throbbing


17時。時間のわりに真っ暗な教室は、さっき急に降り出した雨のせいだろう。そこに電気を点けてバッグから出したハンドタオルで髪や肌を拭っていると、ガラリと扉が開く音がしたから驚いた。
それが、今の今までこっそり見つめていた村上くんだったから、更に驚く。

『あれ、#name1#先輩』
「...あ、...お疲れ、」
『外に居はったんすか?濡れとるから』
「...あ、うん、...ちょっと、」
『急に降ってきましたもんね』
「そだね、」

サッカー部のマネージャーを引退した私がこんな時間に残っているなんて不思議に思われても仕方ない。

けどどうして。ここは私のクラスで、部活の時はみんな自分のバッグは部室に置いているはずなのに。

『俺は教室にタオル忘れてもうてて』
「そっか」
『取りに戻ったら先輩が入ってくの見えたんで』

聞く前に私の疑問を解決してくれた村上くんはわしゃわしゃとタオルで頭を拭いているけれど、教室から出ていく気配はない。...ちょっと、気まずい。

『久し振りすね』
「...うん」
『先輩方引退しはってからほんま顔出してくれへんから』
「...あー、そうだね」

グラウンドの片隅でこっそりと眺めていたのを気付かれていなかったことに安堵の息を密かに漏らした。

『こんな偶然でもなきゃ会われへんて、同じ学校やのに不思議ですねぇ』

ドキッとした。
村上くんを見かけると、いつも隠れていた。
あの会話を聞かれてしまったかもしれないと思ったら、顔を合わせることが恥ずかしくてたまらなかったから。


一緒にマネージャーをしていた汐理と放課後部活に顔を出した帰り、荷物を取りに戻った部室で自分の気持ちを打ち明けたのは、引退直後のことだった。

『え!村上くん?』
「...うん」
『好きなの?』
「...好き、って言うか、気になるって言うか、」
『それもう好きじゃん!』

初めて人に話したから恥ずかしくて、絶対秘密ねと念を押して部室から出た。

『あ、先輩!丁度ええとこ居った!』

ドアを開けるとすぐそこに立っていたのは、膝から血を流した村上くん。
聞かれていてもおかしくないほどの距離感に、心臓が早鐘を打った。

引退したのにすんませんねぇ、と笑う村上くんはいつも通りで、笑いながら手当していても私は一度も村上くんの顔を見ることは出来なかった。それが私の最後のマネージャーの仕事になった。
それから、ちょっと村上くんを避けている。


『折角会うたんやし、送りますよ。一人なんすよね?』

今の私に、数十分村上くんと一緒に居る勇気があるんだろうか。

「...けど、私ちょっと図書室に...」
『もう閉まってるんちゃいます?』
「...あ、そっか...」

どうしよう。緊張してる。
けどこれ以上言ったら一緒に帰りたくないみたいに思われるかもしれない。

言葉を探しているうちに視線を感じて顔を上げると、目が合ってすぐに逸らされた村上くんの視線は、窓の外に向いて視線の先を指差した。

『雨、弱なってるから、今のうちに帰らんと』

私に背を向けて扉に向かった村上くんの後姿を見ながら、落ち着きのないビートを刻む胸にバッグを抱え息を吐き出す。
後を追って扉に向かうと先に廊下に出ていた村上くんが、私が教室を出る直前に再び教室に入って来た。距離が近くてドキリとして思わずびくっと肩が揺れる。けれど村上くんは私の前を通り、教室の前にある電気のスイッチに手を掛けパチリと電気を消した。

ドキドキしてしまったのが恥ずかしい。動揺が伝わっていないだろうか。顔が赤い。外が暗くてよかった。

ドアに掛かった村上くんの手を視界の端に映して俯いていた顔を上げた。思いの外近い距離に村上くんがいる気がする。近いと感じるのは、部屋が急に暗くなったせいだろうか。

村上くんが更に距離を縮めるのがやけにゆっくり見える。傾けられた顔を見ながら、聞こえるのは自分の心臓の音だけ。
唇がくっついて、一瞬で離れた。
キス、したみたい。
固まったみたいに体が動かない。

『...偶然やない、とか言うたらどうします?』

その言葉にちらりと村上くんを見れば、眉間に皺を寄せて不機嫌そうに私を見つめる。

『あんなん言うて期待さしといて、なんで避けるんすか』

期待という言葉に、今度は私が期待させられる。

『...嘘やったん、?違うなら、はよ否定してくれんと』

私が首を横に振ると同時に、廊下の向こうから話し声が聞こえてきた。ちらりと廊下に目をやった村上くんが静かにドアを閉めてすぐに唇を塞がれた。
話し声と足音が近付くと、肩を押されて壁に押し付けられる。すぐそこを通り過ぎる生徒の声を聞きながら、一度も離れない唇に息苦しさを覚え吐息を漏らした。

『あの言葉、なかったことにはさせへんよ』

真っ直ぐに見つめられた強い眼差しに、呼吸をするのも忘れた。
抱き締められた体から威圧的な表情とは対照的にひどく激しい鼓動を感じて、震える手で恐る恐るその背中に腕を回した。


End.