君の心は彼のもの
※百鬼夜行の後
遺体は見せて貰えなかった。硝子も、私も。だから、あの人がどんな顔でどんな姿をして死んだのか、分からなかった。お墓も作らないって。そう硝子に言うと当たり前だと返ってきた。
私が夏油傑と付き合っていたのは、彼が離反する直前までの1年と少しの期間だった。彼は私達の元を去る前「一緒に来てとは言えない」と目を伏せた。君はきっと、馬鹿げてるって言うだろうから、と。いつも、そうやって私の思いを汲み取って、遠慮する男だった。そんな優しくて正しくあろうとする彼が、好きだった。
△▼△
「そんなの分かんないじゃんねぇ」
一緒に行かないなんて、勝手に決めつけてさ。不満げに口を尖らせたナマエに、隣に座っていた僕はちらりと視線を向けた。鎖骨のあたりで綺麗に切り揃えられた真っ直ぐな髪は、どこかあいつを連想させた。
「…一緒についてった?」
口から出た声は少しだけ震えていたかもしれない。ナマエは前を向いたままだった。
「ううん。絶対に行かなかった」
馬鹿げてる、って今でも思うよ。と続けたナマエは結局傑の言う通りだったんだよな、と笑った。
お前が大事だったからだよ、とは言わなかった。傑にとってナマエは女神様みたいなもんだ。穢してはならない、大切なひと。自分でも馬鹿げてると思っている事に女神様を無理やり引き摺り下ろして連れ回そうなんて、あいつは出来なかったんだよ。僕はきっとやるけど。
「ずっと、忘れられない?」
主語は言わなかった。それでもナマエには伝わったみたいだ。
「どうだろう。でももう、いいかなあ」
「なにが?」
「恋とか愛とかそういうの。もうすっげえ、面倒くさい」
「…いくつだっけ」
「あんたと同じだけ歳とってるよ」
「まだ28でしょ」
「もう28だよ」
色んな事、諦められる歳だよ、とナマエは笑った。その表情は強がりでも何でもなくて、本当に何かが抜け落ちたかのように、さっぱりしていた。
ずっと待っていたんだろうか。生きているうちはもしかしたら戻ってくるんじゃないか、と何処かで期待していたんだろうか。戻ってきたとしても、あいつに居場所なんてないと頭の良いナマエなら分かっていただろうに。
死してなお、ナマエの心にどっかりと腰を下ろす男に、僕を置いていった親友に、無性に腹が立った。どうしてこんなにも、あいつは狡い。僕がいちばん欲しいものは手に入らない。あの頃から、ずっと。
「待ってた?」
「今日は質問ばっかりだな」
「ねえ」
「待ってないよ、戻ってこないもの」
そう言って少しだけ目を伏せたナマエに、嘘だと思った。呪術師として有るべき姿と、1人の女としてのこうでありたいという姿と。どう折り合いをつけていいか分からない感情に振り回されながら、待っていたんだろうなと感じた。そしてそれは、傑が死んだと伝えた先程、ようやく役目を終えたかのように消え去ったのだと思う。
「僕、ナマエが好きだよ」
息を吐くように自然と出た言葉に、ナマエは驚かなかった。
「今それ言うの?」
「でもナマエは違うでしょ」
「そんなの分かんないでしょ」
あんたまで決めつけないでよ、とナマエは笑った。どうして今、そんな顔をして笑うんだろう。
「じゃあ好き?」
「分かんないや」
「ほら」
全部諦めた、そんな顔をしていたってナマエの心の奥底に巣喰う感情の矛先は、僕じゃない。暗い路地裏で眠った墓すら作ることが出来ない、僕の親友で彼女の恋人。
「ナマエは僕のものにはならないよ」
そう断言した僕に、彼女は「そんなこと分からない」と笑った。じゃあ僕のものになってよ。そう言ってもきっと、ナマエは僕の思うようにはならないのだ。
突き刺さるような冷たい12月の風が彼女の髪の毛を攫っていく。いっそのこと、全て攫って2人だけの世界へと連れていって欲しい、そう思った。
遺体は見せて貰えなかった。硝子も、私も。だから、あの人がどんな顔でどんな姿をして死んだのか、分からなかった。お墓も作らないって。そう硝子に言うと当たり前だと返ってきた。
私が夏油傑と付き合っていたのは、彼が離反する直前までの1年と少しの期間だった。彼は私達の元を去る前「一緒に来てとは言えない」と目を伏せた。君はきっと、馬鹿げてるって言うだろうから、と。いつも、そうやって私の思いを汲み取って、遠慮する男だった。そんな優しくて正しくあろうとする彼が、好きだった。
△▼△
「そんなの分かんないじゃんねぇ」
一緒に行かないなんて、勝手に決めつけてさ。不満げに口を尖らせたナマエに、隣に座っていた僕はちらりと視線を向けた。鎖骨のあたりで綺麗に切り揃えられた真っ直ぐな髪は、どこかあいつを連想させた。
「…一緒についてった?」
口から出た声は少しだけ震えていたかもしれない。ナマエは前を向いたままだった。
「ううん。絶対に行かなかった」
馬鹿げてる、って今でも思うよ。と続けたナマエは結局傑の言う通りだったんだよな、と笑った。
お前が大事だったからだよ、とは言わなかった。傑にとってナマエは女神様みたいなもんだ。穢してはならない、大切なひと。自分でも馬鹿げてると思っている事に女神様を無理やり引き摺り下ろして連れ回そうなんて、あいつは出来なかったんだよ。僕はきっとやるけど。
「ずっと、忘れられない?」
主語は言わなかった。それでもナマエには伝わったみたいだ。
「どうだろう。でももう、いいかなあ」
「なにが?」
「恋とか愛とかそういうの。もうすっげえ、面倒くさい」
「…いくつだっけ」
「あんたと同じだけ歳とってるよ」
「まだ28でしょ」
「もう28だよ」
色んな事、諦められる歳だよ、とナマエは笑った。その表情は強がりでも何でもなくて、本当に何かが抜け落ちたかのように、さっぱりしていた。
ずっと待っていたんだろうか。生きているうちはもしかしたら戻ってくるんじゃないか、と何処かで期待していたんだろうか。戻ってきたとしても、あいつに居場所なんてないと頭の良いナマエなら分かっていただろうに。
死してなお、ナマエの心にどっかりと腰を下ろす男に、僕を置いていった親友に、無性に腹が立った。どうしてこんなにも、あいつは狡い。僕がいちばん欲しいものは手に入らない。あの頃から、ずっと。
「待ってた?」
「今日は質問ばっかりだな」
「ねえ」
「待ってないよ、戻ってこないもの」
そう言って少しだけ目を伏せたナマエに、嘘だと思った。呪術師として有るべき姿と、1人の女としてのこうでありたいという姿と。どう折り合いをつけていいか分からない感情に振り回されながら、待っていたんだろうなと感じた。そしてそれは、傑が死んだと伝えた先程、ようやく役目を終えたかのように消え去ったのだと思う。
「僕、ナマエが好きだよ」
息を吐くように自然と出た言葉に、ナマエは驚かなかった。
「今それ言うの?」
「でもナマエは違うでしょ」
「そんなの分かんないでしょ」
あんたまで決めつけないでよ、とナマエは笑った。どうして今、そんな顔をして笑うんだろう。
「じゃあ好き?」
「分かんないや」
「ほら」
全部諦めた、そんな顔をしていたってナマエの心の奥底に巣喰う感情の矛先は、僕じゃない。暗い路地裏で眠った墓すら作ることが出来ない、僕の親友で彼女の恋人。
「ナマエは僕のものにはならないよ」
そう断言した僕に、彼女は「そんなこと分からない」と笑った。じゃあ僕のものになってよ。そう言ってもきっと、ナマエは僕の思うようにはならないのだ。
突き刺さるような冷たい12月の風が彼女の髪の毛を攫っていく。いっそのこと、全て攫って2人だけの世界へと連れていって欲しい、そう思った。