラスが変わってから昨日まで一度も話さないまま来ていた。...それなのに。

『好き』
「...え、」
『...せやから、好き』

昨日の帰り際、後ろから走って来たヤスにいきなり告げられた。頭の中が混乱して、緊張した様子もないヤスのやけに堂々とした態度に言葉を失った。

さっきだってクラスの女の子の手に触れていたし、昨日は女の子と一緒に帰ってたじゃない。...毎日、女の子に囲まれてるくせに。

「...冗談、でしょ...?」

一瞬眉間に寄った皺はすぐに消えたけれど、あの日のように不機嫌さを滲ませたヤスが、睨むように私を見て背を向けた。

...だって、冗談でしょ?
そんな素振り一度も見せなかったじゃない。
クラスが変わってもヤスはすぐに別の人と仲良くなって、当たり前のようにモテていて、私なんかいなくたっていつも楽しそうに笑ってたじゃない。
...好きなんて、信じられない。


廊下のヤスをぼんやりと見ていたら目が合った。一瞬私で止まった視線はすぐに目の前の女の子へ移って、胸の中に妙なモヤモヤだけが残る。
この気持ちは何だろう。拒絶したのは自分なのに。
目の奥が熱くなってまた目を閉じた。

『大丈夫?』

はっとして目を開けると、私の机の横にしゃがみ込んだ忠義が私を指さした。

『顔、赤いで。大丈夫なん?』
「...大丈夫、」

私は自分が思っているよりもずっと、顔に出てしまうのだと自覚した。気を付けなければ。

何も言わずじっと私を見る忠義の視線に気付いて忠義を見ると、何だか心配そうな表情をしている。
去年も同じクラスだったし、ヤスとも仲が良い。...もしかしたら、何か聞いているのかもしれない。

ふっと笑った忠義の手が私の頭にぽんと置かれた。

『捨て犬みたいやな。泣きそうな顔して』

いよいよ涙が溢れそうで俯くと、チャイムが鳴った。ポンポンと頭を叩いた忠義が、私の顔を覗き込んで言った。

『帰り、話聞いたるよ。な?』

頷くと髪をくしゃくしゃと撫でて席へ戻って行った。
私は、本当はずっと誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。



放課後、ゴミ捨てに行くからと、忠義を待たせていた。
帰り際に先生に呼び止められて資料を運ぶように言われ、ゴミ箱片手に資料を抱えた。

資料を置くため教科準備室まで来たところで、教室で待ってもらっているはずの忠義が、この窓の少し先にいるから声を掛けようと窓を開けた。

すると忠義に向かって女の子が走って来て、思わず窓の下にしゃがみ込んだ。
開けた窓からは小さな声しか聞こえないけれど、多分告白。聞くのも何だか悪い気がするし、ドキドキしながらしゃがんだまま向きを変えると、少し離れたところに同じようにしゃがみ込んで私を見ているヤスがいて驚いた。

『何してるん。こんなとこで』

思わず自分の唇に人差し指を当てて「静かにして」と訴えれば、無表情のまま私を見ている。何となく緊張して目を逸らしたら、ヤスが屈んだまま私に近付いて目の前にしゃがむ。

『盗み聞き?』
「...違うよ。たまたま、」
『気になる?』
「...でも、聞いてたら悪いから、」
『付き合うで』
「え?」
『大倉、あの子のこと好きやもん』

言ってすぐに手を掴まれて引っ張られたから驚いた。隣に置いていたゴミ箱が音を立てて倒れる。目の前の教科準備室に引き込まれて、突然壁に押し付けられた。

『なんで俺やったらあかんの』

真正面でヤスに鋭い視線を向けられ、ドクドクと心臓が音を立てる。
私の横に付かれたヤスの左手と顔の近さにますます緊張が高まった。

『残念やったな。せっかく今年も同じクラスになれたのに』
「...なにが、」
『言うてたやん。嬉しいって。俺とクラス離れたのは何とも思わんけど、大倉と同じクラスで嬉しいって』

クラス替えの日に自分が言った照れ隠しの言葉を思い出していた。
ヤスが急に『#name1#と離れて寂しい』なんて言うから、恥ずかしくなってつい、言ってしまった。

「...違うよ、」
『...どうしたら信じるん?』
「...え、」
『どうしたら俺の気持ち信じる?』

本気だったんだ...、と安堵している場合ではない。私の顔の横にあった手が離れ、ヤスが肘を付いたからますます顔が近くなって、ヤスの顔を見ていられない。

「......わかったから、待って、」
『何を待つの?』

苛立ったようにわざと顔を寄せるから、唇が触れてしまいそうだ。

「......やめて、」
『まだ何もしてへんやん』
「.............、」
『これからするけど』

ゆっくりと、柔らかく唇が重なった。
ヤスの手が私の頭を引き寄せながら撫でる。

『...俺の気持ち、否定すんのは無しやろ、』

呟くように小さな声で言ったヤスが、睨むような視線を私に送ってもう一度キスをした。
こんな状況でも幸せだと思ってしまう私は、本当に重症だ。

『...信じた?』
「......ん、...ごめん、」
『...嫌や、許さへん』

鋭い視線とは正反対の優しく頭に添えられた手が私の後頭部を撫でる。

『好きになるまで 許さん』
「......好きだよ、」
『...何やそれ、ナメとんの?』
「...私の気持ちも、信じてくれないの、?」

緊張して声が震えた。それに驚いたような表情を浮かべたヤスが、私をじっと見つめてから口を開いた。けれどすぐに言葉は出なくて、やっと聞こえたその言葉は微かに震ていた。

『...そんなんじゃ、全然わからん、』

撫でていた手が私の髪をクシャリと握って、まっすぐ見つめるヤスの目に急かされているように感じる。

乱れ打つ鼓動のせいで視界が揺れた。だから目を閉じて、意を決してヤスの唇に自分の唇をくっつけた。とても、キスと呼べるようなものではなかったけれど。

『...下手くそ』

抱き締められて優しい手に撫でられながら、少し震えるヤスの唇が噛み付くようにキスを落とす。少しだけ荒っぽいそのキスに零れた涙の味が混じって、ヤスが幸せそうに微笑んだ。


End.